藤原直哉の「日本と世界にひとこと」 2011年1月5日 経済人のめざすもの
経済人のめざすもの
2011年1月15日開始、21世紀リーダー養成講座
毎週1回発行、ワールドレポート
毎月2回開催、新橋藤原学校
藤原直哉のツイッター。過去のワールドレポートから短文を抜粋しています
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コメント
明けましておめでとうございます。正月早々に更新していただきありがとうございます。本年もこの放送を通じて生きた学習をしていきたいと思います。
今から20年以上前でしょうかね、日本の景気は下降線を描き始めたとはいえまだまだ好調で夜の歓楽街にはサラリーマンが溢れていました。当時、大手スーパーの流通センターで商品管理をしていた私は会社の敷地の隅に設けられた日用家電品の捨て場に仕事帰りに行くのが好きでした。(笑 そこはスーパで売られた冷蔵庫、洗濯機、テレビなどがお客さんに届けられ、古くなった家電品が回収されリサイクル業者に引き渡されるための置き場でした。多い日には100台以上の廃家電品が集まりました。まだ4―5年しか使用されてない両開きの冷蔵庫、現行のビデオデッキ、テレビもたくさんありました。リサイクル業者に「まだ使えるんじゃないの?」と聞くと「もちろんですよ、だから私たちがいるのです」との返事でしたが、部品を交換して店で売ったり、輸出しちゃうそうです。もったいなさすぎるなあ~と感じていましたが、「昔の一流家電はぜったい故障しないだったが、今は適度な時期に壊れるのが一流品なんだ」とのことでした。これは景気が良い時期だから言えた言葉なんですが、この業者はこんな事も言ってました。「私の親は朝鮮人なんです、戦後まもない頃は、日本では私たちはまともな仕事につけなかったんです、だから廃品回収業とか鉄クズ屋、ゴミ屋には朝鮮籍や韓国人が多いのです、親は苦労しましたがお陰で私はこの仕事で大きな家も持てたし、高級車も乗れるようになりました」とのことでした。また「日本はまだ使える家電を簡単に買い換えしたりしますが、きっと困ることになると思いますよ」という内容のことも言ってましたね。その人は今の日本経済の様子を廃品家電から読んでいたのではないでしょうか、製造する側も消費する側も当時はこんなに日本が衰退するとは誰も予測してなかった中でリサイクル業者は経済学者より正確な経済学を学んでいたようです。
100円ライターが登場した頃から使い捨て文化が栄え100円ショップが全国に展開されそれらの集大成がユニクロなんじゃないでしょうか、そして物も人も使い捨て時代が完成したわけですが、それももう終わりに近いですね、ドラッグストアー、ユニクロ、牛丼や、などの薄利多売は永遠に拡大する市場と消費があるなら持続可能なんでしょうけどね、見た目は新店舗を全国的に展開し続け大企業に成長してるように見えても利益の先食い、薄利がどんどん薄利になっていってるだけでないでしょうか?安さ爆発!なんてコマーシャルが過去にありましたが、最後は自社が爆発してしまうんじゃないかハラハラしてしまいますね。飲食業の中には、凄腕のシェフを揃えて次から次に創作料理を作り値段を維持したり上げながら広げて人気を得てく会社もあるようですが、そういう処は逆に感心してしまいますが。
飛行機の話しが冒頭にありましたが、過去に上空でエンジンが全て停止した旅客機事故があったようです。原因は燃料切れだったそうです、たまたまパイロットがグライダーの経験が豊富でなんとか着陸したようですが、ジャンボ機は全エンジンが停止しても戦闘機のように真っさかさまに堕ちることはないようですが、乗客を乗せて無事空港に着陸させるのは神業らしいです、前方に山や高層ビルがあればほぼ終わりみたいですね、もちろん3時間飛び続けるには神を超えないと無理かもしれません(笑 エンジンを2基にする代わりに乗客にパラシュートを付けるとか機体の先から臨時のプロペラが飛び出るようにしないと危険ですね。どちらにしても藤原さんが昨年の最後の放送で言われた「合わない方程式」が拡大中で資本主義の末期現象のひとつという処じゃないでしょうか。
今年は初詣に川崎大師に生まれて初めて行きました。参拝の帰りに参道の両側に並ぶ土産物屋を見物してきたのですが、古くから創業している1軒の煎餅屋に行列が出来ていたんです、私は行列を見るととりあえず最後尾に並ぶのが好きなんですが自分の買う順番が来て店先を見ると、ガラスのショーケースに串に刺してある焼き鳥が並んでいたのです、店主に「煎餅やでなんで焼き鳥売るの?」と尋ねると「いや、これは串に刺した煎餅です」と言われ驚きましたが、お客が注文するとそれを火で炙り温かい煎餅を売るそうです。どこの商売人も、あの手この手でいっしょうけんめい考えてるようです、私も今年は行列の出来る農産物を目指して取り組みたいと思います。
投稿: yama | 2011年1月 4日 (火) 23時25分
明けまして、おめでとうございます。
経済人が目指すもの?今の経団連じゃ無理なんじゃないでしょうか?と思いながら聞いていました。
資本主義も崩壊の時を迎え、銀行は詐欺師に擦り寄り大企業はマフィアと化す??
