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2011年2月 8日 (火)

藤原直哉の「21世紀はみんながリーダー」 2011年2月8日 これから本当の楽市楽座

これから本当の楽市楽座

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コメント

 そろそろ生活と労働を切り離す工夫を考えたほうがいいかもしれませんね。

 社会を様々な社会的領域が分化したものの総合体であるという考え方もあります。正式になんといっているかはわかりませんが、私は便宜上「社会領域機能分化論」と呼んでいます。

 さて、社会領域とは何か。社会における「価値のそれぞれの分野」をそれぞれごとの領域に分けて考える場合、その構成要素ともいうべきものだとお考えください。

 例えば、社会における重要な領域は、「経済、軍事、科学、政治、医療、福祉、教育、雇用、思想」など様々なものに分化してそれぞれ独立して存在しております。理想的には、これらの領域が「等価であること」ですが、さすがにそれはどんな社会体制においてもありえません。

 例えば経済成長が求められる時代、まず社会が優先する領域とは何かを考える場合、単純に見れば、「経済」です。また、「経済」を発展させるためには「科学」などの発展も重要です。したがって、20世紀、高度成長が求められた時代(あるいは、発展が善とされた時代)では、社会の領域の力バランスは以下のようになるかと思います。

「経済」≒「雇用」>「科学」≒「軍事」≒「教育」>「政治」>……最後らへんに「宗教」など

 これは、ある意味当たり前のことです。社会全体が成長を求められている時代では、特に「経済」が優先される。サーカーの「社会循環論」でいうところの「富裕者の階級」が勢力を持つのは、このためです。

 また、「経済」を発展させるためにはやはり「科学」の発展に伴う技術革新が求められるし、当然技術が発達すれば、「軍事」なども伸びます。また、「科学」を発展させるためには「教育」も必要です。だから公教育に一層力がそそがれる。

 そしてそのためには「政治力」も必要。時代の要請に応じた政策を「政治」が行うようになる。

 ただ、この時代においてはどうしても「芸術」「宗教」などは領域の力が低下せざるを得ない。当たり前です。目に見えるモノを発展させるためには、唯物論に反するものがどうしても軽視されがちとなるからです。

 もちろん、社会主義国のように独裁体制である場合はこの構図は異なります。

 ではソ連を見てみましょう(もっとも、これは私の「個人的な見方」によるものです。異論も多いかと思いますが)。きわめて大雑把ですが、こんなところでしょうか。

 「政治」≒「軍事」≒「教育」≒「外交」>「思想(イデオロギーと言った方がいいかもしれない)」>「福祉」>「経済」(ソビエトは、効率的であるかは別として、一応は経済成長は目指してはいた)>……「芸術」>「宗教」

 こんなところでしょうか。「教育」がトップクラスに(私が個人的に入れている)入っているのは、思想教育を施すうえで、公教育が共産圏においてきわめて重要な役割を担っていたからです。「政治」や「軍事」に関してはいうことはないでしょう。ただ、「思想」の項目がこれらよりも落ちる(と私が判断した)のは、実はソ連共産党幹部自体が、マルクス主義そのものを信じていなかったという証言からです。ひどいのになると、マルクス主義の「マ」の字も知らないで国家の中枢に上り詰めた者もおります。あくまでも人民をコントロールするための手段としての機能が強い。だが、それはソ連の「警察権」などには遠く及ばないものです。ソ連は、レーニン時代からすでに裁判所はテロルを黙認するよう指示が出されておりましたし、その時に後のGPUやKGBの母体となるチェーカーが作られておりました。よって、新たに「警察権」を領域として加えるならば、それは「思想」よりも上位にあったと考えても間違いない(とくにスターリン時代がそうでした。ただ、大粛清に手を貸したエジョフは、その後自身も大粛清の犠牲にはなっておりますが)。おそらく「政治」や「軍事」と対等以上のものであったでしょう。

 北朝鮮は、多分新たに頂点に領域を加えるとするならば、それは「将軍様」でしょうか(笑)。まあこんな形かな。

「将軍様」>>>「思想(主体思想)」≒「軍事」≒「政治」≒「外交」>「科学」>……>「経済」≒「宗教」≒「生活」

 あの国では「経済」も最低ランク。これは結果としてそうだという意味ではなく、国策自体がそうだという意味です。

 北朝鮮では闇市の横行などで一部富裕層が力をつけ始めておりました。その時に「デノミ」が行われ、「将軍様」の独裁体制を脅かしかねない「経済」の発展を阻害したのです。これは国策によるものでした。

