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2010年7月27日 (火)

藤原直哉の「21世紀はみんながリーダー」 2010年7月27日 リーダーシップの4パターン

リーダーシップの4パターン

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コメント

みなさん、こんにちは。わたくし、出張のために来週火曜日まで書き込みができません。どうぞよろしくお願いいたします。

藤原直哉 拝

投稿: 藤原直哉 | 2010年7月27日 (火) 20時17分

藤原さん、ソフトウェア技術者の一人として言わしてください。
あなたはあまりにもソフトウェア技術者をバカにしていますし、偏見を持ちすぎです。見た目だけでこの職業が悪いように見ています。

今回のポッドキャストはインド人技術者に対しても一面的な物の見方のできない素人があざけるような言い方をして、きわめて不愉快です。私はインド人でもないですしインド人技術者については1回見た程度ぐらいですが、あなたのこれまでの言い方は外国人が日本人をバカにしているのと全く同じで、外国人があなたのポッドキャストを聴いたら偏見に満ちていると思うでしょう。以前の放送で言っていたデジタル人間というたとえも、あまりにも表層的な見方です。

このポッドキャストにしても皆さんが使っているPCにしても言うまでもなくソフトウェアがなければ利用することができません。また電子回路にしても今ではPCで設計する時代で、かつプログラムコードで設計しているのです。あなたの無線機も有名メーカー製でしたら当然プログラムが中で動いているのです。PCの頭脳であるCPUも、もちろんPC上で暑ければ当然クーラーの効いた部屋で設計しているのです。今ではPCのソフトのみならず、あらゆる電気製品、自動車の神経中枢部分を、あなたが見下しているソフトウェア技術者がPCの前に座って、今ならクーラーの効いた部屋で悪戦苦闘しているのです。

ソフトウェア技術は単純な仕事ではありません。大規模になれば個々の事象を大局的な観点から抽象化するという創造性を要求する作業も発生するのです。あなたが配信しているポッドキャストで使われているMP3フォーマットは高度な数学的知識を持っている人でなければ開発できません。藤原さんは、あなたがバカにしている人達の努力の結晶の上で生活していることを認識していただきたい。

もちろんPCの前で作業ばかりしている弊害は私もわかっています。自然にふれあう事の大切さもわかります。しかし見た目で不健康そうだからその職業の人間を断罪する言い方は納得できませんし、内容を知らない職種を冒涜した素人の言いぐさです。ハイテク偏重を毛嫌いするのはわかりますが、あなたは昔と違って今のような田舎暮らしができるのは、高度な技術開発の積み重ねがあればこそと言うことを忘れてはなりません。


投稿: 一技術者 | 2010年7月27日 (火) 22時55分

藤原先生、今回も為になるお話を有難うございました。

一技術者様へ

私は、毎週火曜日に、リーダーシップと政治経済の二つのラジオを楽しみに聴いている者です。 
先生が出張の為、一週間返答がないと思いますが、私の意見を言わせてください。

藤原先生の言われるデスク労働者は、一般事務を担当としている人達を指していると思います。(一般事務が悪いとは言いません。 仕事は仕事、私生活は私生活で充実させられ、社会貢献への意識があれば素晴らしいと思います。)
一技術者様は、手に職が有り、先生の言われる"自ら学べる人"であり良いお手本だと思います。
数十分で万人受けする話は難しいですよね。 インド人技術者についても、素晴らしいという意味で話されていると思います。(以前の多くの放送より私の感想)
デジタルとアナログは、画面の二次元と現実の三次元との区別で、利点はそれぞれに在り、偏見意識はないと思います。
私から見れば、藤原先生もかなり高度な技術者でもあります。
一技術者様、多分先生は、多くの不満足な経営者や従業員と接し、気持ちの解放方法をアイデアを並べて説かれているのだと思います。 社会の仕組みや歴史の理解、仕事への考え方や、精神、思いの持ち方で気持ちが変化する事など幅広いです。
 
技術も有り、問題意識も強くある一技術者様は、心技ともに先生が説かれている姿だと思います。

また、言われた事だけではなく、自身が思った事を行動に移す勇気を持ちましょう。 社会奴隷制度の洗脳から解かれましょうと。 それが変化の時代に必要であると言われていると私は理解しております。

この辺で終えます。  長々と申し訳ありませんでした。

投稿: ラジオ愛聴者 | 2010年7月28日 (水) 00時25分

確かに日々素晴らしい技術にお世話になっていることは
間違いないです。その世界で働いている人達を馬鹿にしているとは思えません。
藤原先生は、いくら高い技術ハイテクがあっても自然には従わなければ人は生きれないことを体験してください
と言っているのじゃないのかなと思います。
 たかだか3日間食べないだけで死ぬほどつらい思いをするし、水飲まないと死んでしまう。

PCも携帯も石ころと原油から出来てる素晴らしい技術だと藤原先生も言ってました、全て自然から出来ている事を体験して感じる事をしてくださいと伝えているのではないですかね?
PCの前で作業ばかりしている弊害は、木を見て森を見ない心の人が多いという意味に私は思います。

投稿: 経済音痴 | 2010年7月28日 (水) 00時59分

みなさん、こんにちは。いつもありがとうございます。今朝はまだちょっと時間がありました。

はい、特にソフトウエア技術者を馬鹿にしたわけではありません。インド人の技術者のこともわたしの体験から驚嘆というか賞賛の意味で言ったことです。デジタルぼけというのはデジタル技術者がぼけているというのではなくて、頭の発想がデジタルでゼロイチ思考で物事を考えているという意味です。