今のデフレの原因は平成に入ってから下請け叩きを続けて世の中で使える金が無くなった。そんな風に思っていますが理解されない所を見ると違っているのかな???
電気自動車の電池としてリチュウム電池が注目されていますが、原料は塩。それも高地に在る塩の湖から採取します。
廃液は川に流していると思うのですが、山の上から塩水を流すと下流で作物が育つのでしょうか??
環境とかエコとが言っている大企業の感覚がよく解る一例じゃないでしょうか?
ネットには様々な話がありましてアメリカで家庭菜園禁止の法律が出来るとか?遺伝子組み換えの種しか栽培できない。モンサントが政治と結託している良い例ですね。
所が除草剤の主成分がリンでリン鉱石の高沸で除草剤が生産できない。また除草剤耐性の雑草がトウモロコシの成長より早く農地が使い物に成らなくなっている。
確認した訳では無いのですが、天の意志に従って順調に崩壊しているなと思っています。
ネット企業の行っている新事業としてグルーポンとか言う割引チケットサイトが注目を浴びているようですが、モデルとしては市場を作って手数料を取る。ヤクザのミカジメ料と同じじゃないかな?
ネットは、取り敢えず客が来る。ヤクザは安心して商売が出来る。ネットは仮想空間ですから勝手に市場(いちば)を作る。ヤクザは縄張りを作る。両者共に抗争がある。競争とも言う。
中古車だけでなく最近の物は安かろう悪かろうの物ばかりが目立ち辟易としますね。携帯電話が一番解りやすいのではないでしょうか?
5年ほど前の物はデザインに凝った物が結構ありましたが、最近の物は画一的なデザインで簡単な金型で出来るような物ばかり。
世の中に使う金がないのですから安くしないと成らない。製造も安くしなければ成らないのでデザインを犠牲にして塗装で誤魔化す??
去年の正月に興銀の設立要望書を書いていましたね。金を貸さない銀行から免許更新を断る?そんな事もないのでしょうから、興銀を作らないと本格的な動きが起きないような気がします。
従業員50人未満で在れば経済マフィアとの繋がりも薄いのではと思いますが、高品質で新しい物を作って行かないと経済が回りませんね。
量産が必要になれば経団連企業が勝手にリバースエンジニアリングをしていますので似たような物を勝手に量産してきます。上場企業は勝手にどうぞの世界でしょうか?
亀井静香・国民新党代表との対談が出来ると明るい話に成るように思いますが、大塚耕平さんから繋がらないでしょうか??
今年も良い話を期待しております。
投稿: kazu | 2011年1月 5日 (水) 00時54分
先生、あけましておめでとうございます。
先生の中小企業のお話しで、私の友人のことについて思った事を書いてみました。
彼は技術系の学部を卒業したが、自分はエンジニアに向かないと思って大手総合商社に就職した。
彼は海外営業の仕事をしていたが、その商社は経営に行き詰ってメーカー系に商社に吸収された。
しかし、彼はメーカー系の商社に移れなかった。
恐らく、彼はそれまで談合の仲介や役人への賄賂の捻出や受け渡しのような仕事をしてきて、技術面は調達先のメーカーにおんぶに抱っこだったのだろう。
彼はエリートなので、細かい仕事や通訳などは現地の職員に遣らせていて、本人は実務は出来ない。
彼は相当なエリートでしたが、彼を使おうという会社は見当たらない。
多くの大企業の営業系や総務系のサラリーマンはこんな状態だと思いますが、彼はどうすればよいでしょうか。
どうぞ、先生のアドバイスを宜しくお願いします。
投稿: ^m^ | 2011年1月 5日 (水) 17時27分
米国在住です。最近、放送拝聴開始しました。世界が見たこともないかたちを日本で作ろうという藤原さんの趣旨には大共感を覚えます。
1月5日放送での、経済人という言葉に少し、引っかかりました。これは、これまでの考え方の延長の上での、人間の社会的規定の仕方とかわっていないのではないのでしょうか。製造や、サービスを提供する企業人、起業人ということなのでしょうか、この従来型の人間類型規定からもれる人たちは、どうしたらいいのでしょう、となりませんか?「経済」という言葉を、安直に使ってしまうと、これまでの時代の規定の仕方の延長線で、踊るということになりませんか。経済とか、経済人、とか言う言葉がもしなかったら、どうするか、そのぐらいの深い思考作業をすることからはじめないと、今の時代を超えられないのではないですか。
われわれが使って来たこれまでの概念を、ひとつひとつ、延長的に使っていいものか、という検討を深くしないと、まったく新しいパラダイムが見いだせないのではないですか。