 さて、今なぜこんな話をしたのかというと、もうそろそろ日本は「雇用」と「経済」と「生活」というそれぞれの領域を切り離す工夫も必要なのではないかということを言いたかったのです。

 まあこれも私なりの(しかもかなりいい加減な)見方にはなるのですが、多分今の日本社会はこんな構図になっているかと思います。

「経済」≒「科学」>「雇用」≒「教育」>「生活」(この辺りの領域は少し自信がない)>「軍事」>……>「宗教」

 自分で書いておきながらアレなんですが、はっきり言って自信がないです。ですが、自分なりに説明させていただきますと、「経済」がいまだに優先事項が高いのは、これは仕方がないでしょう。リーマン・ショック以降、さすがに拝金主義という考えは衰退したとはいえ、それでも影響力の大きさはまだ健在です。ただ、相対化の途上にあるのは間違いないです。

「科学」に対する信頼もまだまだ揺らいではおりませんが、一部で例えば「死後の世界」や「輪廻」などに関心を寄せる若者も増えており、「科学」以外の価値観にも目を向けてみようじゃないかと一部「科学」の相対化は起こり始めております。もはや万物の知としての「科学」というのは無理があるような気もします。まあこれは、いずれ藤原先生のおっしゃるロハス社会が次第に顕現してくるようになれば、もっと顕著に見られるようになるでしょう。

 そして「雇用」や「教育」ですが、ここでいう「雇用」とは、「雇用に向けての関心や失業支援者などの努力」も含んでいっております。まあ本当の社会学者とかはこんないい加減なことは言わないんだろうけど(笑)。あくまでも素人考えなので、その程度でとらえていただいて結構です。

 そして「生活」は実はこれらよりも下なんですよ(笑)。これは「生活水準」の低下というよりも「国民幸福度」などから私が勝手に判断している。「生活」の中での幸福感、充実感とか。これは先進国ではかなり低い方です。なのでこんな感じですね。なぜ幸福感にこだわったかというと、これ以上「生活水準の向上」を論じても、あまり意味がないと思ったからです。いい例がGDP成長率でしょう。あんなものは当てにはならなくなりつつある。中国なんかがいい例です。中身が空っぽのゴーストタウンだらけで日本を抜いたとか言っても意味があるとは思えません。

 そして「軍事」これは、昨今の中国や北朝鮮脅威論などからある程度高いレベルで重視せざるを得ないため、結構影響力があると思っております。後はまあ他にも色々な要素もあるが、詳しくは書きません。ただ、例のごとく「宗教」は片隅という扱いですかね(笑)。もともと日本人自体が無宗教的なところもあるし。アニミズムはあるんだけど。

 先ほども申した通り、各領域の要素が全く対等になる社会というのは、おそらくありえないでしょうが、一方で各領域間のバランスを是正し、可能な限り水平状態に近づけることは出来るかもしれない。

 そこで、「経済」「雇用」「生活」なんですが、実は、これらの領域は上で説明した通り、
「経済」>「雇用」>「生活」
みたいな関係になっていると(私は)思っている。要はこれを可能な限り
「経済」≒「雇用」≒「生活」
のような形にもっていきたいが、そのためにはこの3つの要素の独立性を強める必要があり、それぞれの領域を尊重するような方向で持っていければいいかなということです。

 例えば最近ベーシック・インカムなども議論に上ることがあるが、推進論者の言い分として、可能な限り「経済」と「雇用」を切り離して独立させるという狙いがあるようです。着眼点としては悪くはないと思う。

 ただ、私個人としては、ベーシック・インカムのようなやり方でなくとも、何らかの社会的なセーフティネットを用いることで、「経済」「雇用」「生活」の3つを区別できないかと思っております。やはり、いきなり毎月数万円の所得保障では、抵抗も大きいだろうし財源などの問題もある。それに、これも基本的には「経済」の観点から語りすぎているような気もします。この辺りは、もしかしたらkazu様のほうが私などよりもお詳しかもしれない。実際、水道などのことで役所と孤軍奮闘しておられるようですし、それならば当事者のご意見のほうが参考になるかと思います。

 それで、なんでこんな話をし出したのかというと、最近労働についてを考えていくうちに果たして世の中に「本当に必要とされる労働とは何ぞや?」とふと疑問に思ったからです。

 以下がベーシック・インカムの賛成論の方の記事ですが(私は構想は悪くはないが、実現は難しいと考える立場です)

http://www.ippongi.com/2011/02/06/%E5%AE%9F%E3%81%AF%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%A0%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E3%81%AE%E3%81%AF%E5%87%84%E3%81%8F%E3%81%84%E3%81%84%E3%81%8B%E3%82%82/