わたしも30代前半までは冷房が効いた部屋でコンピュータを叩くのが仕事でした。最初が計量経済モデルを使った経済の予測や構造分析、その次が金融数理モデルを使ったデリバティブズやインデックスの分析です。まさに技術者の世界でした。しかしこの2つがその後どうなったかお分かりの通り、机上の空論で技術者がやった仕事はことごとく自然というか世の中から却下され、今では計量経済分析そのものをやる人偉く少なくなりましたし、デリバティブズに至ってはこれが暴走して世界の金融経済を崩壊させてしまいました。自分なりの反省で言うならば、経済についてはこれは複雑系ですから、コンピュータを使って線形に予測するとか分析することの限界はあまりにも大きいということです。およそ経済を知るには自分で小さな会社を経営するのが一番です。最近は冷房の利いた部屋でパソコンをたたきながらエクセルとワードとパワーポイントを使い分けて経営をしていると称している人たちがいますが、それは実際には漂流しているだけで、だから今みたいに世界大恐慌になるわけです。経済とか経営を知ろうと思ったら自分で小舟をこいで太平洋を渡ってみたらよいと思います。風を読み、潮を読み、星と太陽を見て、体力を考えながら船を進める。経済の複雑系の様子が体でわかります。経営も経済もそういうものだと思います。それは決してデジタルぼけの頭ではわからない世界ですし、コンピュータでは再現できない世界です。また金融に至っては与信とか国の開発とか本当に命がけで汗を流す仕事をしないでただ形式的にマネーをコンピュータで動かして、ああいう結果になったわけです。金融マンや投資家が冷房の利いた部屋でパソコンをたたくのが仕事だと思ったところから大間違いと大破綻が始まったと思うのです。同じことは経済分析や金融分析を超えて今やらゆるところに広がりつつあり、それを破綻につなげずに世の中の進化生成発展を助けようと思うならば、現場の技術者の見識と実力しか頼るものがないのではないでしょうか。今の時代、特に大企業の文科系の経営者のデジタルぼけは相当ひどいものがあります。連中に任せたら経済や金融と同じことになります。だから、現場でわかっている人が良識を持って行動するしかないのではないでしょうか。

おっしゃるような大きなシステムを組み上げる時の創造力あるいは判断力も、それは自然と人が向き合う時に育つものだと思います。だから基礎的なその人の素養として、そういうアナログ能力を持っていないと、デジタル頭だとシステムにしろモノづくりにしろ決して最後がうまくいかないと思います。このインターネットラジオも確かに高度なソフトを使っていますが、やはり実際に会って話を聴くのとは全然違います。それを話すほうも聴くほうもわかっていないと思わぬ誤解が生まれます。現代の航空機もそうですね。システムは確かにデジタルですが、飛行はアナログの極致みたいなものです。だからデジタル頭で航空機を飛ばしたら極めて危険ですね。この間の秩父でのヘリの墜落も「セットリング」と言われるホバリング中に起きやすい事実上の失速で起きたのではないかと言われていますが、どうもシミュレーターでは地形や天候に合わせてこの現象が起きる様子が再現できていないらしいのです。たとえばこの映像はセットリングによる墜落ではないかと思うのです。
http://www.liveleak.com/view?i=eda_1280037527
大抵の場合ならうまくいくけど、たまにうまくいかない時がある。その万分の一の予知すること、察知すること、そして危機から逃げ帰ること、それが本当の実力というものだと思います。ですから技術にも経営にもこれで絶対安全とかいうことはなくて、むしろ限られた時間や能力をデジタルの穴を埋めていくところにどんどんつぎ込んで、人と自然の距離を縮めていくこと、それが仕事ではないかと思うのです。

ということで、言葉足らずの部分を捕捉させていただきました。夏はたくさん自然から学ぶ機会がある季節ですね。どうぞますますご活躍ください。

藤原直哉 拝

投稿: 藤原直哉 | 2010年7月28日 (水) 08時20分

「パソコンを使用する仕事は勧めない」
「パソコン以外の仕事が出来ない人がいる」
という発言がありました。
先ほど、補足説明がありましたが、一技術者さん同様に私も解せません。
ソフトウェア開発以外にも、電気・機械・土木・建築などの製図はパソコンで書くのが主流です。
又、機械・土木・建築などの構造設計も、現在はパソコンを道具として使用しないと、効率は著しく落ちます。いや、むしろ、緻密な計算を求められている現代では、手計算や電卓で進めることはほとんど不可能です。
その他にも、経理もパソコンをよく使用します。

今の時代、パソコンを使わないと仕事が進まない分野は数多くあります。
又、パソコン以外の仕事が出来なくても、人からとやかく言われる覚えはありません。

投稿: 凡人 | 2010年7月28日 (水) 17時12分

毎回、楽しみにこの放送を聴かせていただいていますが、今週はその前にいろんな方のコメントを拝見し、そのうえで興味深く拝聴させていただきました。

いろんな技術者の方々の努力の結果、このように、私のようなものでもパソコンというスグレモノの恩恵にあずかることが出来るということに、感謝したいと思います。個人的にも、いろんな点で、どんなに世界が広がったかしれません。

