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2010年7月 6日 (火)

藤原直哉の「21世紀はみんながリーダー」 2010年7月6日 何でもできる人の強さ

何でもできる人の強さ

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コメント

 そろそろ唯物論社会の弊害も、強く語られるべきときが来たのではないかと思います。

 以前、仏教関連の話で、六師外道の中の唯物論者たちを取り上げましたが、現代において、この六師外道の思想を引き継ぐような人間が増えているのではないか、そういう風に思えてなりません。

 命の尊さについて、私はそれは確率論やスケールの大小などで語られるべきものではないと主張しました。今でもその考えは変わりませんが、最近増えていると思われるのは「命の尊さ」論ではなく、「生命軽視論」です。

 六師外道の一人、パクダは七要素論を唱え、あらゆるものを唯物論的に解釈しました。その結果、彼の論は最終的には「殺人無罪論」までに至ったのです。

 パクダは言います。

 人を殺したとしても、それは罪にはならない。なぜなら人の首を刀で切っても、それは物質と物質の隙間をすり抜けただけ(物理変化が起こった)で、全体としては何も変わっていないからだ。そもそも、善悪という概念自体が、社会生活上便宜的に存在するもので、本当はそんなものはない。

 これが、あらゆる現象を唯物論的に解釈した結果の彼の結論でした。すでに古代インドの段階で、このような極限の道徳否定論が生まれていたのです。

 アジタ(唯物論的快楽主義)やプーラナ(根拠なき道徳否定論)に対してはあまり批判しなかった釈迦も、さすがにパクダの思想に関しては手厳しく批判しました。当たり前です。「殺すことに罪はない」とすれば、それは必然的に社会の崩壊や人間だけではなくあらゆる生命の尊厳軽視につながっていきかねないものだからです。

 なぜ、今これを取り上げたかというと、このパクダの考えと似たり寄ったりなことを公的な場所で話す「知的な若者」が出てきているからです。

 何年も前のことですが、ある番組に「知的な中高生」が出てきて、その一人が、以下のような発言をいたしました。

「日本には自由があるというが、人を殺すと裁かれる。したがって、本当の意味での自由など存在しない」のだと。

 この学生は、おそらく民主主義における「自由」の概念と無秩序の中の「放埓」の違いをまるで理解していないのだと思います。まずこの学生には民主主義や憲法学的な知識を身につけたうえで、さらには民主主義が定義する「自由」と「平等」という概念がいかなるものであるか理解したうえで話してほしいものです。

 また、他ではNHKなどでも、まれに「知的な若者」が出てきて、似たようなことを言いました。曰く、

「善悪というものは社会において便宜上存在しているものであり、絶対的な基準ではない。だから、本来ならば殺人を犯してもかまわないが、法的な裁きによる自分の人生における損失を考えれば、自分としては殺さないほうが利口だという結論に至った」

 要は、単に自分の損得勘定から人殺しをしないだけで、別に人を殺してもかまわないじゃないかと言いたいようです。

 これが某大型掲示板でそれ専用のスレッドの中での書き込み程度であれば別にかまいませんが、少なくとも公的な番組の中で放送していいものではないと思います。

 かつて、「殺人の自由」を要求し、自己の歪んだ価値観を認めない社会に対して反感を募らせて実際に殺人を犯したバカな中学生がおりました。

 言うまでもなく、神戸の少年Aです。彼は社会に対して自己の主張を正当化する「挑戦状」まで送りつけ、「殺人の自由」を要求したのです。上の学生と同じです。人殺しをする自由が認められていないから、本当の自由ではないという実に倒錯した価値観を、ただ頭の中で完結させている限りにおいては問題ないが(とは言え、潜在的な殺人者予備軍と言えなくもないが)、彼はその一線すら越えてしまったのです。

 この少年に対する反応は人それぞれでしたが、一番空恐ろしいのは、このAを「かっこいい」だの何だのと、まるで英雄視するような発言も少なからずあったということです。

 このAが、果たしてパクダを知っていたのかどうかは知りませんが、しかし、その思考パターンなどはきわめてよく似ていると思います。言っていることが、パクダのそれとほとんど同じなのですから。

