炭素循環農法 小田原チップ研究会 山本太一朗氏 発表
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コメント
こんにちは
何だか凄い迫力がありました。
農業に特に興味はないのですがプランターでの土いじりの経験から「気功」って何か関係があるのかな?と、ふと感じました。
ラベンダーを増やす時に元気の良い枝を切り土に刺すのですが、元気がよいとか悪いとか気功で雰囲気を感じて選んでいるようです。
私の場合は生きるエネルギー(気)が陽炎のように見えるので気が見えていると気が付くまでに随分と悩みました。
簡単な訓練で誰でも気が見えるようになるのは経験済みです(個人差はありますが)
チップを入れた畑が元気なのか?気功で解ったら随分と確実になるのではと思いますが、単なる気の迷いでしょうか?
投稿: kazu | 2011年2月15日 (火) 02時24分
kazu さま
・早速にご視聴ありがとうございます。そして、改めまして、山本太一朗です。kazuさんの書き込みは、いつもじっくり拝読しております。今後ともよろしく。
>単なる気の迷いでしょうか?
・いえいえ、きっと仰るとおりと思います。
私は気功のことは全く分りませんが、かつて家族で新体道の青木宏之先生の道場に通っていた時、「相手の動きは光のラインのように観得る」と仰っていました。
・それから、
>ラベンダーを増やす時に元気の良い枝を切り土に刺すのですが、元気がよいとか悪いとか気功で雰囲気を感じて選んでいるようです。
・これは確かに実感します!私もかつて勤めていた頃、社宅の庭に、鉢植えのラベンダーを挿し木して増やし、子どもたちから「たいちろおじちゃんの庭」と呼ばれていたことがあります。
挿し穂にしたいような枝は、何か先端から出ているような(目には観得ませんが)勢いを観じます。
・また、今時期なら、子どもの頃から好きだった野原や河原にいくと、オオイヌノフグリという青い小さな花が沢山咲いています。ほんとうに小さな花なのですが、一輪一輪が光り輝くような美しさです。ちょっと前まで冬枯れていた印象が一変して、春到来のエネルギーを放射し始めるのが分ります。。
・「自然が先生」が基本のたんじゅん農。気功の感覚はとても役立つと思います。
また、そうしたセンスは、誰しも今は使う機会が少なくて(所謂便利な生活様式ほど)退化してしまっているのでしょうが、意識を向け始めれば蘇ってもくるのでしょう。
・そうした機会は、遠山郷(私もまだデビューしてませんが)なら最適。でも、日常の身近な自然(近所の空き地や雑木林、河原、あるいはベランダのプランターで植物を育てて観ることでもOK)に触れる機会を、気の向いたときにふと実行してみると、生命エネルギーを感じる感覚が、少しづつ実感として目覚めてくると思います。
以前どこかでご紹介した「カドタ式生ゴミ堆肥」も結構面白いですよ。団地のベランダでもできて、”発酵と腐敗”の境界線を実体験として学べます(^-^)。
投稿: 山本 太一朗 | 2011年2月15日 (火) 10時07分
皆さま
・資料(PDF版)は以下のアドレスからご参照戴けます。
http://www.fujiwaranaoya.com/other/pdf/tanso110213.pdf
(「自然農食たかつ 剪定チップを利用した家庭菜園の記録」PDF 15.7MB)
・大谷農園長、諸々ありがとうございます。
山本 太一朗
投稿: 山本 太一朗 | 2011年2月15日 (火) 11時47分
こんにちは
山本さんの資料を拝見致しました。発酵と土に撒く行程が別なのですね。そう言う物なのでしょうか?
私も似たような堆肥を作っていましたが、生ゴミに堆肥を撒く所の土を掛けて居ました。土を掛けないと腐敗臭が凄いのですが土を掛ける事で全く腐敗臭はしませんでした。
同じ土壌細菌で生ゴミが堆肥化されるので撒いても何も起きた覚えがありません。(花でしたが)
容器は20Lほどのゴミ箱で蓋を架けていました。毎日生ゴミを入れて、一杯になったら花壇に撒く様な感じでした。
針葉樹では細菌からの防衛物質が発酵を邪魔するのではと思います。水はけの良い所で畑に水が回らない所で天日や雨に曝し防衛物質を減少させると発酵に適するのではと思いました。
育ちが悪い草花にはバーベキューの炭を砕いて土に混ぜると色つやが良くなりました。多孔質なので細菌の住みかになるようです。
精力的で頭が下がります。
投稿: kazu | 2011年2月16日 (水) 11時41分
kazu さま
・こんばんは。太一朗です。コメント拝受。
>発酵と土に撒く行程が別なのですね。そう言う物なのでしょうか?