ですが、先生のおっしゃることは、何度聴いても、コメントされた方々の受け取られたこととは、別のところに思いがあると思います。どなたかがおっしゃるように、その方こそ、まさに専門性を磨かれた実力のある人、これから養成すべくリーダーになってほしい人ではないでしょうか。自分たちこそが、こんなに良い便利なものを作ったんだ、苦労したんだ、という気概を持った人です。むしろ、今のような時代には、単に労働力を切り売りして何とかやっている人にとっては、うらやましいランクの人です。

私の世代は、ちょうど職場でも急速にパソコンが普及し始めた世代で、仕事が出来てもパソコンが出来なくて職場を去らざるを得なかった人も数多く見ています。役所もそうですし、病院の看護師などもそうです。プロとしての分野以外の能力を突然求められました、今なら若い人はものすごいスピードで出来るのは当たり前になりましたが、出始めの時はそうでした。パソコンを扱う能力は、今では、クルマの免許みたいなものですが、昔はすべてにおいてアナログの世界でした。証券会社の株価でさえラジオとマイク、地方なら黒板書きでした。

それが、最近は、昔と一変、すべてがデジタル一色になりました。大変便利で素晴らしいものですが、そればかりでも困ることが確かに出てきていると思います。
だれでもパソコンをたたくことができるけれど、いくら便利でも、経験からくる本物にはかなわないということです。その骨格となる立派な案はだれが組み立てるのか、どうすればより良い方向に進めれるのか、それを考え出す人間こそが独創的で優秀でなければならないと思います。パソコンの奴隷になっていては、そんな本来の勘さえも消えてしまいますよ、、と先生はおっしゃっているのではないでしょうか。

夏休みですが、子どもの遊び一つみても、パソコンだけでカブト虫のことを勉強するよりも、実際に飼って観察したならば、ずいぶん違うものがあると思います。実際の経験からくるリアリティーというものは、何においても、すごいものがあると思います。

これから、2、3年のうちに、世界中が大変なことになりそうです。本当に天をあおぐような時が来るかもしれません。そんな時、たとえほんの少しでもアナログの力があれば、それがものをいうこともあるのではないでしょうか。

いずれにしても、ここのコメント欄は、孔門下の師と弟子の問答のようで、誠実で、学問についての対話の場のようで、素晴らしいと思います。心を開いて 信じて 語り合う時、そんな時にのみ 火花のように生きた知恵というものが 飛び交うものであると聞いています。
毎回の放送に、深く感謝申し上げます。


投稿: 職人K | 2010年7月28日 (水) 18時48分

凡人さん、まだ分りませんか。

>「パソコンを使用する仕事は勧めない」
>「パソコン以外の仕事が出来ない人がいる」
>という発言がありました。

そう言った言葉尻や揚げ足取りをされたところで、藤原先生が言われているのは、そんなところの意味ではなく、もっと本質的なことですよ。

全て言葉にしなければ理解できませんか・・・。それがデジタル頭と言うことですよ・・・。

そこまで言わせないで下さい。

投稿: リスナー | 2010年7月29日 (木) 01時18分

リスナーさんへ

藤原先生の元の放送内容に、補足説明の内容を思わせるようなものはなかったと記憶しています。
補足説明そのものは、ある程度は理解できますが、補足説明では、主に机上の空論のことをさしていますけれども、それは、本来、パソコンを使う使わないには、限定されないことです。

元々の放送内容に、
「パソコンを使用する仕事は勧めない」
「パソコン以外の仕事が出来ない人がいる」
という発言がある以上、一技術者さんや私が指摘するように受け取られても仕方ないのではないでしょうか。
その発言は過ぎたる発言で、パソコンを使用して仕事をしている人たちに不快な思いをさせたのは事実です。それを、本質的な意味が違うといい、更に、デジタル頭だと罵られ、不快な思いに上塗りされたら、たまったものではありません。

特に、リスナーさんにデジタル頭と言われるいわれはありません。
今後、不快な思いを即すようなリスナーさんの返答は、一切ご免被ります。

投稿: 凡人 | 2010年7月29日 (木) 02時44分

今日は皆さん、何だか盛り上がっていますね。

PCはパーソナルコンピュータの略称で、個人単位で使えるほどの低価格な「計算機」と言う意味ですね。現在の主流はノイマン型のプログラムに従って順次計算を行いながら様々な処理をする。

この基本は変わっていない訳で電気信号を入れてやらないと何も始まらない。キーボードにしてもマウスにしても。ネットに繋いでいると遠隔操作の信号が入ってくる事も在りますが。

計算機と言う機械なのです。機械の操作法を工夫するというのがソフトウエア開発と言い換えることも出来ると思いますが、出来上がった機械が正常に動作するか?人にとって使いやすい物か?と言う話はソフト開発とは別の話になります。

人にとって使いやすい有益で便利と言う所の感覚はアナログ感覚が多くの割合を占める。この辺りの所まで深く踏み込んで製品を作るからアップルの製品が受け入れられるのでしょう。技術的には日本のレベルでは大したことはないはずです。

どんな数字にゼロを掛けても答えはゼロになる。アナログ感覚がゼロに近づけば優秀なソフトウエアがあっても商品価値はゼロになる。

この辺りの事を藤原さんは感覚的に言ってのかな?と感じています。

今の世の中で電気に関係する物でソフトウエアが製品レベルで絡んでない物は少数派でしょう。機械設計でもCAD・CAEを使う事は当然になっています。CADは使っていますが、設計現場を理解していない製品が多くてフリーソフトが一番使いやすい(現場の人間が作ったのですから)フリーソフトの文化というのも面白い物です。