 彼は、人を殺すことを「壊す」と言いました。実に唯物論的です。まあ彼が唯物論という高尚な考えを持っていたのかは別にして、まるで対象をモノとしか見ていない。生命に対する尊厳などまるでなく、それどころか、自分が死刑になっても殺したいと思ったと語るくらいです。自分の人生すら価値あるものだと思っていない。これは虚無主義の極致と言ったところでしょう。

 Aも、そして上記の「知的な若者」も、その本質では言っていることはパクダと変わりません。本人たちは「カッコつけてしゃべっているつもり」なんでしょうが、私から言わせれば、「あんたらが誇らしげにしゃべっていることなんて古代インドでとっくに釈迦に論破されてるよ」と。

 逆にいえば、その程度のものでしかないきわめて薄っぺらで浅はかなものだということです。

 はっきり言って、現代人が考えつきそうなものは、大体古代インドと古代ギリシャの段階で出尽くしております。古代インドと古代ギリシャの思想を網羅すれば、現代人の思想など、多少言葉を難しくしたくらいで、その8割から9割がた出てしまっているものばかりです。

 社会学者の宮台真司氏は、このような若者が増えるような状況を「脱社会性虚無主義」と呼んで、警鐘を鳴らしております。

 この脱社会性虚無主義のウィルスに感染したものには、「生命の尊さ」など「ださい」ものでしかありません。それどころか、己の自尊心を満足させるためならば殺人を犯してもいいが、損得勘定では明らかに損害のほうが大きいからやらないだけだと「公的な場所」においてさえ平気で語ります。

 こいつらが厄介なのは、なまじ「知的レベルが高い」が故に、生半可な理屈などでは説得できるものではないということです。逆にこちらが論破される可能性もあります。なるほど、「だったらなぜ命は尊いのか」を尋ねられたら、逆に答えに窮するかもしれない。生まれてくる確率が六十兆分の一だから?たった一つの命だから?しかし、超低確率など生命の尊厳とはまるで関係のないことですし、たった一つと言うが、逆にこの宇宙において、たった一つではないものを探すほうが困難でしょう。究極的には、原子でさえまったく同じものなど一つとして存在しえない。クオークでも同様です。どれだけ際限なく観察し、分析して言っても、逆に全く同じものなど存在しえるはずもないのです。生物、無生物にかかわらず。この程度の議論では、彼らは到底納得しないでしょうし、逆に欺瞞を感じるだけだと思います。要するに、上記のような連中は、

「知的レベルは高い(ただし、きわめて偏っているが)ものの、しかし他者に対する共感する能力に乏しい連中」と言えるわけです。感覚としては、レーニンやポルポトなどに近い連中でしょう。

 秋葉原の事件のとき、笑いながら携帯で写真を撮っていたものも大勢おりました。近くで負傷者を救助しているものを冷ややかな目で見ているだけのものもおりました。そして、驚くほど、彼らは「冷静」です。また、「客観的」でもありました。

 私は、こういった若者が増えている背景に、「行き過ぎた唯物論の弊害」があるのではないかとみております。

 例えば、科学に直接携わる研究者が、長年の努力の結果、超低確率で生命が生まれてくる事実を突き止めて、それでそこから何らかの感動を覚えるというのなら、それはそれで構わないと思います。あくまでも研究者間においては、共有しうる概念です。

 しかし、現在の若者は、そういう努力の過程など経ることもなく、ただ「知識」だけが与えられます。もちろん将来的に科学のほうに進む者もいるだろうが、多くはそうではない。

 だから、同じ「知識」を得ても、そこから得られる「解釈」や「意味」は全く異なるわけです。実際、いくら「超低確率」を主張しても、彼らは納得しないでしょう。むしろパクダの思想のほうが「すくなくとも筋道は通っている」と考えるのではないしょうか。

 確かに、論理的にはパクダの思想には一貫性があります。十分な根拠もある。しかもそれは、7要素という点さえ除けは、現代の唯物論にも十分通用しうるものだからです。

 結局、釈迦がなぜパクダを手厳しく批判したのか、理詰めで生命について考えていく場合、ただ論理だけでは生命の尊厳を突き止めるどころか、逆に生命軽視につながりかねないことに薄々気が付いていたからではないかと思います。ある意味、「脱社会性虚無主義」の到来を予見していたとも言えるかもしれません。