たとえば、医者、医師(先生)と患者という個々の概念や対置概念を使い続けることが、本当に、新しい医療のありかたを発見できるのか、ということと同じ問題です。
自分の中の奥深い部分で、これまでの定型的な概念が深く根を下ろしてしまっており、その呪縛された自分を見つめ直すことから始めなければならないのではないでしょうか。
自分が口に今、口に出している言葉に対して、何か他の概念に置き換えられないだろうか、この言葉がなかったら、どう言う言葉をつかっているだろうか、という質問をぶつけ、イマジネーションを膨らまして行くことが、必要ではないでしょうか。
さて、話は変わりますが、日本も含め、世界は、今、大規模な意識変化の波が準備されているのではないか、という印象があります。以下の写真を見て本当に驚きました。この写真は、モンゴル国ではなく、あくまで、中国内の内モンゴル地区のわずか数年間の差を、子どもを軸にして数年差を比較していますが(左右それぞれ同じ子ども)、中国であるとはいえ、そして、漢民族が7割を占めている自治区とはいえ、古来からの伝統的モンゴル人のライフスタイルが、完全に、消滅している様に愕然とします。子どもたちは、もはや、アメリカンスタイルの感覚です。
いい悪いは別にして、世界の辺境や田舎と考えられている場所でもライフスタイルの劇的な変化が起きているようです。貧しい家に住みながらもタイの農村部でも、アフリカでも社会インフラとしての携帯電話が普及し、あるいは衛星放送を見るようになりました。ついついわれわれは、例えば、中国の農村部は、ひどく遅れている、19世紀レベルだ、のような発言をしてしまうのですが、もはや、中国、タイの農村部、あるいは極寒のモンゴルの若者たちは、劇的な意識変化をしており、欧米や先進国の子どもたちと大差はそれほどないぐらいになってきているのではないでしょうか。
米国にも若いモンゴル人留学生が急増していますが、ファッション的外観や携帯の所有含め、来米でただちに違和感なく溶け込んでいることに驚きです。こちらで生まれ育つアジア系アメリカ人とまったく区別がつきません。
少なくとも子どもたちの世界は、先進国も開発途上国も、関係なく,等質になってきている印象です。米国に留学しにきている回教徒圏の人で20才ぐらいの人に、試しに、UFOを信じるか、地球以外の星に知的生命体はいると思うかと質問をぶつけたとき、身を乗り出して、それは当然だ、なんなら、本をうちから持って来てみせてあげようか、と興奮しながら話をし返してきたことに驚いたことがあります。アラーの神を信仰する人たちが、一方で、UFOに口から泡を飛ばして、それは本当だよ、と語る様を見て、愕然ときたことがあります。矢追さんの番組を30年見て来た日本人とまったく感受性が変わりません。彼らもYoutubeなどでアップされてるUFO映像などをしきりにみているわけです。また、トルコからの回教徒の女子留学生を見ても、ファッションから立ち姿から黒髪のイタリア人のようなヨーロピアンの気配で洗練されており、教科書で習い、日本の新聞で読んで来た、遅れている回教徒諸国の人、という刷り込まれた概念で相手を見ている自分が、困惑し、天を仰いでしまうほどです。
世界の若い人たちは、宗教、民族、経済格差を超えて、もう同じ認識構造でつながっていると言ってもいいほどです。新しい何かが、まったく新しい意識が、地球レベルで、起きて来る予感を感じないわけには行かなくなっています。
ただ、日本人は、やはり、まったく新しい何か、新しい生き方、新しい社会の組み立てかた、新しい規範のありかたを生み出して来る第一グループと思っています。そして、世界はそれに同調し、たやすく受け入れることができる程度に、現在、いわば、意識の周波数が高まって来ている気がします。
この文脈で、日本人に、世界が見たこともない行き方を創造しよう、と強いインスピレーションを吹き込んでいる藤原さんの放送は非常に価値が高いと思います。その優しいお声の質、お人柄がまた、いっそうそのインスピレーション効果を高めていますね。
http://acidcow.com/pics/16193-kids-from-mongolia-then-and-now-14-pics.html
投稿: skyhigh | 2011年1月 5日 (水) 17時56分
藤原さま、みなさま、こんにちは。本年もどうぞよろしくお願いします。
skyhighさま参考になる話をありがとうございました。私の限られた世界では全くわからない貴重な情報でした。世界の若い人には同じ認識構造を持つものが多いのではないかとのご指摘、とても心強いです。