 この記事でもあるように、いわれてみれば、今の社会って「仕事を生むための仕事」が圧倒的に多いような気がします。しかも大半が「いやいやながら生活のためにやっている」という場合が多い。要するに、「経済」の領域が大きすぎるがゆえに、「生活」の領域が侵されて従属的な扱いとなっている。これを完全に水平状態とまではいかないまでも、ある程度緩和できないかと。

 技術の革新で、昔多大な労力と時間を費やした作業でも、今では短時間でそれほど手間暇かけずにこなせるというものも結構存在するのではないか。

 大本教の出口王仁三郎は、「農業だけが実業、他はすべて廃業」としております。極端な言い方ですが、本来労働というのはそれくらいコンパクトなもので、しかも「生活」に対してそれほど割合を占めるものではないのではないか。だから彼は「一日2~3時間程度の労働で十分」と語っているのだと思います。

 まあただ、いきなり医療や消防署などがなくなるのも困るし、そういう人命に関わる仕事も必要なわけで、そういう仕事には負担に応じた報酬を与えるとか工夫は必要かと思います。

 実は、現在においてこの出口氏と同じようなことを言っている人物がおります。皮肉なことに、それがあのホリエモンなんです(笑)。彼は「希望論」という著書の中で、「農業・漁業以外の労働は全然尊いとは思いません」とはっきり述べている。出口氏と同じことをまさか彼のような人物が語るとは思いませんでした(笑)。

 でも、本来の労働の位置づけってそんなものなのかなと思う時があります。これをはるか以前に指摘した出口王仁三郎という人物は本当にすごい。

 まあいきなりそこまでいかずとも、労働にたいして徐々に見直すいい機会かもしれません。若い連中だって、やりたくもない仕事をいやいやながらやったって効率も上がらんでしょうから(笑)。

 あと、ホリエモンついでにこんなものも見たのですが、まあ私の感想としては、彼の言わんとしていることはよくわかるが、時期が尚早だったし話し方も悪いというのが感想ですね。でもいずれ言っていることの意味が正確に伝わる時は来るかもしれない。

http://www.youtube.com/watch?v=tcCH2fUTGF4&feature=related
 
 この動画の結果、彼は「売国奴」として現在徹底的にたたかれておりますので、多分こんなことを書けば、私も「トンデモ」や「キ○ガイ」の類といっしょくたにされてしまうのでしょうが、言いたいやつらにはいわせておけばいい。大体他者を笑い者にして悦に浸るやつらなど、所詮その程度。何事にも相対的な判断しかできない連中など、他人の評価を気にしながら動く小役人と同レベルですから。

 これは、多分こういうことなんだと思います。確かに今までは国家間の問題について語る場合、軍事力などのパワーバランスの関係を重視して、そこの部分から語るということがメインだったのだが、今やネットもあるし、例えばツィッターやらフェイスブックみたいな「民衆が個別に意見を表示できる手段」も豊富にある。ウィキリークスもある。経済だってグローバリズムの結果、国家間同士で緊密に結びついている。そんな中、ただ「軍事など」の限られた項目から語られる「国際状況」というのが、果たして現状に即しているのかという疑問提示だったのだと思います。それはわかる。

 ただ、現状として北朝鮮や中国のようなそもそも19世紀の感覚で動いている国家もある以上、時期は尚早という感は確かに否めません。私自身も中国の尖閣諸島に関する一件は決して妥協してはならないものだと思っております。だから以前にKOWN様と徹底的にやりあったのです(笑)。

 ただ北朝鮮も中国も、崩壊はいずれ時間の問題であるとは見ていますので、彼の言わんとしていることにも理解はできる。実際、チュニジアで始まった「革命」は様々なアラブ諸国に飛び火しておりますし、その中には中国が少なからず支援している国家もあります。そういうつながりを考えるのであれば、いずれは中国まで飛び火することも考えられなくもない。もし民主化が世界のいたるところで起これば、少なくともこれまでの国際感覚もまた違う性質を帯びてくる可能性は大いに考えられる。ただ、現在では絵空事というか、どうしても机上の空論になりがちなのは確かです。人間は所詮目先か過去しか見られないものですから。

 では、現在の社会領域のそれぞれの関係を世界レベルで見たらどうか(ただし、私もごく限られた視点でしか見られない人間ですので、どうしても当てはまらない地域が出て来るし大雑把なものにはなると思います)。

