遠山郷から日本が変わる、一期一会のリーダーシップ (4) 型とゆらぎ
しかしゆらぎが大切だからと言って、木や石で作れば何でもよいというわけではありません。
たとえば下の写真を見てください。木で作られた建物です。何か不自然ですね。やはり景観にはデザイン、型があって、型からあまりはずれたものはたとえゆらぎがあっても美しいとは思えません。景観に型は大切です。見て美しいかどうかは人が実際にどう思うかですから、葛飾北斎の富嶽三十六景や歌川広重の東海道五十三次のように、多くの人が見て違和感のない景観がよいと思います。
おそらくディズニーランドもまず最初に芸術家が絵を描いて、それに合わせて建物を建てていったのでしょうから、都市計画も最初に芸術家が絵を描いて、それに合わせて建物や道を作ったほうがよいのではないでしょうか。
しかし、たとえどんなに不自然なものでもずっと朽ちていって、ほとんど土にかえりそうになるぐらいまでいくと、それまでゴミに見えていたものが自然の一部のように見えてきます。下の写真は遠山郷の廃村跡に残っていた廃車です。
よく山のなかの廃線跡や廃村跡を探訪する人がいますが、こういう面白さなのでしょう。
下の写真は遠山郷に残っていた旧秋葉街道と、沿道の石垣です。今から60年ぐらい前までは、このあたりも多くの人や馬が通り、たくさんの家があって、人々がにぎやかに生活していました。
自然は偉大なもので、人がどんなに不自然なことをしても、やがて自然に戻してしまうのです。そして不自然な型は消滅し、土や石は残ります。
一方、下の写真の左側のお家。確かに木造の風情のありそうな建物ですが、散らかっていて、美しさがないですね。
ゆらぎは大変微妙なもので、人工的で不自然な規則性が色濃く残っていると、そこにゆらぎが入るとかえって汚く見えます。ごみの埋め立て地の光景がそうですし、片付けの悪い、掃除の行き届いていない景観がそうです。
ですからやはり景観には「お手入れ」が常に必要です。
またゆらぎのある光景と、ない光景の混在にも注意が必要です。下の写真はお寺の参道の階段です。上のほうが手で石を積んだ昔の階段、下のほうが現代に作り直したコンクリートの階段です。また手すりは石の階段のところにステンレス製がついています。
景観を考えていろいろ工夫することは可能でしょう。
それからもう一度、上の旧秋葉街道の写真を見てください。道は曲がっていますね。多くの昔の道は曲線から構成されていて、直線が長くどこまでも続くことはまずありません。
実は自然もそうで、たとえば水は流れ下るときに自然に曲がり、自然にムラができます。整然とまっすぐ上から下に落ちてこないのです。このことは不思議ですらあります。
ですから景観においても効率だけを考えた直線や、一定の曲率の曲線を多用すると不自然になってきます。むしろ逆転の発想で自然のアップダウンや山谷を生かしたインフラのほうが「豊か」ではないでしょうか。
(つづく)
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