今回の放送を聞きますと藤原さまはとても幅広い奥深い情報源をおもちですからそのなかからもうこりゃアカンという情報がずいぶん入ったのかな、と思いました。
今年来年で『自分の力で生きていて世の中のために価値を創造する』人たちが横に団結してゆるやかな連合の、政治勢力を作る、
大賛成です。実際にゆるやかな横の団結を作り維持していくことが大変だと思います。みんなで協力してがんばりましょう。
投稿: トマト | 2011年1月 5日 (水) 18時45分
みなさん、こんにちは。いつもありがとうございます。
おっしゃる通り、ひとつの時代が限界を通り越して、もはや未来を作れない段階に達しています。そしてみんな一抹の不安は抱えているものの、それを口にしたら今の自分が保てないので、敢えて怖いことは考えてないようにして日々モノを作り、消費しているという感じですね。未来に対するとても無責任な態度が大きく広がってきている時代です。これでは良い時代が来るわけがありません。ここは本物の人が出てきてこれが本物だよということを世のなかに具体的に示していかないといけませんね。
大企業のこと、やはり大企業と大銀行の振る舞いは断末魔ですね。それはもう書けない話がたくさんあるようです。原価低減しかできない経営者にはもはや何もできることがない、しかし何としても自分の地位は守りたい、その醜い発想が日に日に会社も世のなかもおかしくしているという感じですね。今年は政治の大舞台も動く時ですから、興銀や総合特区も何としても始めないといつまでたっても未来が創れません。亀井さんとは縁がないのでなかなか話もできませんが、やがていろいろな人たちがひとつにまとまってくる時が来ると思います。余計な話かもしれませんが、亀井さんは以前からよく大本の聖地にお出でになります。世の中はますますピッチを上げて動いていますからね。外から見ている以上にお城の中の本音の焦燥感は大きいようです。
エリートのお話、そういう人が世の中に本当にたくさんいます。大変な時代の犠牲者になってしまいました。自分で自分自身と実力を立て直すしか方法がありません。真剣にやり直せば多少時間がかかっても未来が明るくなりますから、初心に帰って本当に自分の実力を苦労して身につけ直さないとどうにもなりません。それが新しい仕事でできれば最高ですが、それが無理ならそれ以外の時間で何か自分がこれは大切だと思うことから初心に帰って始めてみることがよいでしょう。今から15年ぐらい前に金融機関が大量に潰れた時代がありました。あの時投げ出されて、しかし初心に帰って新しい仕事をしっかりやりなおしていった人たちは、いま各分野で活躍しています。多少の時間はかかりますがそうやってご自身を立て直すしか道はないと思います。
経済のお話、確かにその通りです。経済という言葉の実質的な定義そのものも時代によってだいぶ変わります。しかし私がこの放送で言いたかったことは、今の日本で経済人と呼ばれている人たちに、あなたたちが頑張らないとならないのですよ、ということを言いたかったのです。今の時代の経済人という意味だとご理解ください。まずそういう人たちが動いて未来に突破口を開かないと、それに続く人たちが防空壕の中でバタバタと倒れていく、それが今の日本経済の現状だとご理解いただけたら幸いです。
世界の意識が変わっていること、それは私も感じています。しかしこれも実はかつて日本で起きたことを思いだすとこの先どうなるかもだいたい見当がつきます。日本は今では一つの国と言ってみんな了解しますが、50年ぐらい前までは本当にひと山越えると言葉も文化も食べ物もみんな違っていたのです。ですから日本は実にたくさんの小さな国から構成されいて、今のような中央の統制下にすべてがあるような国ではありませんでした。それが、テレビが普及し、高速道路が普及し、新幹線が普及し、やがてインターネットが普及してくるようになって、まさにおっしゃるようなモンゴル人や回族の人たちのようなことがあちこちで起きました。それは地方に新しい光が当たった時代だと地方の人たちは思い、東京の人たちはなんて日本はおもしろいのだろうと思ったわけです。ちょうど70年代のディスカバージャパンのキャンペーンの頃からのお話です。しかしそれも20年ぐらいやって90年代になると、もはや日本はどこもかしこも同じ風景になってしまって、言葉も食べ物もほぼ同じになり、文化も地域性がなくなってどこでもビトンのカバンが流行するようになりました。