 少し過去にさかのぼりながら見ると、例えば1930年代などは、「軍事」≒「外交」が優先。「経済」は不況でどこも抜け出せずにいたのが実情。特にこの中で頭角を表してきたのがナチス。ナチスは「軍事」「経済」「外交」でいずれもヨーロッパを凌駕し、席巻した。

 第2次世界大戦後は、冷戦終了後をメインに語ると、おそらくは「経済」≒「科学」が最優先。ただし、アメリカという超大国があるため、「軍事」の影響力もまだまだ健在。

 現在は、「経済」が世界的に落ち目。さらにアメリカのアフガニスタンでの失態やイラクの泥沼状態など、「軍事」に対する権威の失墜(もちろんまだまだ影響力は大きいが)。その一方でネット網の発達と冷戦体制崩壊による「情報」の拡大など。すなわち、

「経済」↓(世界中で富裕層が資産を目減りさせているらしい。単純な格差の拡大というよりも世界的な貧困化が進んでいるという指摘もある?)
「軍事」↓(ただし、中国など一部軍拡に走っている地域もまだ健在なので、低下の割合は「経済」ほどとは言えない?)
「情報」↑(植民地時代に確か庶民が情報を得るための新聞が生まれたと思ったが、その時の「情報革新」に比べても今の「情報」の拡大は大きいものがある。ただし、まだ「経済」や「軍事」、あるいは中国の「政治」「外交」に匹敵するような段階にはない?)

 こういう風に考えると、確かに動画でホリエモンや東浩紀氏が語った内容もわからなくはないが、ただ時期尚早である上に説明の仕方が悪い(笑)。

 要するに、それが遠い未来であれ近い未来であれ、例えば「軍事」≒「経済」≒「外交」≒「情報」が実現しうるような世界情勢であれば、確かに彼に賛同を示すものが多かったとは思います。まあそのきっかけとしては世界に点在する独裁国家の民主化が第一条件とはなると思いますが、まあそこをクリアしないことにはさすがに(笑)。

 で、なんでこんなことを長々と論じたかというと、きっかけは、実は尖閣諸島をめぐっての過去のKOWN様とのやり取りの後でした。

 あの時私はナチスに対してイギリスをはじめヨーロッパの融和政策がヒトラーを助長させ、大戦争を引き起こしたという見解を示しましたが、それ自体は間違いではない。ただ、その後の展開を「読み違えたから」です。

 あのやり取りの後、民主政権はあっさりと中国船長を解放しました。これに対しては現在でも怒りはあります。ですが、その後の展開はかつてのナチスのようなものではなかった。

 中国はその後逆に国際社会から非難され、挙句の果てにはノーベル平和賞という「原子爆弾」を落とされ(笑)、共産政権に少なからぬダメージを与えた。多分これはボディブロウのように、後になって徐々に効いてくるものだと思います。要するに、かつてのナチス・ドイツのように、ラインラントを手に入れたから次はザール、オーストリア、ズデーテン地方と簡単にはいかなかった。尖閣の領有権を獲得した後は沖縄だ台湾だとスムーズに事が運ばなかったのを見て、「私の見方には何かが欠けている」と思ったからです。

 もちろん、今でも虎視眈々と中国共産党は領土拡張を狙ってはいるし、武力が駄目でも日本の土地を買い漁るなど、経済面での侵略も行っており、油断はできない状態です。

 ですが、これからの時代、単純なある一つだけの「社会領域(たとえば軍事とか経済とかそれ単体だけ)から判断するのでは、読み違いが発生する可能性が大きいのではないかと。

 確かあの船長解放直後、藤原先生は「解放はいいタイミングだ」みたいなことをある方のコメントに対するお答えでそうお返事されていたと思います。私の記憶違いでなければですけど。

 その時、私は生意気にも内心では「そりゃ違うだろう」と思っておりました。これで中国がますますつけ上がるのではないかと。その後賠償金をよこせとか確か中国も言ってきたはずですから、実際藤原先生に反論しようかと考えたこともあります。ですが、今からしてみれば、藤原先生のおっしゃることのほうが正しかったわけです。

 多分、藤原先生は私も含めて他の大多数とは異なり、複数の社会領域的観点から判断されていたのだと思います。私ごときの低レベルな見方では到底見抜けるはずもない。改めて自分の未熟さを実感いたしました(笑)。

 すいません、こんなに長々と。まあ酒飲んで酔ってますので、書いていることはかなり支離滅裂かもしれませんが、お時間があるのであれば目を通していただけたらと思います。では今日はこの辺で。

投稿: +9 | 2011年2月12日 (土) 00時37分

こんにちは

+9さん話は長いのですが重要な示唆を含んでいますね。

>要はこれを可能な限り「経済」≒「雇用」≒「生活」のような形にもっていきたい

これは自営業そのものですよ。自分の生活を確保するために、自分を雇用して経済活動を行う。

個人事業主と言う立場が現実的には何のセーフティーネットもありませんね。廃業して労働者になるか?生業扶助と言う生活保護になるのか?

