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戦艦 大和

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中央構造線ではありませんが

4月27日の藤原先生の21世紀はみんながリ-ダ-の中で

幕末は思想を変えるために軍艦を作った

とゆうフレ-ズが有りましたが

今日は軍艦つながりです

25日にお仲間に誘われてたまたま広島県呉市にある大和ミュ-ジアムに

行ってきました

皆様ご存知のように大和は本来の性能を発揮することなく時代に取り残され

鹿児島県沖の海に沈んで行きましたが

大和建造の過程において当時の最先端技術と人材、新たな試みを総動員して作ったこと

造船やその他の関連工業技術を飛躍的に向上させる大きな糧になり

戦後10年で造船大国になる大きな原動力になったそうです

船は沈みましたが人と経験、技術、想いは残ったんですね

船と町との違いはあれど非常に似ていると思いました

パンフに写っているのがゼロ戦、その下のが人間魚雷です

大和は10分の1のミニュチュアですがこちらは実物展示です

長さはそこそこですが幅は人一人が何とか入れるほどで

人間魚雷の前に特攻へ出撃する兵隊さんの直筆手紙が展示されていまして

これが一番印象に残っています

先生も想いとゆう言葉をよくお使いになりますがこの方々の想いも

すさまじいものが有ったのでしょう

大和と兵隊さん方の想いが作った戦後20世紀が役割を終えて

新しい生き方が求められる21世紀に向けて世の中が大きく

変わっていく中での大和はインタ-ネット放送を聞いてより感慨深いものに

なりました

今回は中央構造線に関係なかったので写真をさぼってしまい

実物の人間魚雷、手紙など撮影しなかったこに少し後悔です

パンフレットでご容赦ください

1,2日は遠山藤原学校です皆様との再会を楽しみにしています

 林 芳弘 拝

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中央構造線蓄える楽しみの旅」カテゴリの記事

コメント

ここは一番「宇宙戦艦ヤマト」を作って、新しい時代にワープしないといけませんな。

投稿: yupon | 2010年4月29日 (木) 05時40分

「人間魚雷」で父親のことを思い出しました。
軍需工場に動員されて、呉の海軍工廠で「い号潜水艦」を作る工員をしていたようです。父は2回陸軍に召集されていますが、外地には行っていません。呉の軍需工場にいたとき2回目の召集がかかりいったん大阪に帰ったそうですが、大阪大空襲の直後で大阪駅まえから難波まで建物がほとんど無い一面の焼け野原だったそうです。

さて、ギリシャの経済破綻をきっかけに欧州も焼け野原になりそうですね。

投稿: yupon | 2010年4月29日 (木) 05時48分

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