しかしそこで日本人がたくましいのは、今度は海外に出ていっておもしろいものに接し、持ってくるようになっていったことです。90年代から日本人はあまり今まで観光旅行で人々が行かなかった奥地に行くようになりました。ディスカバージャパンならぬディスカバーワールドです。しかしそれも20年たって、最近は大体行く人は行き、何となく見えてきたという感じです。繊維業界の人に聞くと、今や全世界の産地は全部行き尽くしたと言っておられるのです。なるほどグーグルマップで世界の写真が見れる時代、もはや知るということだけを考えたら、大体知ることができた、それが今の現実だと思います。そしてそれにオーバーラップするように10年ぐらい前から私たちが本格的に提唱して広げていったのが観光立国日本です。改めて失われてしまった地域にスポットを浴びて、遺伝子に残っている記憶を現実の世界に呼び戻して、改めて新しい地域性を盛り上げていこうという動きです。
こういう大きな流れを見た時に、今の世界は日本で言えば地域の枠がどんどん取り払われ、同時に世界をみんなが同時に知るようになってきた段階だと思います。日本でもその間に非常に大きな意識の変化が起きていました。何しろ全国の日本人が一斉に同じテレビを見て笑い、泣く、そんなことは日本の歴史上未だかつてなかったことです。紅白歌合戦なんか昔は視聴率が8割を超えていて、本当にみんなが一斉に泣き、笑いました。ある種の日本人としての連帯感が盛り上がっていったのはそんな時代です。
しかし今の世界もそうですが、やがてそれも行き着くところまで行くと、実は自分の足元が消えていることに人々は気づくと思います。ふと気づいたら無国籍人間のような人々しか残っていない。世界がまだまだ経済発展しているときには無国籍人間は世界に羽ばたく憧れだったのが、やがてそれが止まり、もう一度足元から遺伝子をもとに立て直しの段階になったらいったい自分はどこをよりどころにしたらいいのか、今度はそのことにみんな悩み始めるはずです。そうすると今度は世界で日本の観光立国のように本物の地域おこし、個性を生かした国づくりを始めなければなりません。当然それまでの時代とは主役も交代しています。いま、世界はその端境期に差し掛かりつつあるのだと思います。同時に経済も政府もその意味と役割がどんどん変わっていきます。まさに今までの資本主義体制の終わりですね。
そういう大きな流れに日本と世界はあると思っています。だからこそ、日本の世界に果たすべき役割は非常に大きいと思っています。今年、来年ぐらいが大きな山場になりそうです。
とにかくヨコにつながってみんなで行動していかないとなりません。本当に良い世の中というのは、みんなにそれぞれの思いをかなえられる場のある世のなかということです。お釈迦さんの手のひらの上みたいな世のなかが実はみんなにとって幸せな世の中です。何とかそういう時代にしていきたいですね。がんばっていきましょう。
ありがとうございます。どうぞますますご活躍ください。
藤原直哉 拝
投稿: 藤原直哉 | 2011年1月 5日 (水) 22時23分
こんにちは藤原様、公務員は経済マフィアの従業員になるのでしょうか??
経済産業省の来年度予算を見ていましたら大企業しか持っていない設備を使うような物に補助金助成金が集中しているようで、相変わらず景気を良くするなんて眼中にないんだなと思った次第です。
また本日は「断水の儀」が行われまして、東京都水道局に以前から疑問に思っていた文書の件について問い合わせたらビックリ仰天
水道を止めた案内書に担当者名も捺印もない物が「今まで通用していますから」と言う理由で公文書だと言う話でした。
製造業派遣で一気に崩壊した民間経済ですが公務員は年功序列で何倍もの所得格差が付いている。
水のある共生の姿の話もありましたが、公務員はプリンターで印刷した紙1枚で水を止めて行くんですね。
民主党の都議会議員は水道局に確認したら問題がない。と言って話も聞かない。
都市再生本部の指針が大きく変わりましたと共同通信の記事を見て問い合わせてみると御意見募集の期日が本日1月7日
http://www.toshisaisei.go.jp/
御意見募集の担当者が藤原さんでした(笑
この放送やNPOの事を紹介しておきました。指針を作っているメンバーはデベロッパーと学者で東京を中心の話が印象に残りました。
NPOの話とは懸け離れた物で指針に縛られて余計な苦労をするのでは?と思いました。
予言の書にあったように日本は一度潰れたように成らないと再生が始まらないのでしょうね。それまでは再生計画を練る時間なのでしょうか?