インターネットの普及と共に最近の10年ほどの間はソフトウエアが重要と認識されている影で現場の創意工夫の価値が低く見られる傾向が強くなったと感じます。

昔は計算屋と言うのが居まして計算尺や対数表、三角関数表と算盤で今の製品よりも高性能な物を沢山作っていました。素材の性能が格段に進歩したので単純比較すると見劣りしますが、見習うべき工夫は山のようにありますね。

この辺りの話は計算に入る前の段階で、顔を突き合わせて時には飲み食いしながら良い物が出来上がっていったと創造できます。

人間が使う機械を作っている訳ですから、電気信号を受け取った後の処理(始末)よりも電気信号を入れるまでのアナログ段階を練った方が高品質な製品が生まれるのではないかと感じます。

電卓で1÷3×3と計算すると答えは1には成らない。PCでも丸め誤差が必ずありますから、膨大な誤差の積み重ねで本来あるべき姿とは隔絶した答えが出て来たり(対策はしてあるでしょうが)したときに、何か違うぞ。と言う感覚を持っている人は良いのでしょうが、計算の結果を信じて疑わない人をデジタル呆けと言うのでしょう。

計算結果を信じて疑わない雰囲気が支配的になった所で、多少嘘を紛れ込ませて都合の良い結果を出すようにソフトウエアを組む傾向が出て来たようです。代表的な物は地球温暖化の根拠とされたグラフの捏造でしょうか?

私の仕事関係でも物理的に感知できない所の検査結果が出てくる検査機を作っている所とか良い商売をしているようで、世も末だなと感じます。

投稿: kazu | 2010年7月29日 (木) 03時07分

 今回の放送は賛否両論いろいろとあるようですが、私も「パソコンを使用した仕事」に携わる一人の人間として言わせてもらいますと、今回の放送に別段「不快感」を覚える部分はありませんでした。むしろ、私としては、

>又、パソコン以外の仕事が出来なくても、人からとやかく言われる覚えはありません。

>その発言は過ぎたる発言で、パソコンを使用して仕事をしている人たちに不快な思いをさせたのは事実です。

という発言のほうこそ不愉快なものでした。

 おそらく、一技術者様や凡人様は、この分野の第一線で長年活躍してこられたのでしょう。だから、その仕事に対する情熱、誠実さは痛いほどよくわかります。とは言え、上記の発言は、それを差し引いてみてもいささか過ぎた発言ではないかと。

 私は「パソコンを使用して仕事をしている人たち」の一人ですが、もちろん一技術者様や凡人様に比べれば、子供のお遊び程度のものでしょう(笑)。インターネットのホームページ関連とか、データベースの簡単な整理とか、後は一般事務とか。お二人と比較すれば「大したことがない仕事」です。

 お二人は、プロフェッショナルとしてご自分の仕事に誇りをお持ちです。それは大変結構なことですが、あたかもご自分が「パソコンを使用して仕事をしている人たち」を代表し、その思いを代弁するかのような発言は少し過ぎているような気がします。

 一言に「パソコンを使用して仕事をしている人たち」と言っても、様々なものがあるでしょう。ラジオ愛聴者様のおっしゃる「一般事務職」まあ、デスクワーク職に就いておられる方々も、その多くがパソコンの作業に追われております。

 そして、そういった方々の中には、もちろん自分の仕事に誇りを持っている方もおりますし、何か違うと思いつつもただ仕事をしている方もいる。もちろんパソコン以外の仕事をやりたいと自分なりに努力していらっしゃる方もいるし、パソコンだけでなく自然とも触れ合いたいと思っている方々もいる。同じ「パソコンを使用して仕事をしている人たち」でも、人それぞれです。

 そして重要なことなんですが、この放送は(私が言うのも差し出がましいのですが)すべての人に対して公開されております。その第一線にいる方々に対しても、アマチュアでも、あるいは別な職種の方でも、誰もがみな自由に傾聴できるわけです。

 なので、

>又、パソコン以外の仕事が出来なくても、人からとやかく言われる覚えはありません。

 この放送は、あなたたちだけのために公開されているのではありません。そういった様々な人たちのために公開されているのです。あなたたち第一線で活躍していらっしゃる方から見れば、不愉快で「とやかく言われているように聞こえること」でも、それ以外の人々にとって(たとえばパソコン以外の仕事を見出したいとか、他の価値観を得たいとか人さまざまだと思ういますが)は「とやかく言われていること」以上の意味があると私は思います。かなりえらそうなことを言って申し訳ないですが、そこのところは間違えないでいただきたい。

 要するに、凡人様の感覚で「その発言は過ぎたる発言で、パソコンを使用して仕事をしている人たちに不快な思いをさせたのは事実です」と語られても、同じ「パソコンを使用して仕事をしている人たち」が不快な思いばかりしたわけではないです。

 また、

>「パソコンを使用する仕事は勧めない」
>「パソコン以外の仕事が出来ない人がいる」

 この部分なのですが、まず上、「パソコンを使用する仕事は勧めない」に関しては、これは経済アナリストとしての藤原先生の今後の未来予測、分析から、そうおっしゃっているのではないかと思います。

