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日本版投資銀行

みなさん、こんにちは。藤原直哉です。

国際金融市場の崩壊が目の前に迫るなかで、新しい日本の投資銀行を創らないと、日本の再建は不可能です。なぜ産業や国家の再生にその国のために活躍する投資銀行が必要なのか、それについては以前の書き込みにあります、私のリーダーシップに関するインターネットラジオ番組をご覧ください。

話のポイントはだいたい理解できているつもりですが、要は金融だけでは話が終わらないのです。産業と金融を結ぶのが市場なのです。しかもその考え方が英米中国と日本では今まで非常に異なっていたのです。

フォーラムではこうした問題について議論を進めています。資料は、

http://www.fujiwaraoffice.co.jp/service/jikyoku-keizai/ronbun/cat19/

にある園山論文です。かなり量が多いですが、ほとんどすべての問題がここで語られていると思います。ご参考までに。

藤原直哉 拝

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経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

こんにちは藤原様、園山論文を拾い読み程度ですが読んでみました。

資本という物は物凄いエネルギーがある。その程度の理解です。日本と海外を比較して資本に対する考え方や生かし方が違って日本は資本を生かし切れていない。

その様な感じに捕らえたのですが、資本主義(ユダヤ金融?)が今後も続くのか?新たな仕組みを導入する事を試みる必要があるのか?

個人的にはユダヤ金融と縁を切るのが21世紀の姿ではないかと思います。そして自然法則を金融にも入れる必要があるのではないかと思います。自律調整機能と損耗の機能が必要ではないかと思います。

自律調整とはハンズオン型ファンドのイメージで一方的な略奪が出来ない仕組み。運命共同体で損害保険なども組み込む事が可能ではないかと思います。

損耗の機能とは金利の事で、有限地球で無限に増殖する金利は不自然としか言いようがありません。ガン細胞は無限に増殖するそうですが金利の御陰で各国政府は破綻の危機に瀕していますね。

私にとっては難しい話に感じられました。対談などでの話が在れば実は単純な話と言う事かも知れません。

kazuさん、こんにちは。いつもありがとうございます。はい、なかなか難しい話なのです(笑)。

でも結論は簡単で現在のユダヤ式金融市場は暴走して崩壊してしまいましたから、もう少し穏やかな市場にしなければならないということです。それから市場の調整機能は今のような金融システムでなくても、ヨコ型リーダーシップであれば金融市場を介さなくても実現可能だということですね。

これからもっといろいろとまとめていきたいと思います。ありがとうございます!

藤原直哉 拝

こんにちは藤原様、この話は園山さんの話と同じなのでしょうか?

表現の違いなのでしょうが、私は理解しやすいです。

さて、Creditによる利益獲得を金融の中心に据える文化をCredit Cultureといい、Equityによる利益獲得を金融の中心に据える文化をEquity Cultureという。もうお分かりと思うが、「正義に反する。罪だ。」とまでいわれたのだから、その罪悪感は欧米のDNAにシッカリと刷り込まれ、ベースは勿論Creditを嫌うEquity Cultureとなった。他方、そんな経緯をつゆとも知らない日本はというと、明治開国以降とにかく西洋の資本主義経済に追いつけ追い越せの日本であるから、無批判でCredit Cultureを受け入れていく

http://www.llc.ip.rcast.u-tokyo.ac.jp/Column%20mokuji.htm
こちらの#22からの引用です。#21も合わせて読むと園山論文の2008.09.05の図と良く合うのです

kazuさん、こんにちは。いつもありがとうございます。はい、ある部分、園山さんのお話と一緒です。資金と資本の違いがわからない今の日本人ということですね。しかし昭和時代のバブル前までは結構よくわかっていたように思います。園山さんの図を見ていただくと、資本と言うのは生きた血であって、本物の血と同じようにそこには会社や経済や国を動かし、成長させるために必要なあらゆる養分が入っているべきなのです。ところが最近はそれがただの水になってしまっているのです。そのことを園山さんはよく嘆いておられます。

それからこのこと、現金会計しかやっていない役人と政治家にはほとんど完璧に理解できないのです。恐ろしいぐらいです。でも今から数年前に、大蔵省で出世して非常に高い地位に昇りつめた方がいました。その方は戦後日本の銀行行政に多大な貢献をした方でした。その方が退官後に、ある外資系のヘッジファンドに勤めたのです。そうしたらあまりの世界の違いに仰天してついていけなくなって、半年で辞めてしまいました。その時、おっしゃった言葉は次のような内容でした。

私は大蔵省に入る前も入ってからも万巻の書を読んだ。しかしそれは全く意味がなかった。すべては無だったと。

それぐらい水と血は違うのです。そしてそれは血の中に自ら入っていかないと実感としてもわいてこないものなのだと思います。そしてではなぜ戦後の日本人が血が分からなくなったのか、園山さんはやはり戦後の安保でボケちゃったのだろうとおっしゃいます。

日本は未だに血のわからない人がリーダーと称して居座っています。そこを覆して日本版投資銀行を創るのは大変なことなのです。でもやるしかないですね。

どうもありがとうございます。ますますご活躍ください。

藤原直哉 拝

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