公務員の既得権が一番邪魔な存在になりそな気がしますが、神様が何とかしてくれるのか??
行政監査請求って面倒なのかな?偽造できる書面で水道を止めるのが問題ない。と言う認識ですから相手にすると疲れるんだろうな。。。
投稿: kazu | 2011年1月 7日 (金) 02時21分
kazuさん、みなさん、こんにちは。いつもありがとうございます。そうですか、水が止まりましたか。それは大変です。役所はもう誰からも相手にされず、ひたすらカネがほしい人たちが寄ってたかるだけの存在になりつつありますね。おごれるもの久しからず。ともどもに流れ去っていくのでしょう。経済マフィアたちと共に。都市再生本部ですか。一応形はできているようですが、本当に魂が入るかどうかですね。やはり政治がリードしないと根本的には無理です。菅もいつまで続くのかという状況ですから、その先の展望が必要になりますね。今年はしかし動きがいろいろあるでしょう。とにかく前進してまいりましょう。ありがとうございます。どうぞますますご活躍ください。
藤原直哉 拝
投稿: 藤原直哉 | 2011年1月 7日 (金) 06時15分
こんにちは藤原様、断水の儀の話ですがブログに書きました。
ご興味が在ればご覧下さい。
法律的には問題はありませんが、公務員の裁量権が非常に大きいのがトラブルの元という感じです。
後ろを振り返るのは疲れますね。裁量権を活用して政治家を操っている公務員の良い見本を実感として理解できました。
将来に向けて自治の在り方と公務員の関係を考えさせられる体験でした。現状では公務員は社会の毒?癌?でしかないようですね。
国政になると規模が違うのでしょうから一度潰した方が立て直しが早いと実感しました。
もう、こんな時間なんだ(笑
投稿: kazu | 2011年1月 8日 (土) 04時28分
藤原先生、良い話をありがとうございます。
自殺者が13年連続で3万人を超えたとか、行方不明者を入れれば実際には何倍にもなるのでしょうが・・・こんな国になってしまった事が残念です。
どこまで圧制を加えるのでしょか?この国の民衆は我慢強いですが、箍が外れたときの恐さは歴史が証明していると思うのですが。エリートと言われる人達も反省してほしいです。
投稿: kawa | 2011年1月 8日 (土) 07時52分
KAZU様
過去に水道水を止められて死んだ親子がいました。この事件がマスコミに大きく取り上げられ、大抵の水道局は、何回か警告をして、水道水を止めるようになりました。ちなみにそちらの水道局は何の警告も無しに止めたのでしょうか。
水道法第15条第3項に給水の停止に関する規定があります。これには、給水規定により、給水の停止を行うことになっています。公務員は法律に基づき業務をこなしますので、行政側の対応に疑問を感じるのであれば、その対応の根拠になっている給水規定を確認してはどうでしょうか。
給水規定に基づかないで、給水の停止をした場合、利用者が行政に注意したり、あるいは、行政訴訟をすることも可能です。
又、給水規定の給水の停止が世間の一般常識からずれている場合も、行政訴訟でその真偽を争うことも可能です。行政訴訟には2種類あります。一つ目が行政不服審査法ですが、これは、費用も弁護士も必要ありません。2つ目が行政事件訴訟法です。これは、通常の裁判と同じ形式ですので、費用も弁護士も必要になります。(勝てば、その費用はもどってきますが。)
公文書の件ですが、慣例で判断して良いことにはなっていないはずです。これにも、関係法令があるはずです。公印、月日、公文書番号、責任者の役職氏名などが決めれていまして、どういう場合に、それらを省略して良いのかも法令で決まっているはずですので、そちらの水道局の文書でどうして省略しているのか法律の根拠を確認してはどうでしょうか。私個人の感想ですが、市民の水道を止めるという行政行為をするばあい、そこそこの公文書が必要になると思うのですが、月日や公文書番号がないというのは考えづらいです。
公務員の裁量の範囲も法律で読み取れる範囲内ですので、裁量の範囲の周りにはたいがいは、何らかな法律が関わってきまして、裁量の範囲もある程度限定されたものになります。「裁量の範囲」=「公務員が好き勝手やって良い」という図式は成り立たないと思います。公務員の常套句「慣例だから」には、惑わされない方がいいと思います。
投稿: 雪国 | 2011年1月 8日 (土) 10時39分
こんにちは
皆様、色々とご心配して頂き、ありがとう御座います。
藤原様には、ご迷惑をおかけしている事をお詫び致します。
軒先の雪を落としに行ったら屋根雪が落ちてきて埋もれてしまったような気分ですが、埋まったのは膝の下程度です。
霞ヶ関とかで、弛んだ縦糸を見つけたもので少し引っ張って見たら縦糸が腐っていたようですね。
水道も金を払えば済む話なのですが、ここも縦糸が弛んでいる。チョット引っ張ってみたのですが腐っているのかな??
