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昔の街道

下の写真は遠山郷内に残る、秋葉街道の跡です。私が歩いている、非常に細い道が、昔の秋葉街道でした。人がすれ違おうとしても肩が当たりそうです。江戸時代の日本人は今よりずっと体が小さかったそうですが、それでも肩が当たりそうです。

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箱根に残る東海道の旧街道=石畳でも同じですが、江戸時代の街道は非常に幅が狭いのです。馬や荷車や人が大勢往復していた当時、こんなに細い道をどうやってみんなすれ違ったのか、本当に不思議です。武士は刀をさしていますし、大名は大きな乗り物に乗っています。一体全体、この細い道をどうやって往復していたのでしょうか。

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旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

こんにちは。

喉の具合はいかがですか?このお写真はもっと寒いころの写真ですね。

我が家は糸魚川-塩尻の「塩の道」に面しております。(我が家の私道はかつての塩の道だそうです)
塩の道は安曇野中部ではそこそこ旧街道も広かったようですが、現在はほぼ舗装されていて、昔の街道そのままの姿は見られません。
小谷村(おたりむら)に行くと山間部の塩の道はところどころ旧街道のままの山道が残っています。先生のこの写真のように細い道ですね。
ただ、小谷の塩の道は交易には使われただけでしょうが、秋葉街道は参勤交代やら秋葉山へのお参りやらで、塩の道より通行量は多かったでしょうね。

遠山の古い歴史の解説、楽しみにいたしておりますので今後もご紹介ください。

霜月祭りで特別氏子に参加したいと思いますが、その神社の紹介も是非お願いします。

投稿: yupon | 2009年8月 9日 (日) 07時38分

yuponさん、こんにちは。いつもありがとうございます。暑い夏が続いていますがお元気にお過ごしでしょうか。北信にもたくさん昔の街道が残っていますね。本当に昔の人はこの狭い道をどうやって往来したのだろうと頭をひねってしまいます(笑)。

遠山郷の歴史、地理について私もいろいろとこれからも考えてみたいと思います。きっとここには今まで知られていなかった何かがあると思っています。そこには神社のことも当然入ってきます。

霜月祭りは秋に地元から正式に日程とか発表があると思いますので、それに合わせてこちらも予定を立てようと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。

どうぞ引続きお元気にお過ごし下さい。
ありがとうございます。

藤原直哉 拝

投稿: 藤原直哉 | 2009年8月 9日 (日) 18時55分

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