→ たんじゅん農の基本は"同時"です。「(土着の)土壌微生物の力を借りて、土の中で発酵(分解)させる」ということです(さらに言えば、作物の植付けも同時です)。写真の木枠は、単にチップ置き場とお考えください。分量が少ない場合は、生剪定チップでも生ゴミでも畑に直行で”浅く土と和えて”います。
ですから、その他のコメントも、kazuさんと同じ認識です。今に至っては、ということですが。。
・生ゴミの場合が分り易いのですが、腐敗化させないポイントは、
① 窒息させない=通気(酸素)の確保
② 溺れさせない=過湿にしない
③ 腹が減っては働けぬ=発酵の初期エネルギー源供給 ex.米糠
こうして、酸素呼吸で生きているキノコ菌類を始めとする"好気性微生物群"が優勢で働ける環境を保つこと。
なので、土中深くに埋めたり(空気の遮断)、水浸しにすると腐敗化し易く、少なくとも植物の根に良い影響は与えません。
台所のシンクでポリ袋に入れておいた生ゴミは、程なくすごい臭いがしますが、水捌けの良い畑の土にそのまま撒いても臭くならないのも同じ理由。
・話を元に戻します。「完熟堆肥」が常識!(これはイコール堆肥化と土に撒く工程を分けること)と、2年前までは私も盲目的に信じていました。ですが、この農法の提唱者:林さんのサイトに遭遇して、私の常識はひっくり返りました。
氏曰く「完熟堆肥は、微生物の"食べカス"。畑とは別の場所で堆積し、発酵熱やCO2で飛ばしてしまうのはエネルギーの無駄遣い。そのまま畑の微生物のエサにすれば、5~10倍の効果がある」
・確かに。これは凄い!でもホントに大丈夫かな?とも思いました。それをこの1年半、自ら試して検証しようとしています。奥深い世界故、なかなか一筋縄では行かないこともあります。
それでも面白い題材です。無肥料なのに野菜が採れます。特定の○○菌を買ってくるのではなく、"元々その土地に住む微生物たちを活かす"という発想にも惹かれます。
サイトで観た「光る野菜」「キノコ菌」「畑で微生物の放し飼い」この3つの言葉と写真に直観的に反応し、気が付くと、今ここに居るという感じです。
http://freett.com/tenuki/jissen/rei2.html
(百姓モドキの有機農法講座 実践2)
投稿: 山本 太一朗 | 2011年2月17日 (木) 00時15分
こんにちは
リンク先を色々と見てみました。農家の方が「緑肥」は凄いよと言っていた物と同じ様ですね。
うろ覚えですが作物の出来が悪い時は畑に作物事鍬混む事を「緑肥」と言うようで、その後は良い作物が出来るそうです。
化学肥料の裏話ですが、化学肥料と爆弾の原料は非常に近い関係です。空気中の窒素からアンモニアを作る事から始まるのですが化学プラントを維持するために爆弾以外の用途が必要な訳です。
20世紀は金と鉄砲玉の世界でしたが21世紀は違うのでしょう。
エンドファイトの事ですが「共生細菌」と呼びませんか?
