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2011年8月 9日 (火)

藤原直哉の「21世紀はみんながリーダー」 2011年8月10日 新しい日本を創る力

新しい日本を創る力

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コメント

 我々自身もかなり現実感を欠いていたのでしょうね。玉蔵師匠のお言葉を借りるなら「キ○ガイ社会」だったのでしょうか。私もその「キ○ガイ」の一人だったのでしょう。

http://goldentamatama.blog84.fc2.com/blog-date-20110805.html

 運命を感じるのか、玉蔵師匠の「超高感度バイオセンサー」もプルプルプルプルと振動しておられる様子(笑)。

 さて、以前に私は少しだけ「ニセ科学批判者」や「懐疑論者」を批判しましたが、こいつらは本当に呆れますね。 

 長年原発事故の危険性を真摯に指摘してこられた広瀬氏を「トンデモ(この言葉自体は私はあまり好きではない。安易に使われすぎているような気がする)」呼ばわりし、さんざん貶めておきながら、いざ事故が起これば今度は「放射能はそんな怖いものではありません」と厚顔無恥にも語るような連中です。呆れます。 

 大体、「原発の安全性」がいかに「トンデモ」な代物だったかくらい、彼らの能力や知識から考えても、事前に徹底的に検証していれば、いくらでも指摘することはできたはずです。それをろくにせず、本来最も注意されなければならない(なぜなら事故が起こった時の被害が甚大ではないから)「原発の安全性」に関しては、どれだけいい加減であったとしても、それは見て見ぬふりを決め込み、真摯に問題点を指摘してきた広瀬氏をはじめ「反原発派」を誹謗中傷してきたわけですから。

 ですが、どちらの言い分が正しかったかは今となっては一目瞭然です。要するに、彼ら自身が「トンデモ」と蔑んできた連中の方が正しかったわけです。

「原発の安全性」に関してはおそらくこのような事故がまさか起こるまいと高をくくって、全く検証してこなかったか、気づいていたとしてもあえて取り上げなかったかのいずれかでしょう。

 そしてこいつらですが、今度やっているのは、「放射能は正しい知識があれば怖くありません」キャンペーンです。

 原発事故が起こってしまった以上、自分たちが批判される可能性も出てくると踏んだのか、放射能はそれほど危険ではないと強弁して自分たちを正当化したいのでしょうが、今まで「原発事故の可能性や危険性」をろくに指摘してこなかった連中(そして、おそらくは安全対策がいい加減であることは内心ではわかってはいた)が何を言いますか。大体、今回の事故がこれほどまでにひどくなければ、「風評被害」だの「放射能に関するデマ」が生まれるはずがないじゃないですか。

 事前に東電側や政府の主張している「安全性」がいかに突っ込みどころ満載の「トンデモ」であったか指摘し、それこそ東電や政府ですら反論しきれないくらいに徹底的に追及していれば、東電や政府だってもう少し安全対策に力を入れていた可能性もあるし、何より市民が原発に向ける視線ももう少し違ったものになったはずです。事故以前では、多くの国民(私も含めて)は、原発の安全対策は万全なもので、危険だと騒いでいるのは左翼崩れの市民団体くらいだという印象しかもっていなかったわけです。その意味では、何ら疑問を持たなかった我々国民にも確かに責任はあるでしょうが、それくらい、政府や電力会社による洗脳が徹底して、反対できない雰囲気さえ作られていたのも事実です。確かに、事故そのものは防げなかったかも知れないが、それでも事前に指摘し、少しでも周囲に原発の安全性に関して目を向けさせるようなことをしていれば、もしかしたら、今の被害の1/5でも1/10でも低減できた可能性だってあるでしょう。

 そうやって、リスク管理上の立場から見て、「もっとも事故が起こってはならない代物」の安全性の検証を全く怠っておきながら、下らないニセ科学(たとえば、血液型診断やらホメオパシーやらインテリジェントデザインやら水からの伝言やら上げればきりがありませんが、この中で具体的に被害が出ているのってどれだけあるんでしょうね。まあホメオパシーは確かに実害も報告されているが、血液型診断なんてこんなのの批判がどれだけ社会の役に立つのやら)や疑似科学、「トンデモ」の揚げ足とりばかりを行い、いざ事故が起これば「怖がる国民の放射能に関する無知を正さなければならない」などと上から目線でしたり顔で語るのですから、呆れてものも言えません。

 特に、今回の放射能のことで問題になりやすいのが「低レベル放射線の影響」で、これに関しては、まだ学会でも危険か否かははっきりと結論が出ておりません。ここに「低レベル放射線」に関するいくつかの説を大まかに上げますと、

1.ある程度の量以下なら安全であるとする「閾値仮説」
2.たとえ低線量であったとしても、高線量域に比例して影響はあるとする「LNT仮説(閾値は存在しないという仮説)」
3.低線量であれば、生命活動が活性化され、かえって健康に良いとする「ホルミシス効果仮説」
4.外部被ばくだけでなく、体内吸収によって生じる内部被ばくを含めて検証すると、低線量域の方がかえって影響を受けやすくなるとする仮説

 この4つです。真逆の結論に至る説が混在しているわけですが、ただこの4つの見方に共通して言えることがあるとすれば、どの説も「実証科学的な証明はまだ済んでいない」ということです。

 つまり、疫学的な証明はどの説もまだ終わっておらず、学会においても意見が分かれており、どれが「標準的な学説」であるか、まだ結論が出ていないということです。要するに、どの説も現段階では「単なる仮説」扱いです。