 結局、生命の尊さ、大切さは「論理」や「理屈」で語れるものではないということなのでしょう。逆にそれらに偏りすぎると「脱社会性虚無主義」に陥りかねない。

 実際、科学の発展をみると、人間の尊厳を否定する方向で進んでおります。天動説から地動説にひっくり返り、神の子供から猿の変種になり下がり、挙句の果てにはリベットの実験などから自己意識まで受動的なものになり下がりつつある。この調子でいけば、次に否定される尊厳があるとすれば、それは確実に「自己の尊厳」にかかわるものだが、今度は人間ばかりではなく、他の生物でさえ、「無生物との違い」を見出すのを難しくなりつつある。そうなると、「生命の尊厳って、いったいなんなの?」「命は本当に大切なものなの?」ということになってくる。生物と無生物に違いがないというなら、生きていても死んでも大して変わらんということにもつながりかねない。

 これでは虚無主義的な考え方が蔓延してくるのも仕方がないと思います。そろそろ「理屈抜き」に我々は「生命について」考えていかなければならない時期に入っているのではないでしょうか?

投稿: +9 | 2010年7月 6日 (火) 22時31分

先生の仰る小規模営農や林業の重要性は分かるのですが、石油が無ければ農業も林業も不可能です、当然ながら、日本はエネルギー資源を輸入に頼っています、幾ら省エネにつとめたとしても、年間10兆円を超える原油代金を輸出で稼ぐ必要があります。
まずは、余裕のあるうちに地熱など国内のエネルギー資源の開発を行って石油依存を低下させる必要があります、しかし日本が自立する方向に進もうとすると米国が買弁マスコミ等を巧妙に使って潰そうとするでしょうね。
なにをやるにしても、米国の干渉を排除しないとどうにもなりません、そのためには、コードネーム「ポダム」の後輩が支配する買弁マスコミをどうにかしなければ何一つ進まないでしょうね。

投稿: ^m^ | 2010年7月 7日 (水) 02時07分

みなさん、こんにちは。いつもありがとうございます。おっしゃるとおりですね。いよいよ我々は生命の本質についてこれから知らなければなりません。それがしっかり理解できたときに、本当に素晴らしい21世紀が来るのでしょう。

原油ですか?一度供給が絶えないと転換は進みそうにないですね。世の中というのはある程度無理が効くようになっています。何かのきっかけで深刻な供給途絶が合って、それを契機に一気にエネルギーの供給体制が変わるということになるかもしれません。米国はその時にはもうまったく力を持っていないでしょう。

ありがとうございます。どうぞますますご活躍ください。

藤原直哉 拝

投稿: 藤原直哉 | 2010年7月 7日 (水) 07時09分

藤原さんこんにちは。
今日の話,とっても共感です。
「何でもできる人」めざして日々精進ですね。
でも「器用貧乏」にならないよう、ちゃんと結果をだせるところまで行かないといけませんね。
60点でギリギリ「可」でもいいから合格して天から単位をいただきませんとね。

藤原さんのすごいところは、こんなすごい話をしながら、同時にアマチュア無線で小田原と遠山のアナログ通信回路を確保しちゃっているというところですね。(おめでとうございます)

^m^さん、こんにちは。 
油はなくても自給のための食料生産はできますよ。
僕は田・畑をあわせて1反半ほど自然農でやっています。
メインの農具は数種の鍬とスコップ、手で刈る鎌と運搬用リヤカーでやっています。(実際には、たまに軽トラックやエンジンの草刈機も使いますが、イザとなればなくてもなんとかなるでしょう)
最初に耕地の形を整えるときは耕運機も使いますが、それが整ったあとは、毎年耕運しなくても作物は育ちます。いえ、むしろ耕運はしないほうが作物も農地も健康的に育っていきます。これ実感です。
米だって自給をめざす規模ならば家族総出で手で植えて手で刈ればいいのです。化学肥料も農薬の「そんなものはこの世には存在しないのだ」と思えば使う気にもなりません。ほんの数十年前までそんなもの無しで食料はできていたのですから。