 以前の放送で、藤原先生は

「今のように電気やガスなどが自由に使えるならともかく、これからはそういう今までのやり方が難しくなっていく」というようなことをおっしゃっていたと思います、何月何日の放送かは忘れましたが。

 そうなると、電気が使いたい放題の今ではそういうパソコンを使った仕事も豊富にあるだろうが、そういった生活恐慌などがもし本当に訪れた場合、そういったデジタル技術よりも農業などのほうが重要視されるのは、ある意味仕方がないと思うのです。もしかしたら、個人がパソコンでネットで書き込みをするなんて今では当たり前の行動も、今後自由にできなくなる可能性だってある。個人だけでなく、企業も使う場合が限られてくる可能性もあるでしょう。

 もちろん、そういったデジタル技術がなくなるとかそういうことではありません。しかし、現在に比べ、デジタル技術が社会に占める比重が小さくなるのではないか。もちろん、「今に比べれば」という意味です。

 そうなると、いまほどパソコン作業が世にあふれている、あるいはそれだけやっていればいいという状況にはならなくなるか、あるいはかなり限られてくるのではないか。

 となると、経済アナリストとしては、やはり将来性のある職業(表現がまずいかもしれないですが、もちろんデジタル技術がなくなるわけではないし、社会変革が起こっても重要なものであることは確かです。しかし、それは今ほど社会全体に占める比重が大きいものではなくなるのではないかという意味です。あくまでも予測であり、絶対こうなるとは言いません)を推奨するのは仕方がないのではないでしょうか。

 例えば、農業や観光業などが、今後占める割合が大きくなるとしたら、誰だってそういう仕事に就きたがるし、また推奨するだろうと思います。反対に、衰退がはじまった業種(言い方がまずいですが、要は社会における割合が以前よりは小さくなった)は、あまりお勧めしないのは、ある意味仕方がないことだと思います。

 だから、「パソコンを使用する仕事は勧めない」という発言につながったと私は理解しているのですが、私の理解が間違っているなら謝ります。ただ、少なくとも

>「パソコンを使用する仕事は勧めない」

という発言だけを見たとしても、それだけで偏見とは言えない気がします。

 また、二つ目の

>「パソコン以外の仕事が出来ない人がいる」

に関しては、私自身がそういう人間だから、身にしてよくわかります(笑)。実際、私はパソコン作業しかできませんし、アナログの力はかなり低いです。そして、そういう人間だからこそ、「パソコン以外の仕事が出来ない」ということがいかに大変かも、やはり身にしみてわかっているつもりです。

 要は藤原先生がおっしゃっているのは、デジタル+アナログのバランスの取れた人間になるよう努力しないと、これからの時代はやっていくのは難しいよ、ということでしょう。今まではパソコンならそれだけをあっていればいい、あるいは金さえあればいいとか、それ一辺倒な生き方でも生きていくことは確かにできた。しかし、これからはそれこそ「なんでもできる人間」にならないと、難しいよと。これは差別や偏見からというよりも、むしろ時代の流れを藤原先生なりに分析して、そういう結論に至ったということでしょう。

 よって、二つ目の発言も、それだけをもってしても、やはり偏見から来るものであるとは思えません。

 もちろん、人の立場によって受け取り方も異なってくるし、これはあくまでも私個人の受け取り方で、ひょっとしたらこう言うとり方をするのはごく少数かもしれない。ただ、

>その発言は過ぎたる発言で、パソコンを使用して仕事をしている人たちに不快な思いをさせたのは事実です。

という発言は、確かに不快に思った方もいるかもしれないが、それこそ「過ぎたる発言」のように思えて仕方がありません。


 

投稿: +9 | 2010年7月29日 (木) 19時10分

初めて書かせていただきます

いつも楽しみに拝聴させていただいております

私はコンピュータ関連のソフト設計を以前数十年にわたって行って来ました
数年前にリストラで職を失い個人事業主として細々と暮らしております

会社組織の中で右も左も自分の意思と関係なく向き合う仕事に長年馴らされていたので個人で活動するようになった時に言いようの無い不安に直面しました

それからは自分との戦いでした
上手くは言えませんが大きなカルチャーショックですね

いろいろな未体験の連続でしたが経験を積む事でこの数年で意思決定の素晴らしさと強さを持てるようになったと思います

そして便利すぎる都会生活に不安を感じたため田舎に住居を構えて休みの時に農業を勉強しています

将来は当地限界集落の一員として生活していきたいと思っています

デジタル呆けがいかなるものかは難しいですが

旧ソフト関係者として言えることはソフトは人間のある一定のパターン思考をプログラムしたものであって万能ではなく、到底人間の複雑な思考には及ばないと思います

人間のやる事がアナログと言うならばデジタルはアナログには勝てないでしょうね

デジタルを道具として使う事は便利ですし、必要でもありますが
ひとつ間違えば便利さが人間の能力を削いでしまう恐ろしさも兼ね備えていると考えています

これも田舎暮らしをして思った事なので書かせてくださいね

何でもひとりでやらなければ生活できない限界集落はゆったりと時間が過ぎる穏やかな生活ではありません
あらゆることを自分でするので時間がいくらあってもたりません
本当に人間を鍛えてくれますよ