雪国さん、こんな書き込みで理解して頂けますでしょうか?
縦糸が腐っているのなら皆で横に繋がって張り替えないと布は織れません。
「糸」と言う歌があるのですね。
http://www.youtube.com/watch?v=mkfxRpqwmPY&feature=related
仕合わせ。と呼ぶのですか。日本人にしか理解できないですね。
投稿: kazu | 2011年1月 8日 (土) 22時02分
みなさん、こんにちは。いつもありがとうございます。kazuさん、何も迷惑ではありませんよ。kazuさんのような方を「国士」と呼ぶのです。yamaさんおっしゃるように、たるんでる役所をこれを機会にぶっ飛ばしてもいいのではないでしょうか。手続きのことで攻めていけば連中も追いつめられていくと思います。仕合せ、いいですね。まさにその通りだと思います。タテ糸の腐った組織は今年来年でばったりという感じですね。今の政府みたいに。新しい時代はもう来ていますね。ありがとうございます。どうぞますますご活躍ください。
藤原直哉 拝
投稿: 藤原直哉 | 2011年1月 9日 (日) 07時51分
雪国では、雪が積もれば、一日に何回でも除雪をします。それが当たり前だと思っていて、特に苦ではないですね。
そのうち、春が来ることは分かってますしね。
横糸がどんなにしっかりしていても横糸だけでは布が織れませんね。
腐った縦糸があったならば、腐った部分の縦糸を全て入れ替えないと。
投稿: 雪国 | 2011年1月 9日 (日) 08時00分
こんにちは、国士ですか?
全く自覚はありませんが、自立・自治の本来あるべき姿を思うと何か違うだろ。子供の頃は町内会で海へ行ったり子供会を開いたり色々していた。
この様な経験が今の自治に違和感をもたらしているのか?地域で纏まって楽しんだり町内で一斉に除雪をしたりドブ掃除をしたり。
小学校から帰ってくると家の前の除雪と近所の独居老人宅の除雪をして、おやつを食べて宿題もせずにテレビを見て、夕飯を食べてNHKの全国の天気予報で「裏日本の天気は・・・」と言うのを聞いて「表日本?」と言うのはあるのかな?何処なんだろう?
ボーリングがブームの時だったかな?この様な子供時代を過ごしていると今の役所の現実が異様に思えて成らないだけなのです。
藤原さんが言う所の世の中が発酵していた時代なのかな?発酵と腐敗は隣り合わせですから日本は発酵が続かなかったのかな?
水道の件は私の名字からして、お役目なのかも知れませんね(笑)ツッコミ所が満載ですので、もう少し洗濯してみても良いのかな?