ただ、生産者と消費者が分離しているこの文明スタイルのままでは石油なしで食料を確保するのは極めて困難ですね。

つまりすべての人が一日の半分を使って食料を自給し、残りの半日で自分の特技を生かして世のために働く・・・という風に世のあり方(文明)がすっかり変わるまで、今度始まった乱世での建て替え・建て直しは進むと思うのです。建て替えを進めるために数年間石油の輸入ができなくなる・・・くらいのことも想定のうちに入れておかなければいけないでしょう。

そのときには、
経済アナリストも、お医者さんも、税理士さんも、造園業者も、印刷屋さんも、木こりさんも「半農半○」のライフスタイルになっていますね。(いったいどういう人選だ・・・笑)


投稿: yupon | 2010年7月 7日 (水) 08時16分

yupon さん、こんにちは。いつもありがとうございます。よいお話をありがとうございます。さいごのフレーズ、本当にそうですね(笑)。農は人の生活の基本ということに立ち返りつつありますね。

ま、今の世の中はなかなか自ら変わるということが難しいですから、危機が起きて、そこで新しい現実に対応するということしかないでしょう。資源も食料も商社をはじめ、国内で利権をむさぼっている連中がいますから、ここも一度に整理しないとなりません。そうすると信じられないような理由で供給途絶、ということしかないでしょう。そしてその危機のところから未来の仕組みづくりが始まりますから、それは今からいろいろ考えて行動している人の力が生きてくるところです。

やはり21世紀は戦略的低エネルギーの時代ですね。それから山の若い衆に作物を食われちゃった件ですが、結局農作業というのは、自分のために作物を育てているように見えて、実は天のために作物を育てているのですね。作物を育てることが天に対する人としての働きであり、それを誰が食べるかは神が決めている・・・、きっとそんな構図なのだろうと思っています。実際、この作物を食べなくてもyuponさんもわたしもまだ今のところ死んでませんから(笑)。でもあの若い衆一家は餓死していたかもしれませんね・・・。農の意味も実は表面から見るよりずっと深いような気がします。

ありがとうございます。どうぞますますご活躍ください。

藤原直哉 拝

投稿: 藤原直哉 | 2010年7月 8日 (木) 06時36分

yuponさん、いつもありがとうございます!

>経済アナリストも、お医者さんも、税理士さんも、造園業者も、印刷屋

単純で申し訳ありませんが、士・農・工・商・なんとか屋という身分制度も崩壊するんですね?
かなりな喜びを感じております私です(大笑)

フォーラムでは、及第点にも届かないギャクばかりで申し訳ございません。
そろそろ守屋の神に叱られそうです・・(正座)

投稿: 奥野彰久 | 2010年7月 8日 (木) 07時42分

こんにちは藤原様、直ぐに諦める人が多いですか。

これも一種のデジタル呆けなのでしょうね。

学生の時に先輩に言われた一言。実験値と理論値が一致したら面白くないだろ。この言葉にアナログの世界の全てが詰まっているように思います。

半年ぶりに取引先から連絡があり部品の定期交換でネジを潰してしまったと。無茶苦茶な要求でしたので無理な設計をしましてネジが潰れる事は予想していましたが1回目の交換でいきなり潰すとは。。。。。

上場企業の技術者が、この有様です。物を見て危なそうな所が解らないのですね。そう言えば、この技術者も上場企業と言うことで鬱病を患いながら会社に依存していましたね。

無理・無駄・ムラの話もありましたが、新しい物を創造する時の方法です。生産の現場では無い方がよいのですが、開発の現場で排除すると何も生まれてきません。

経団連企業が新製品を生み出せないのも、何とかの一つ覚え的な人が跋扈しているからでしょう。研究開発の現場でも無駄なことばかりしているように見える人が画期的な実績を残している印象です。

予算管理をしている厄人も一つ覚えのデジタル人間ですから、とんでもない実績が出て来て大慌てをする訳です。(万能細胞の一件が象徴的です)

関係ない話ですが、アデン湾の海賊はどうなったのでしょうか?実は宇宙戦争が・・・と言うブログがありました。
http://quasimoto.exblog.jp/12671802/

科学の常識も変わる時なのでしょうか???