ここで学んだ事は「便利さは裏を返せば危険」でした

私の感じた事は「便利さは便利さとして上手く使って行けばデジタル呆けにはならない」と藤原さんはおっしゃっているのではないでしょうか

掲示板にはいろいろな意見があって良いと思います

日々、いろいろ勉強させていただいております

ありがとうございます

支離滅裂ですいませんでした

kamakiri

投稿: kamakiri | 2010年7月29日 (木) 21時52分

こんばんは 連日お暑いですね。
今回の放送についてもそれぞれのご意見も暑いですねー
私は今回の先生のお話も、薄皮の表皮的な表現ではなくもっともっと深い意味でのご意見とお聞きいたしました。

投稿: なでしこ | 2010年7月29日 (木) 23時18分

場が荒れているというか、子供の喧嘩みたいですね。

「お前、アホだな。」
「アホというお前がアホだ。」

どっちも、どっちだ。


投稿: 通りすがり | 2010年7月30日 (金) 07時18分

形あるもの(たとえ概念であっても)はみな変化し消えうせます。だからそれを自己と同一視し、依り代にすることは必ず苦痛に繋がります。
自己の依り代としてきたものを否定されたとき、依り代と自己を同一視していると、まるで自己を否定されたような錯覚に陥ります。でも所詮錯覚なのです。依り代が消えうせても、あなたはあなたであり続けます。たとえなんの地位も無く、何も持たず、何も出来ずとも、存在は存在それ自体で自己を証明しており、証明を試みることによって却って自らを脅かすのです。
まずはじめに「Be」が在るのです。「Do」や「Have」はそれに付随するもので決して先立つものではありえません。「Do=何が出来るか」「Have=何を持っているか」といったことが「Be=存在」の証明になりうるというのは錯覚であり、有り得ないことです。自己の証明をしようとして苦しまないでください。証明など必要ないのです。どうか、あるがままの自己を許してあげてください。

投稿: YS | 2010年7月30日 (金) 09時31分

藤原先生,皆様いつもありがとうございます。

インターネットは大変便利なものですが,なかなか「本当の思い」や「人柄」は伝わらないように思います。すばらしい「思い」を持った人たちが言い合いをするのは、とてももったいない事と思いますので,遠山郷に集まって,話し合ってみるのは如何でしょうか。ネットより,会って話す方が100倍面白いと私は感じました。皆様のお話を是非お聞かせ下さいませ。      長澤巌 拝
               

投稿: 石 | 2010年7月30日 (金) 22時46分

私は小さなソフトウェア開発会社を経営している現在60歳になるものです。
長野県北部に住み、休みもほとんどとらず、東京中心に仕事をしております。
藤原先生の「小舟をこいで太平洋を渡ってみたらよい」とのお言葉が、比喩的な表現であるのなら、私は二十数年間小舟をこぎ続けて来ました。
今でもコンピュータシステム開発の上流の工程からプログラムつくり、その保守作業まで現役で行っております。

日本経済新聞社系のテレビなどで金融業界の人間や、不動産や会社をころがし得意になっている類の人間を見るたびに不快に思いますし、竹中平蔵が大嫌いなので、藤原先生のお話にはいつも共感を覚えておりました。十年以上前に、ときどきテレビでコメントされているころから注目もしておりました。また、NHKのラジオ朝一番でのお話を拝聴するのを毎月楽しみにしております。

しかし、無料で聴取させていただきながらの失礼を省みず申し上げますと、最近の放送は少しマンネリ化してきているよう感じておりました。
毎週休まず継続することは大変なことと推察いたしますが、ただご自身の願望を独り言つていらっしゃるように感じることもありました。
また、リーダシップのお話などは、これはご自身のセミナーの宣伝なのかなと思えてしまうこともありました。
そういう訳で最近は、以前ほど真剣には拝聴せず、タイトルだけ見て終わることもあります。

今回も、職人K さん同様コメントを先に読ませていただきました。
一技術者さんのコメントも、早く(職人K さんの書き込み以前)から拝見し、私も同業者として感想を述べさせていただこうと思っておりましたが、多忙のため今に至ってしまいました。

一技術者さんのコメントを拝見したとき、玉石混交というより石の方が多いソフトウェア技術者を日ごろ見ているものとしては、明確な主張を文書化できる一技術者さんには感服致しました。
そして、興味を持ち放送を聞かせていただきましたが、他の方々がコメントされているように私もそれほど不快に感じることはありませんでした。
が、他の方たちとは若干感想が異なります。
一技術者さんのコメントは、今回の放送についてのものですが多分伏線があったのではないかと思います。
一技術者さんは藤原先生の放送を何回かお聞きし、なんとなく感じていた思いが、今回の放送に対するコメントになったのではとないかと思います。
IT業界は「デスマーチ」という言葉で表現されるような過酷な労働環境で働く技術者が多くいることも事実ですが、お客様に満足していただける商品を創るため日夜目を輝かせて仕事に励んでいる技術者も数多くいます。

全てのものは、良い面、悪い面が必ずあります。また同じものに対する良し悪しも立場が変われば変わってきます。
もともと人間は衣食住すべてを自分で賄うゼネラリストであったはずです。徐々に分業が進み永い間にいろいろな分野のスペシャリストが生まれてきたと思います。
「餅は餅屋」が多くの場合効率的ですが、それが進みすぎるとおかしなことが起きてくるようにも感じます。
サプリメント中心に生活している学者の話を聞いたことがありますが、食事や生殖まで他人に任せては本来の人間としての存在意義を失います。
グローバル経済とかで、部品や原材料を世界中で一番コストパフォーマンスの良いところから調達すれば製造原価を抑えることはできますが、自然災害や地政学的リスクに対しては非常に脆弱です。
藤原先生が言われるように応仁の乱のような時代になるのでしたら、特定分野に特化した技術より、夜露を凌ぐ居場所を見つけたり食料を確保する能力の方がはるかに大切であると私も思います。