日銭が入るような商売ですと銀行と相談する事も出来ますが、私のような開発の仕事になると金の出入りが極端な上、技術的な価値は銀行の能力では理解できません。

製造業では銀行が理解できない価値を持っている所が沢山あるのですが、霞ヶ関の「技術は研究所や大学に存在する」と言う化石のような考えで世の中が動いています。

実際は大学や研究所からの図面で物が出来る。と言う話は聞いた事がありません。職人が旨く帳尻を合わせているのですが、測定方法が無いような図面ですので研究者も検証できない。

町工場で開発を行い足りない知識を大学や研究所から引っ張ってくるような仕組みに改めないと科学の進歩も先が見えています。

エマルジョン燃料の話が正に証明していると思います。現実には金がないと先生を引っ張ってこれないのですが(笑

ベーシックインカムについては田中康夫さんが国民新党に提唱され採択されているようですね。

最初は乞食のような。と抵抗があったのですが、現実の話として暮らすためにサラ金やカードローンを利用している人は多いのではないでしょうか?

りそな銀行のカードローンは18%の金利、信用金庫の事業ローンでも11%。金を貸さない銀行がサラ金になっているだけですね。

経済成長率はマイナスでしょうから、ローン返済のためにベーシックインカムを利用する事で精神的な余裕と経済回復のタイムラグを短縮できる効果があるのではないかと思っています。

郵貯が国有化されていれば、もっと荒っぽう事も出来るのでしょうが現状では生活のために金融機関を破壊する事も出来ないでしょう。

使うお金が無くて長期の不景気に陥っている訳ですから、資本家(生産側)よりも消費側に配分を増やした方が経済が自律回復するのですが、霞ヶ関は自分の事しか頭にないようですね。

この辺りは大阪藤原塾の話が生々しいですね。

ベーシックインカムは長くて2年でしょう。半年ごとに目標を定めるような条件を付けて最後の半年は実際の仕事をしながら21世紀の労働環境への移行を目指すのがよいと思います。

役所ではなくNPOを最大限に活用した方が効果が高くなると思います。

厄人に関しては予算が成立しなくて勝手に辞めて行く絶好のチャンスと思っています。権限と責任が伴っていなくて、監査も身内で機能しない。

財源は特別会計で楽に出てくると思いますよ。

投稿: kazu | 2011年2月12日 (土) 02時07分

みなさん、こんにちは。いつもありがとうございます。お二人のお話し、真にそのとおり、良いお話を本当にありがとうございます。おっしゃるように組織をどうするかということ以上に働くこと、生活することの意味をもう一回納得いくまで考えて作り直さないとなりません。それがあいまいのままでは何をやっても腹に力が入りません。エジプトでムバラク大統領が辞任しましたが、中国でもサウジでもみんな今のリーダーたちは戦々恐々でしょう。外からの攻撃には結構耐えても、中からの反乱は大変です。同時にエジプトではムバラクが6兆円の財産を蓄えていたそうですから、これから一族と言わず眷族と言わず、経済界全体に粛清の嵐が吹き荒れますね。軍が政権を掌握して軍事政権になったわけで、彼らは経済はわからなくても破壊と整理は得意ですからね。みんな昔とはすっかり姿が変わってくる、それが新興国のこれからだと思います。ということは日本はやはり足元から立て直しです。本当にお二人がおっしゃるように根本から考え直してやり直したらいいと思います。それができる時でもあります。

銀行員が経営や技術がわからないこと、これも真におっしゃる通りで、やはり呼び水投資を行う興銀を創らないとどうにもなりませんね。今年の政治情勢いかんでは結構早く進むかもしれません。日本もエジプトと同じような部分がたくさんありますからね。変わったら徹底的で早いと思います。

ありがとうございます。どうぞますますご活躍ください。

藤原直哉 拝

投稿: 藤原直哉 | 2011年2月12日 (土) 08時55分

 藤原先生、kazu様、コメントをありがとうございます。貴重なご意見、ご感想を参考にいたします。

>ベーシックインカムについては田中康夫さんが国民新党に提唱され採択されているようですね。

 おお、そこまで話が進んでいたのですか。いやはや私も世事には疎い(笑)。最近はテレビとかあまり見ませんから、どうしても自分の考えに都合のいいものをネットで取捨選択しがちですね。でも、そこまで話が進んでいたのなら、もしかしたら完全に机上の空論とはいえないかもしれないですね。

