藤原直哉の「21世紀はみんながリーダー」 2014年10月22日 敵も味方もない世界
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コメント
藤原直哉 様
藤原先生の仰るところの長老に当たる指導者が生まれる前提条件をまずここで仮に考えてみます。
人としてのひとかどの苦労をすべて越えてきて、善悪の判断のできる大人で、苦労から培われた忍耐力がものすごく強く、そのうえ柔和で人と人との間のとりなしが出来て、世の中をすべて見渡せるほどの知識と経験を持ち、あらゆる不測の事態に対応できるための知恵を得るための精神的な修練を積んできた人、と仮定してみます。これだけの条件を満たすほどの人格者なら長老にふさわしい方であるのは、ほぼ間違いないでしょう。
ところで、このような優れた方は現実問題として今の日本には皆無といってよい程ほとんど居ないでしょう。ではどうして居ないか?それははっきり言って、ここ50年以上のぬるま湯生活の成果だからです。
でありますから、もうお分かりと思われますが、これから日本に限らず全世界規模で人々が途方もない艱難に見舞われ、その筆舌に尽くしがたい困難に培われないとそれらの長老たちはいつまでたっても生まれてこない結論になります。
ですから、方法論で長老が生まれるのではなく、厳しい現実に直面してそこから自ずからすべて学び尽くした人々が輩出されなければ長老など一人も生まれてきません。
藤原先生の仰りたい気持ちもよくわかりますが、組織論云々の問題よりももっとそれ以前に個々の人々すべてが直面する深刻な困難から如何に各々の個人が学び成長するかがそもそもの問題の本質で、長老統治論などというものは、単なるそれら人々の成長の成果の後についてくる理想型なのではないでしょうか。
その艱難の方向に、これからも天は動いていくとしか私には思えてなりません。これがわたしなりに一個人でも厳しい現実に直面しながら実感として素直に感じてる事実です。
結びに、新約聖書から引用させていただきます。
「そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。(ローマ人への手紙 5:3-5)」
エド
投稿: エド | 2014年10月21日 (火) 18時46分