「自給自足的な世界」と「地球規模の分業の世界」との間のどの位置に立つかで考え方もいろいろなのではないでしょうか。
応仁の乱のような時代がくることを予見されている藤原先生が、「パソコンを使用する」ような専門に特化した仕事に否定的(消極的)なのはよく理解できます。
私は、「地産地消」が一番好きな言葉ですので、やや「自給自足的な世界」寄りの人間ですが、「地」は常に同じエリアではないと思っています。
野菜や果物の「地」、味噌醤油の「地」、地酒の「地」、衣料品の「地」、家電製品の「地」、自動車の「地」等のように産品に依って異なる「地」があると思います。
ただ、いくら広くてもせいぜい ASEAN+日本、中国、韓国くらいで止めるべきではないかとも感じています。
やや「自給自足的な世界」寄りの人間ですが、かなりの時間を「パソコンを使用する仕事」に費やしています。
週末は、小さな庭のある家で過ごしますので、野菜作りなどしたいと思いますが(以前は少しして見ました)、「パソコンを使用する仕事」に没頭しています。
私が創る「ソフトウェア」は、私の思う「地」において「地産地消」の中に組み込まれていると自負しておりますが、応仁の乱のような時代が来たら路頭に迷うことになるかも知れません。

最後に「デジタル」という言葉についてです。
大部分の方は正しくお使いのようですが世間では、ハイテク製品と同意語に使われていることがあります。
以前ラジオ番組で、「算盤のようなアナログなものを大切にしなければ。。。」と発言していた有名人がいました。
アナログとデジタルは(電子工学的には)、アナログは連続、デジタルは不連続を意味します。
算盤は、玉をあいまいな位置に置いては結果が読めませんので、上か下か判るように置きます。そういう意味で算盤は昔からありますが究極のデジタル機械です。
目盛をスライドさせて計算する『計算尺』はアナログ機械です。
自然界のものをデジタルで表現することは、厳密には困難だと思いますが、記憶容量が増大した現在、画像にしろ音声にしろかなりオリジナルに近く表現できるようになりました。
その表現されたのを見、聞いてアナログとデジタルの違いが本当に判る人がどのくらいいるかははなはだ疑問です。

アナログの世界で皆様のお顔や表情を拝見しならの会話でも議論が百出するようなテーマに、デジタルである文字で感想を述べても多分誤解を招くだろうと思いつつも率直な感想を書かせていただきました。

藤原先生、毎週ありがとうございます。

投稿: 出稼ぎ技術者 | 2010年7月31日 (土) 16時18分

まだ放送を聴いていないところですが、
ここで接点のできたソフトウェア開発者の方々と
土橋先生と私で、
医療用機器のソフト(電子カルテ含む)を評価・改良するブレインのグループを作れたら素敵だなあと、
ふと思いました。
土橋先生とは、まだ何も相談してませんし、
具体的な考えはまとまっていませんが、
そういうグループ作業のニーズと可能性を強く感じていたので、とりあえずの書き込みです。


投稿: おむすびころりん | 2010年7月31日 (土) 19時01分

みなさん、こんにちは。いつもありがとうございます。何かとても盛り上がっていますね。ちょうど出張と重なって(笑)。今日は土曜の夜でちょっと時間があります。

このラジオは一人で喋っていますので、反響をいただかないと誰にどのように聴かれているかわからいのです。今回はソフトのエンジニアの方からの反響ですね。私も他にいろいろな情報発信をしていますので、このラジオはまさに無心に思っていることをそのまま述べています。ですから特にソフト業界に対して何か言うとか、何か思惑を持ってしゃべるとか、そういうことはありません。しゃべっていることは本当にそう思っていることばかりです。でも何度も同じことを述べているとしたら、それが本当に大切だ、あるいは対処しないと大変だと思っているからで、そのあたりは聴いて御不快な思いをおかけしては申し訳ないと思いますが、遠慮して何もしゃべらなければこの放送の意味のないところで、どうぞ意のあるところをおくみ取りいただければ幸いです。

しかし私のトップリーダーシップ研修をお受けになったかはお聴きになったと思いますし、この放送でも昔話したことがあるかもしれませんが、この世の立て替えの一番最後は調和=美を最も大事にする人と創造=愛を最も大事にする心のすがすがしい人たちの間の戦いになると申し上げてきました。それは言い方を変えれば学と神の大戦いです。今回の書き込みはおそらく心のすがすがしい方の書き込みだと思います。考えてみればソフトと言うのは調和=美を隅々にまで求めるお仕事ですね。何かピンとくるところを感じました。お聴きになって御不快な思いをさせてしまったとしたら大変申し訳なく思いますが、世界中で今までの秩序、マネージメントがどんどん崩壊する今、どんな仕事をしていてもどんな地位と過去に立派な成果があっても、すべて初心忘れるべからず、ゼロからやり直す思いと実力が必要だということです。その実力も秩序を守ることよりも、かっこ悪くても秩序が多少乱れていても、とにかく愛の力で何かを創造していくということです。