>ベーシックインカムは長くて2年でしょう。半年ごとに目標を定めるような条件を付けて最後の半年は実際の仕事をしながら21世紀の労働環境への移行を目指すのがよいと思います。

 なるほど、期限付きで効果を見極めつつ、資本主義後の経済体制移行に備えるというわけですか。それもいいですね。多分その後の社会は今のような成長を前提としたものではないので、その準備期間中に新しい社会の構想を模索するのも一つの手かと思います。

>財源は特別会計で楽に出てくると思いますよ。

 財源はよく話題になるので私も気になっていたのですが、特別会計から捻出できますか。なるほど。反対派の意見などでは結構難しそうな事を言っていたので無理かなとは思っていたのですが。

 それで、改めて私の考えなのですが、社会のセーフティネットに関してなんですが、これは今の「生活保護」「失業保険」のような「社会制度」としてのセーフティネットというよりは、例えば村や地域などの小集団内における「自発的かつ自然発生的な」ものを私は考えております。

 どういうことかというと、ちょっと以下のサイトを参考にしますが、

http://blog.goo.ne.jp/hitsuku/e/485acefb338155020ddbe2cf2ad9e63b

 副題にあります通り、まさに「互いを評価しあう幸福を学べ」る緩やかな連携なんです。詳しくは本文中の「仲間を尊重する仕組みづくり」のポイントという部分を参照していただきたいのですが、その少し先のこの部分を引用すると、

>この村の人々は、皆がお互いを助け合い、評価し合いながら生活している。ある意味、とても幸せなことだ。高齢者が多いこの村では、日常生活において必ず誰かの助けが必要となる。

 これが21世紀型のセーフティネットなんじゃないかと。これがはたしてベーシック・インカムやそのほかのセーフティネット案に代替できるものかはまだ未知数なのですが……。

 例えば仕事がない、働けない状態でも、まあ現在でも生活保護みたいなものはあるが、それを悪用するケースも結構あるし、本当に保護を受けなければならない立場にある人が受けられなかったりすることも多い。これはどうしても「社会制度」である以上、抜け穴や不備は出てくるし、仕方がありません。

 でも上記の場合だと「制度」という論理システム上での話ではなくなるから、ある意味柔軟に対処できる。藤原先生が常日頃からおっしゃっている「個別の花の横のつながり」を「自然に実現」したものです。

 私の狙いは「経済」や「生活」、「雇用」を切り離して考えることだと以前書きましたが、、こうなると、「経済」という領域が持つ意味、概念がそもそも変わってくる。

 kazu様のおっしゃる通り、現状では「経済」≒「雇用」≒「生活」となると、それは個人事業主ということになる。しかし、実はこれは「自分で稼いで所得を増やした上で自分の雇用を守り、かつ自分の生活も守る」ということを意味するもので、やはり「経済」>「雇用」>「生活」という従来の観点から語られている側面も強い。すなわち、「経済」の持つ意味がまだ「成長、保身」という側面が強く出ている(もちろん中には実現とか様々な意味もあるのでしょうが、大雑把にとらえております)?

 個人事業主と言えば、最近ではアフィリエイトとか個人でも利益を生み出しそれで生活を行っている人も多くなっていると聞いたが、私はそれでもやはり限界があると考える。あれもかなり高いセンスや技術が必要で、実際詐欺まがいのものも横行しているらしいし、成功している人の数はおそらく個人事業主にはまだ及ばないのではないか。

 しかし、もし「経済」が本来の意味での「経世済民(でしたっけ?)」の形で用いられるとなると、今までのような「所得を増やす」「成長をする」「自分の生活、雇用を守る」という観点からでのものではなくなるから(表現が下手ですが、言わんとしていることは理解していただけると思います)、もしかしたらより「経済」「雇用」「生活」の3つの分野を切り離しやすくなるのではないか(表現方法が悪くて分かりにくいですが)。

 だから、例えば失業などで収入がなくなるとしても、それで「経済」が全くの0ということにはならない?「経世済民」が従来の意味で用いられるとしたら、例えばお金や数値で表せないようなボランティア的な行動でも十分「経済」の領域をカバーできることになる?と考えることもできなくないか。

 また、そういう失業中の人間に対して、上記のように

>この村の人々は、皆がお互いを助け合い、評価し合いながら生活している。ある意味、とても幸せなことだ。高齢者が多いこの村では、日常生活において必ず誰かの助けが必要となる。

となれば、失業に対してすくなくとも「生活」の領域が従来ほど脅かされるわけではないから(助け合うなどで)、「経済」の領域が著しく「生活」を侵犯するということもなくなる?