投稿: kazu | 2010年7月 9日 (金) 01時00分

みなさん、こんにちは。いつもありがとうございます。デジタルボケは大変なものですね。全部やり直しです。やっぱりここはアナログ人間を集めてヨコにつなげていくしかないと思います。今年は経済界でも人の動きが見えてくるのではないでしょうか。アデン海ですか、おもしろいですね。いろいろな秘密が明らかになってくる時だと思います。日本も地下にはいろいろあると思いますよ。多くの日本人が仰天するような地下施設を既に政府は作って毎日維持管理しているのではないでしょうか。
ありがとうございます。どうぞますますご活躍ください。

藤原直哉 拝

投稿: 藤原直哉 | 2010年7月 9日 (金) 06時12分

こんにちは藤原様、面白いブログがありました。

不思議なことに、この「組織依存」意識は、学歴や大学のランクが高くなるほどより強くなります。すなわち日本では、自立心は学歴に反比例するようです。このことは我が国の人材育成と育成された人材の活用において、深刻な問題を生みだしています。国民の貴重な税金を投入する国立大学およびその大学院で長い年数をかけて育てた人材が皆、人や企業に雇ってもらうことを求めるなら、誰が新産業を創出し、誰が人を雇うのでしょう。日本の未来の最大の不安は、ここにあると思います。私は高学歴の人がみな、賃金労働者になるのではなく、起業家にもなって欲しいと願っています。
http://sites.google.com/site/profkawata/backnumber/1007

発見から50年も誰も見向きもしなかった物理現象を使って新たな工学分野を開拓した方です。

他にも色々書いてあるのですが、MBAの言うことは無視するとか本物の人の感性って共通して居るんだなと感心しました。

投稿: kazu | 2010年7月13日 (火) 01時50分

 参議院選挙対策で、先週の後半は、日経平均とNYダウが日本の公的資金で値上がりしたそうです。
 公的資金で株の買い上げても、選挙の結果は、民主党の大敗。
効果はあったようには感じられず、無駄遣いでした。

 今後の政局は、「1」ですかね。前にも横にも進まない状態だあ~~~。
さっさと、「4」に移って、大々的な改革をして頂きたいと思います。

1.連立を組めず、ねじれ国会のまま、予算以外はなにも決まらない。
2.公明党との連立
3.民主・自民との大連立。
4.政界大再編

 高遠菜穂子さん情報によると、いつ中東戦争になってもおかしくないそうです。

 経済も外交も深刻さを増しますが、日本の政治は、参議院選挙後、何も対応することができなくなりました。

投稿: もぐろ ふくぞう | 2010年7月13日 (火) 14時59分

英国はAAAを維持。不思議だ。

ねじれ国会で、格付け会社が、日本国債の格下げの可能性を示唆。

年後半は、ハゲタカファンドから、日本が標的にされるかも。

鳩山政権から菅政権にかえて選挙に挑んだが、結果はごらんの通り。
郵政民営化は変更できず。公務員改革できず。環境関連法案もおシャカ。
日本はドンズマリ。
ジャパンハンドラーにはめられた気がする。

投稿: もぐろ ふくぞう | 2010年7月13日 (火) 16時33分

みなさん、こんにちは。いつもありがとうございます。そうですね、みんな起業してみたらいいですね。なんか目の前の小さな既得権に執着して動かない人が多いようです。でもこれからは無理やり泳がされる時代でしょう。そうなったらまた新しい人が出てくると思います。

世界情勢もどんどん混沌としてきますね。クルーグマンも今は3回目の世界大恐慌だと言っています。あと3年もすると西欧世界は完全にタガが外れた桶みたいになっているのではないでしょうか。誰も時節にはかなわないようですね。

ありがとうございます。どうぞますますご活躍ください。

藤原直哉 拝

投稿: 藤原直哉 | 2010年7月13日 (火) 22時29分

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