どうやら最後の調和と創造の戦いが本格的になってきたということでしょう。どちらも最後は心のきれいな人たちが出てきます。しかし、学は神にはかなわないのです。ですから、本当にみんなそれぞれに自分自身や近くに大変なことが始まる前に、よく準備をして備えておくことが大切なのです。

個人、企業、産業レベル大峠が来た、あるいは大峠を越えた方も多いと思いますが、いよいよ話は政治経済産業のシステムの大峠に差し掛かってきたように思います。
どうぞみなさんよくよく自分自身を見直し、思いを共有する人たちと手を組み、この難関を越えてまいりましょう。調和より創造の時代です。この大転換点は。

ありがとうございます。どうぞますますご活躍ください。

藤原直哉 拝

投稿: 藤原直哉 | 2010年7月31日 (土) 19時52分

仕事熱心な皆様に
1 座業や姿勢による鬱血の回数が多いと、酸素不足でミトコンドリアの機能が正常でなくなり、長年積み重なれば細胞のガン化?(細胞の先祖返り)
2 年を取ると快い汗を流す程度の体温がよいのが実感出来ます。(実証例 1)
3 快い汗をかいて働こう??(実験してみては?)汗はデトックスの観点から意味有り。

投稿: kunio | 2010年7月31日 (土) 20時39分

kunioさん、こんにちは。お久しぶりです。お元気でご活躍のご様子、何よりです。河村市長もコスプレでハッスルしておられました。今の時代は戦争末期の総動員体制のような雰囲気が各所に漂っています。早く終戦が来た人ほど実は幸せです。おっしゃるように自分の周りだけでも幸せにするといいですね。

そうそう、算盤ですが、あれはたしかに球の動かし方はデジタルですが、算盤は実は暗算で計算して、暗算結果を玉で置いていくのです、ですから暗算が非常に上達します。そらくその効果が算盤を習う一番の効果だと思います。大変アナログ的な機械だと思います。紙での筆算も暗算を多用しますね。私も大学入試が終わって電卓を使いだしたところから暗算能力が一気に落ちて今日に至ってしまいました。その能力の低下によって非常に多くのことができなくなっているように感じます。もう一度みんな算盤を使うようになったら、日本人もだいぶたくましくなると思います。少なくとも、あのレジ・キオスクは昔のようなもっとスピーディーなキオスクに戻るでしょう。

ありがとうございます。どうぞますますご活躍ください。

藤原直哉 拝

投稿: 藤原直哉 | 2010年8月 1日 (日) 08時28分

デジタルぼけは納得です。

当方ソフトウェア開発者ですが、デジタルの世界は基本的に近似値です。整数や浮動小数で表すことができる数値はいくらbit数を多くしてもそれはやはり近似値です。カオスを知っていれば、初期値のほんのちょっとした違いが後々全然違う結果を生み出すことを理解できますので、近似値はほんのちょっと先の未来を予想するぐらいにしか使えません。

そして、世の中は超並列的です。デジタルの世界はわりと直列で、最近マルチコアCPUなんかが流行ってますが、あれでもたかが4とか8とかの並列にすぎません。一人の人間ですら、60兆個の細胞の並列処理で動いてますし、いや細胞ひとつですらとんでもない並列です。

あと、デジタルからアナログに変換するときにまやかしがあります。例えば、赤青緑の組み合わせで色を表現する、、、そりゃ人間にとっては同じ色に見えるかもしれませんが、決して元に戻ったわけではありません。

僕が思うには、デジタルで置き換えられるものは元々そんな価値がないということでしょうか。デジタルは近似値として理解した上で、あくまでツールとして使って、やっぱりデジタルで置き換えられないもの(アナログ)を大切にしないとだめだなぁとは思います。

投稿: Poko | 2010年8月 1日 (日) 10時40分

最後に鬼と申が出てくるのは結界を張るって意味なのでは?

投稿: テンカラ師 | 2010年8月 1日 (日) 23時17分

みなさん、こんにちは。いつもありがとうございます。デジタルぼけのお話ではいろいろと盛り上がりましたね。認めただけが世界と言いますので、みなさんそれぞれに自分の世界を広げていくことが興味の尽きない人生の旅だと思います。同時に会って話をするとそんなにもめないことがたくさんありますね。今月末の遠山郷は地元のお祭りに参加して花火を見ます。わたしも遠山ではみなさんとゆっくり時間を過ごすことができます。実物を見たくなったら、どうぞ夏の終わりの遠山に来て見てください。長澤さん、いつもありがとうございます。そうですね。本当に不思議に遠山に来るとみんな何か別人のように元気になりますね。この時代に本当にありがたいことだと思います。

霜月祭りのことですが、はい、何か守護をしているのだと思います。まだまだわからないことは他にもあって、専門家の方が既に言っておられますが、霜月祭りはすべての神社にそれぞれ役割があって、そのすべてが揃って全体が完結するという説です。少しづつお祭りが違いますからね、神社によって。もうすでに途絶えてしまった神社もありますからよくわからないのです。また和田地区はかまどの四隅で舞いますでしょ。でも木沢から北はかまどの四辺で舞います。これも何か違いに意味があるのでしょう。

ということで、どうぞみなさんますますお元気にご活躍ください。

藤原直哉 拝

投稿: 藤原直哉 | 2010年8月 3日 (火) 17時09分

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