 また、「雇用」にしても、直接金銭のやり取りをするケースが発生しない(もしくは限られたり少なくなる)ため、ある意味「仕事(もしかしたらその時には仕事とはいわず、協力とか地域貢献とか言われているかもしれない)を頼んだり頼まれやすくなる」分、必ずしも「収入を伴った雇用」ではなくなるため、これも「経済」や「生活」など他の領域から独立させることも可能?と言えるのかもしれない。

 もちろん、かなり私に都合のいい楽観論でしかありませんし、いきなりそこまでいくとは思えないが、これが21世紀型のロハス社会の基本的な理念となるのかなと。

 まあ基本は「情けは人のためならず」なんですけどね(笑)。

投稿: +9 | 2011年2月12日 (土) 23時20分

こんにちは

+9さんはマネーを日銀券に限定して考えて居られるのではないでしょうか?

「エンデの遺言」で様々な地域通貨の話が紹介されています。NHKが製作してのですがYoutubeに英文タイトルで残っていると思います。

日本銀行券が必要不可欠な産業としては製造業などの2次産業なので、1次産業や3次産業では地域通貨で、在る程度は経済が回ると思います。

パソコンの修理をボランティアで行っていた事がありますが、年を取った方ほど料金を取ってくれと言われ世間相場と遜色ない金額を頂いていました。飯を御馳走になったり良くして貰っても料金は取ってくれと言われます。

この様な経験から当分の間は貨幣経済が劇的に変わる事は困難ではと思っております。

緩衝的措置として地域通貨の存在を考えていますが、過去に失敗した実績がありますので名称を変えないとアレルギーが出ると思います。

漁師の採ってきた魚と農家の野菜の交換は比較的スムースに行きます。場合によっては金銭が絡む事もなく。流通サービスで費用を魚と野菜で貰っても何とかなり立つと思います。

では、船や自動車と野菜や魚と交換できるかというと結構な困難が発生すると思います。

興銀でも地域通貨と日銀券を扱う興銀があっても良いと思います。銀行と言うより両替所と言う機能が高くなるかも知れませんが。

今の私の考えは直近の数年間を想定していますので、10年以上経つと+9さんが言われるような世の中になっているのが理想と思う人が多数を占めているのかも知れません。

同じ話題を話しているようですが、時間的なズレが誤解を生むような話に成りかねませんので、そこの所は考慮して理想社会を目指して行きましょう。

地域通貨に関しては「物々交換券」と考えています。物々交換で成り立つ物は地域通貨で決済し、仕事が不調で在ればマイナスの地域通貨を保持する事で生活は維持できます。

サービスに対するチップとかアイデアに関するチップとか今の貨幣経済ではやりにくい事も可能になると思います。

書類上は色々在るのでしょうが、地域通貨の原資は天からの恵みですから地域が住みやすくなると勝手に増えて行くと思います。

観光旅館などで決済の一部を地域通貨にすると旨い物が1品多く付くとか?両替は日銀券に対しての両替です。交換レートも地域によって違うでしょう。魅力が高い特産品があると高いレートでも交換が成り立ちます。

地域通貨協定も可能かと思います。ズワイガニなどは水揚げされる場所で名前が違いますから、こう言う所は協定が結べるのではないでしょうか?

ボランティアに対しても交通費以外の部分は地域通貨で対応し地域のファンに成って貰えば移住する時の原資や宿泊無料券の様にも使えます。

興銀と地域通貨と地域産品を柔軟に組み合わせる事が「金の要らぬ世の中」なのではと思いますが如何でしょうか?

投稿: kazu | 2011年2月13日 (日) 02時08分

藤原先生の空即是色の解釈は「トランスパーソナル心理学」の説と共通する様ですが、
先生は心理学の研究もするのですか。

投稿: 伊租甫 | 2011年2月13日 (日) 07時32分

 kazu様、またまたコメントや指摘をありがとうございます。

>+9さんはマネーを日銀券に限定して考えて居られるのではないでしょうか?