 予防医学の観点から言えば(私は医者ではありませんが)、やはり実証科学的な証明がなされていない説が複数ある場合、慎重論に基づき(つまり、この場合では悪影響があるとする2か4ということになります)その方向で安全対策やリスク管理などを行います。要するに、想定される「悪いケース」から極力避けるべき方向でやっていくということになる。でもこれは予防医学を持ち出すまでもなく、常識的に考えても当たり前のことでしょう。特に人命に直接かかわる事象であればなおさらです。

 よって、上述したように、まだどの説も「実証科学的な証明」がなされていない段階で、ただ特定の説を持ち出すことで(たとえば1か3)、安全性を主張するというのは、本来であればやってはならないことなのです。

 もちろん、参考程度ということでは資料として提示してもよかろうが、これをもとに「放射能に関する一般人の無知を克服する」だのと言った言い方はできないということです。

 第一、今現在においてさえ、どの説も「国際標準的な説」として定着しているわけではない。例えば現在宇宙論ではビッグバン理論が主流となっているが、この低レベル放射線に関しては、どれもまだ主流とはなっておらず、学会の中でもまだ決着はついておりません。

 それを、原発事故の当事者である日本国内で「低レベルなら大丈夫」「いや低レベルでも被曝は避けるべき」と論争しても、何ら始まらないということです。

 これは、どちらの言い分が正しいかという以前の問題で、予防医学やリスク管理の面から言えば、先ほども言った通り、「慎重論に基づき安全対策を行っていく」しか結論はないわけです。議論以前の問題です。このような議論に時間を割くこと自体が、すでに今回の原発事故の怖ろしさを認識できていないということです。

 そして、そのリスク管理の観点から、本来事故直後真っ先に行われていなくてはいけない「最悪のケースに備えて」の「安全対策」が、震災からいい加減5ヶ月にもなろうというのにほとんど行われていないことこそが問題の本質なのです。低レベルが危険か安全かが問題なのではない。それは国際的な学会でいくらでも専門家たちが検証すればいいことだ。

 小出先生が悲観的に語るのも、広瀬氏や児玉氏が必死に叫ぶのも、本来やるべきことがやられていないからなのです。ここがわかっていない。

 小出先生他「低レベルでも被曝は極力避けるべき」説をとる方々も、他の3つの仮説がどれくらいの根拠があり、例えば資料や論文なんかでもどれほどあるか、きちんと把握しております。その上で彼らは2の説を支持しているわけですが、先ほども言った通り、重要なことはどの説が正しいか今ここで検証することではない。本来こういった重大な事故や災害が起こった場合、やるべきことがやられていないことこそが問題なのです。だから彼らはあれだけ叫ぶのです。

 ところがこの自称「合理主義者」「懐疑論者」共は、ただ「放射能は言われているほど危険ではない」「国民の放射能に関する無知をなくす」と息巻いており、物事の本質を見ようともしない。先ほども言った通り、どの説が実際に正しいかは国際的な学会で検証されればいいことであって、学会の外にいる(しかも事故当事者でもある)人間が議論しても何の解決にもならない。今やるべきことはそんなことではない。より確実な「安全対策」なのです。
 
 結局、こいつらは現実感のまるでない、単なる「知識バカ」なのですよ。実際福島に行って御覧なさいな。そこでの惨状を見れば、今やるべきことが「低レベル放射線は危険か否かを議論すること」「国民の放射能に関する無知を戒めること」ではないことくらい、まともな判断力を持っていれば気がつくはずです。それでも気がつかないならそれは単なる知識バカ。理屈馬鹿ですよ。

投稿: +9 | 2011年8月 9日 (火) 23時27分

こんにちは藤原様、自分が何故生きているのか?

そんな事が意識できる人は尊敬できますね(笑)今の仕事を選ぶ時に「何故生きているのか?」を考えてみましたが理由が解らず自殺衝動が起きましたよ。

折角生きているのだから自分から死ぬ事はない。考えが及ばない何かの理由があるのだろうと思い直しました。同様に何故生まれてきたのか?も結構な難問でした。

何とか自分の頭で答えを出せたのが「自分は何をしていると飽きないのか」(商いのか)飽きないから他人から見ると悲惨な事でも楽しくできる。

あのときは26歳だったかな?今の成人は30歳と言う話も何だか納得できます。その後の10年は確かに経験を積む10年でした。そして今は世の中にない物を作りたいと感じています。

昔は中学卒業で就職してと言う時代だったので成人が20歳なのかな?戦前は尋常小学校?と旧制中学(今の高校)帝国大学と言う感じだったのか??

仕事関係の書籍を集め独学でしたから戦前の書籍や旧漢字、大和言葉が物事の本質を理解するのに非常に役に立ちました。今でもコンセプトは漢字や大和言葉で考えると良い物が出来るように感じます。

最近は高嶋博士の対談を聞いていました。
http://naoyafujiwara.cocolog-nifty.com/ipodcasting/2010/12/post-af8a.html

http://naoyafujiwara.cocolog-nifty.com/ipodcasting/2011/02/vs-npo-0369.html

やはり藤原さんの話は少し先の時代を話されているようですね。高嶋博士との対談は今になって良く解る話です。一度聞いてから熟成する時間が必要なのかな??

アメリカは70年代から借金を返す気もなく10年に一度の戦争で好き放題してきたようですね。9.11から10年で3.11と何かの関係があるかのような偶然ですね。

今度は猛毒のリシン散布テロ?
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011081301000450.html

一つの文明の終焉という大転換が待ち受けているようですね。飽きないを明らかにしないと振り回されて大変な状況になりそうな感じがします。

投稿: kazu | 2011年8月14日 (日) 01時50分

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