闇のあとには夜明け来る。神は見通しざから、心配するな。手柄は千倍万倍にして返すから、人に知れたら帳 引きとなるから、人に知れんやうに、人のため国のため働けよ、それがまことの神の神民ぞ。
http://hifumi.uresi.org/01.html
第二帖 (二)
投稿:kazuをクリックすると私のブログにリンクが張られています。水道の件の詳細を書いてあります。
投稿: kazu | 2011年1月 9日 (日) 18時11分
何年前か忘れてしまいましたが、神奈川県の川崎市の遊郭街で(堀の内、南町)水道料金の滞納がかさみ数十億円が滞納されて放置されていた事件が新聞で騒がれていましたが、ここは昔からちょんの間とかソープランド街で水がなくては商売にならない地域なんですが滞納分は払ったんでしょうかね?たぶん止めてないでしょうね。私は田舎暮らしで井戸水なんで止められることはないですが、電気が止まれば同じですね。
確か水道水は止められても勝手に開けることも出来るようになってるんじゃないでしょうかね、今でもできるなら是非「伊東家の食卓」で裏技として公表したら良いと思いますよ。(乱暴な意見ですみません)
行政側の立場として4―6ヶ月間支払いがないと水道が止まるようですが料金の催促はできても水道は止められないという法律が必要でしょうね、死んでしまえば回収金0なわけですし、たかが水道局の公務員の裁量で生死が左右されてしまうのはいかがなものでしょうか。
田舎で暮らしていると自殺者が全国で3万人以上いるという現実が身近に感じさせられます、元々人口が少ないうえに農村部は特に若者が少ないので毎年のように、あそこの誰さんが首つった、とか、あそこの娘が農薬飲んだ、とか、杉林に誰かぶら下がってるなど生々しい話しが聞こえてきます。金がないから、将来に希望がないからなど理由もさまざまなんですが、人間が生きていく上で希望とか夢とかがどんなに大切なのか分かります。藤原さんが言われる温かい社会とは、今ほんとに必要な時なんです。土に触れる生活をしていると荒んだ自分が癒されるというのもほんとです。そこで作物を作り始めると夢とか希望とかが芽生え自信へと繋がり始めます。私の場合は夢を見たら地獄におちて執念に変わりましたが(笑 派遣社員で貰う給料と自分の畑で稼ぐ金額が同じでも畑で稼いだ金は数倍に感じます、その金で飲む酒は格別の味なんです。夢や希望を持ち苦労してもやり抜いて自信をつけて次に繋ぐ社会構造が必要な時なんです。
投稿: yama | 2011年1月 9日 (日) 22時03分
みなさん、こんにちは。いつもありがとうございます。そうですか。これからまた新しい地域の勃興の時代です。いろいろと役割が増えてくると思います。はい、発酵と腐敗は隣り合わせですね。腐敗は死あるのみ。この15年ほどで大分要らないものは腐敗したようです。明るさと温かさの中から新しい発酵=復興を始める時です。昭和のバブルの時代とは違う新しい目標と意欲と能力を多くの日本人が知らず知らずのうちに身につけてきたと思います。やはり土から始まる新しい時代ですね。人も農業も。誰の陰謀でもなく、預言に書いてあることがぴったりだなと思うことが増えてきました。おっしゃるように自殺がすごい、だからこそ早く世の中を回転させないとなりませんね。でもそれも今年、来年で相当回転しそうです。むしろ元気のよい人たちがびっくりするような急激な変化になっていくのではないでしょうか。菅でも財界でもあまりにもひどいですね。ということはその正反対のものすごく立派な人たちがもうすでにこの日本にはいるということなのです。だからあんなひどいのを出してこないと連中の古い体制が持たないということなのです。21世紀的な元気を持った人たちをヨコのリーダーシップでつなげていく時が来ていますね。春から初夏にかけて総選挙になりそうですし、地方政党もちらほら出てきそうです。おもしろい時代です。がんばっていきましょう。ありがとうございます。どうぞますますご活躍ください。
藤原直哉拝
投稿: 藤原直哉 | 2011年1月10日 (月) 08時05分
こんにちは、断水の儀ですが
只今、元栓を針金で縛り、鉄の蓋を元栓に架け封印シールを貼り帰って行きました。
東京都水道局から業務委託を受けた民間会社(東京都が作った会社)が実際の作業を行っているので、管轄区域の責任者の名前を聞いた所。
「言う必要はありません」命令書は貰ったのか?と訪ねると口頭で指示を受けています。
近所の方に証人として来て貰い責任者の名前を聞いた所素直に応えて頂きました。
水道局の営業窓口でも条例に何も書いてないが内部規定を指示するように求めても「言う必要はありません」の一点張り。
現在は水は一滴も出ません。
朱印や担当責任者の名前が書いてある書類は一切頂いておりません。
公務員の匿名性、裁量性で何も応えず誰の責任かも解らず。と言う態度を貫いているのが東京都水道局の体質なのか?
東京都全体の体質なのか??
東京都給水条例
http://www.reiki.metro.tokyo.jp/reiki_honbun/g1011800001.html
東京都は金を払わないと水も飲ませない??
投稿: kazu | 2011年1月11日 (火) 11時49分
kazuさん、みなさん、こんにちは。いつもありがとうございます。ブログ拝見しております。一度詳しい人に戦い方を相談するといいですね。行政訴訟は本人がやればいいですし、コストもあまりかかりません。素直に心情に訴えて訴訟やってみますか?おかしいじゃないかと。サラ金の過払い金訴訟も、おかしいじゃないかというところから始まったと思います。下手に慣れた弁護士を入れるよりも、素直な市民の感情としてやったほうが効果的な時代ではないかと思います。ただ、時間はかかりますね。ますますのご活躍をお祈りしております。これからに期待しております。ありがとうございます。
藤原直哉 拝
投稿: 藤原直哉 | 2011年1月11日 (火) 17時16分