明治時代の先輩はカタカナ言葉を意味や概念も含めて漢字にして居ました。個人的にカタカナ言葉で煙に巻かれる事を多く経験していますので、意味を理解し漢字に翻訳する挑戦をしています。
早い話が霞ヶ関の施策なのですが(笑
投稿: kazu | 2011年2月17日 (木) 01時41分
山本様、炭循農のご報告、詳しい資料と共にありがとうございます。1年ほど前から炭循農栽培で家庭菜園をやってきました。いろいろな方のブログで炭循農栽培のやり方をみてあれこれ試してきました。材料が素朴にもかかわらず、短期間で土が変化していくことに驚きました。野菜は元気で丈夫な感じです。
私の住まいは口蹄疫が猛威をふるい、現在は鳥インフルと新燃岳の火山灰降灰の脅威おさまらない場所にあります。知人には食の不安をもち始めた人もあり「あなたの無肥料・費用最小限の栽培法おしえてくれない ?」といわれることがあります。落ち葉と雑草と野菜くずとヌカ少々を土の上部とまぜ水をまく、と説明は簡単なのですが、山本様のようなご体験のお話と資料、人にもご紹介できて助かります。
火山の爆発は目の前で機関銃が発砲されたような音がします。腕をみがき続け、必要なとき、人さまにお伝えできるようなりたいと思っております。どうぞこれからもよろしくおねがいします。
投稿: kirako | 2011年2月19日 (土) 20時39分
kazu さま、皆さま
・こんにちは。
・たんじゅん農は、ことさら新しい農法ではないと思っています。昔から同じような方法で作物を育てていた人たちは、きっと沢山いたことでしょう。緑肥(作物残渣)を土に鋤き込むのも、そのひとつです。
・kazuさんが仰るように、日本は敗戦後、復興と食糧増産のため、爆弾の原料が化学肥料に転用されて、組織と共に全国に普及することとなりますが、それ以前の時代には、誰しもこれなしに野菜やコメを育てていたはずです。
但し、肥し(肥料)を使っていれば、原理的にはたんじゅん農とは異なりますが。
・農園長の大谷さんが上手に説明されていました。たんじゅん農は、「"微生物のエサ"となる炭素資材を畑の土に入れて、微生物を触媒として作物を育てる方法」肥料(N:チッソ、P:リン酸、K:カリ)を水に溶かして、作物に直接吸収させる(肥培する)訳ではありません。
ですから、畑や田んぼの土の中に、多様な微生物が生きて(活性化して)いることがポイント。病原菌や害虫と呼んでいる生き物も、実は「食べても健康にはならない弱った作物を、畑で始末してくれている」と分かれば大切な役回りを担っています。
○「殺す」のではなく「生かす(活かす)」農法
○「人間」が先生ではなく、「自然」が先生
・その意味で、たんじゅん農は「自然と向き合う農法」とも言えます。
人は”微生物のお世話係”として、炭素資材(例えば、作物残渣、落葉や剪定チップ、廃菌床、生ゴミetc.)を土と混ぜ、さらに通気不良や水分過剰で"住処(土壌)"が腐敗化しないようにだけは心配りをします。「畑で微生物を放し飼いする」という感覚です。
そうすると、実に美味しい作物は、微生物たちが育ててくれます。 やがて生態系としての畑のバランスがとれてくると、自然の雑木林と同様で、病原菌や害虫は存在したとしても、やたらと被害が拡大するようなことはなくなるようです。
それから人も、薬剤などで健康を損なうこともなく、むしろ生命エネルギーに溢れた大地からの気の循環のような作用もあるのか、元気をもらい、癒されるような感覚さえあります。
・そして、たんじゅん農を実践する人たちが各地に増えれば、次のような社会レベル、地球レベルの好循環も起こります。
○ 農薬や肥料で汚染された大地と水が浄化され
○ 荒廃した竹林・山林も炭素資材の供給源として蘇り
○ 治山の結果、治水も安定
○ 安全で美味しい作物を食べて、みんなが健康!
「実践する人」は、何も農家の方に限りません。むしろ「これはいいかも!」と"気づいた人ならどなたでも"、と私には思えます。
家庭菜園から。ベランダのプランターから。休耕農地から。既にそうした胎動を観じています。
21世紀は、こんな風に行きたい(生きたい)ですね。
>エンドファイトの事ですが「共生細菌」と呼びませんか?
>明治時代の先輩はカタカナ言葉を意味や概念も含めて漢字にして居ました。
・そうですね。私も賛成です。
投稿: 山本 太一朗 | 2011年2月20日 (日) 15時04分
kirako さま
・コメント拝受。ありがとうございます。
・お住まいの地での度重なる異変の体験は、とても私の想像の及ぶものではないと思います。かつて鹿児島(嫁さんの実家)で、日常の降灰にさえ驚いたくらいですから。
幸い私の居所では、これまで日常生活を脅かされるような災害や荒天の影響もなく過ごせていますので、出来得る範囲で「未来に平和と豊かさを手渡せるよう、自らの暮し方を見直しつつ、生活の技術を一つ一つ身に付けていく」ことに勤しむようにしています。
・たんじゅん農のこと、資料などは必要であればどうぞご利用下さい。
また、「たんじゅん農法の広場」主宰のしろさんが、今年も全国を回られての集い(実践交流会)を催されていますので、機会があれば是非ご参加下さい。
ブラジルの林さんは、今年は秋頃に来日されると伺っています。綾町なども会の候補地になるかもしれません。
http://tanjunnou.blog65.fc2.com/blog-category-1.html
(たんじゅん農法の広場)
投稿: 山本 太一朗 | 2011年2月20日 (日) 15時09分