 そうでした、どうも私も従来のマネーの観点から抜け切れていないようです(笑)。これではまだまだ「経済」>「雇用」>「生活」の観点から語っているといわれても仕方がない(笑)。私もまだまだ見方が浅かったです。

 どうしても私の世代だと、日銀券を前提としたマネーを考えがちです。まあそれが身近にありすぎて他の可能性を見落としてしまいがちになるのでしょう。

> 今の私の考えは直近の数年間を想定していますので、10年以上経つと+9さんが言われるような世の中になっているのが理想と思う人が多数を占めているのかも知れません。

 そうですね、性急すぎましたし、理想論過ぎました。ただ、まだ21世紀に入ってせいぜい10年、いずれはそのような形になっていかざるを得ないのかなと思って、ついつい先読みしすぎましたね(笑)。

>地域通貨に関しては「物々交換券」と考えています。物々交換で成り立つ物は地域通貨で決済し、仕事が不調で在ればマイナスの地域通貨を保持する事で生活は維持できます。

 なるほど、地域通貨ですか。確かに私の考察からは欠けておりました。やはりその一線で活躍しておられる方はもっと見方が深いですね(笑)。私の場合、どうしても自分の狭い視野で見てしまう。

投稿: +9 | 2011年2月13日 (日) 09時02分

こんにちは

「エンデの遺言」です。
http://www.youtube.com/watch?v=3YeagjqoDpk
6分割されています。

5/6に失業中の若者の話が出て来ます。
http://www.youtube.com/watch?v=LutghTEf3hw&feature=related

他にも電気店で一定割合を地域通貨で支払う話も出て来ますが、割合は仕入れにかかる金額が共通通貨(法定通貨、日銀券など)利益部分が地域通貨の様な感じです。

個人的には通帳型地域通貨が偽造防止などの観点から良いと思っています。

投稿: kazu | 2011年2月13日 (日) 11時14分

地域通貨に関する動画ですね、ありがとうございます。早速拝見させていただきます。どうしても一人で考えていると、考えが偏りがちになりますね(笑)。でもこうして情報交換がしやすくなったのも現代ならではの長所ですね。

投稿: +9 | 2011年2月13日 (日) 17時48分

みなさん、こんにちは。いつもありがとうございます。

大変興味深いお話をありがとうございます。私自身も大変勉強になります。

空即是色・色即是空ですが、私がここで言っているのはよく量子物理学の中で言われる空即是色・色即是空で、エネルギーと形が行ったり来たりしているという部分です。心理学も昔多少勉強したことがありますが、特にこの部分を心理学で語っているというわけではありません。この言葉、もともとは仏教であり、宗教の言葉ですから、神仏の立場から語れば無辺無相、無始無終無限絶対の大宇宙の営み、そして神仏の経綸という立場からこの言葉を使うことになりますので、もっと奥深い意味が込められていきます。しかしここではそこまでの意味では使っておりません。一番単純な、現象としての色即是空・空即是色のお話になっています。

どうぞみなさん引き続きよろしくお願いいたします。
ありがとうございます。

藤原直哉 拝

投稿: 藤原直哉 | 2011年2月13日 (日) 19時09分

こんにちは

地域通貨ですが銀行に寝かせる金が在って、地域の合意が取れれば何時でも発行できます。

地域振興券とかブルーチップやグリーンスタンプなども形を変えた地域通貨です。

価値を保証する現金が銀行にありますので通貨として利用可のなのです。

一番困るのが税務署や財務省でしょう。地域経済が拡大しても税金が取りにくい構造になる訳です。

エンデの遺言の放送直後に各地で地域通貨のブームが起きましたが決済金額の5%を越えるようになると火が消えたように無くなって行きました。

確定申告とかで捕捉されますから続かなかったのかな?と想像します。

公共料金が特別会計の財源になっているように見えない税金を明らかにして税制を見直さないと地域主権や地域通貨が価値を発揮しません。

余談ながら暇に任せて生活保護の申請をしてみました。申請に必要な書類だけで罪人の取り調べを受けているようでした。安易な申請を防止するには良いでしょうが月額14万弱貰えるとなると働く気がなくなりそうです。(まだ貰ってませんよ。念のため)

投稿: kazu | 2011年2月14日 (月) 16時35分

kazuさん、こんにちは、いつもありがとうございます。地域通貨はなかなか広がらないのが実情です。やはり価値の管理というか価値に対する権威が限られてくるようです。本格的にやろうとすればより独立性の強い地方政府が発行する藩札みたいな形にしないとならないのでしょう。もう少し時間がかかりそうです。
生活保護で14万円ですか。ずいぶんもらえますね。とにかくたくさん仕事を創ること、それが今の日本に最も必要なことですね。そのためには日本の未来をこう変える、こうするんだというビジョンが大切です。さてさて今の政治を見ているとそれは大仕事になりそうです。
ありがとうございます。どうぞますますご活躍ください。
藤原直哉 拝

投稿: 藤原直哉 | 2011年2月15日 (火) 07時30分

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