藤原直哉の「日本と世界にひとこと」 2009年11月10日 本格的な成長戦略とは
本格的な成長戦略とは
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コメント
藤原先生 はじめまして.(^^)
毎回、楽しみに拝聴させて頂いております。
先生の御本も数冊読ませていただきました。
さて最近読んだ本で「預金と借金がゼロになる日」がございます。(平成13年にお書きのようですが・・)
このような事態がこれからも起こる可能性があると考えられるでしょうか?
もしそのような事態になった時、庶民はどのように対処すべきでしょうか?
本当の事を申しますと零細企業は預金は少なく、借金が多いので、その時を心待ちにしておりますが.(泣き笑い)
投稿: ナデシコ | 2009年11月10日 (火) 17時47分
ナデシコさん、こんにちは。いつもありがとうございます。その本ですね。これからハイパーインフレがくるという意味ですね。ハイパーインフレがくると預金と借金、資産と負債の価値が両方ともなくなってしまいます。第二次大戦後の出来事などを想定していただければよいと思います。
しかしハイパーインフレにも程度があります。第二次大戦後のようにだいたい物価が100倍になるか、第一次大戦後のドイツのように1兆倍になるか、あるいは70年代の狂乱物価のように2倍になるか、実際にやってみないと分かりません。これから政治を含めて日本の立て直しが本格的に進めばあまりハイパーインフレはひどくならないでしょう。そうでなければ徹底的なハイパーインフレになるでしょう。
ですから今の段階でどうなるかは想定できません。でもいずれにしろ物価上昇分は預金と借金の価値はゼロに近づきます。
よくハイパーインフレになると借金が消えるからありがたいというお話がありますが、それはハイパーインフレのさなかに金利を払えればという条件付きです。たいていの場合はハイパーインフレに伴う社会の混乱で仕事がなくなったり、上昇し続ける金利を払えなくなったりして、結局債務不履行で担保を取られてしまうことが多いのです。
ですから抜本的な対策としてはハイパーインフレが始まってもその分だけ売値を上げられるような付加価値の高い商品を作ることが一番です。庶民でもできることです。あるいは貨幣に依存しない自給自足の世界に住むとか、金塊を買っておくとか、それぐらいでしょう。
でももっと大切なことがあります。ハイパーインフレは一度火がつけばだいたい終息までに5年はかかるでしょう。その間に世の中はすっかり変わってしまいます。ですからハイパーインフレのさなかで去りゆくものと来るものをよく見極めて、ハイパーインフレが終わった後に安定して暮らせるように行動していくことが一番です。それは庶民でもできることです。そうしないと、ハイパーインフレは乗り切ったもののすっかり浦島太郎になってしまって、もうろうとしてそれから先の人生を送らなければならなくなります。
要するに守りに入っていてはだめで、積極的に行動することが大切だということですね。どうぞますますご活躍されてください。
藤原直哉 拝
投稿: 藤原直哉 | 2009年11月10日 (火) 19時57分
先生 有難う御座います。
大戦後、預金封鎖になった事は祖父から聞いております。そして「株を買う」と言うと預金を引き出せたそうですね。
現在の私は僅かの資金で空売りしては何とか凌いでおります.(笑い)
しかし時代は巡ってくるものですねー。
朝のラジオの「ビジネス展望」歯切れのよい先生のお話をいつも楽しみにしております。
有難うございました。
投稿: ナデシコ | 2009年11月10日 (火) 20時18分
藤原さん、いつも聴いてます。
街づくりですか‥‥今の日本では何か全てが一掃されない限り考えにくいことですね。
戦後の日本のように焼け野原になってしまうような、物理的な痛みを伴わなければ、新たな前進のために動き出すことは無理とも思われます。
ここまで借金づけになった国家ですから、街づくりのような多額の税金を投じる事業は難しいはずです。
いったん国家財政がデフォルトし、痛みを国民全体が味わえば、
ホント「預金も借金もゼロ」になり、
新しい道が見えるかもしれませんね。
投稿: hide | 2009年11月10日 (火) 21時06分
ナデシコさん、こんにちは。そうですか、相場でハイパーインフレを乗り切るのは大変ですよ。ご成功をお祈りします。
hideさん、こんにちは。いつもありがとうございます。町づくりは何十年、場合によっては100年以上かけて行うわけですから、十分に可能だと思いますよ。どうせ今の町並みはあと30年でほとんど廃墟でしょう。まず地域ごとに区画を決めて、そこに新しい町を作るのですね。それでヨコに広げていけばよいと思います。当然、税金では難しいです。でもみんな相場を張ったり海外にお金を預けたりと、世の中にはハイパーインフレで困るほどのお金がたまっています。これを国策投資銀行を作って預金などの任意の形で集めて投資すればよいと思います。とにかくカネは腐るほど世の中にあります。あいている土地も腐るほどあります。土地など権利放棄制度を作って、土地がいらない人は国に返納して、以降、土地に関する義務からも解放してあげたらよいと思います。どうせそういう土地はまともに固定資産税も取れないわけですから。そして人もいるし技術もあるし、だいたいのひな型もあります。あとはそれらを一つに統合するだけです。
とにかく新しい町づくりは新しい理念と新しい文明を作るという人々の気持ちの勃興なくしてはできません。すなわち新しい元気がないとできないのですね。その元気は政治リーダーがまず言葉で人々に働きかけることによってしか生まれません。まずお金の前に言葉ありき、リーダーシップの原点です。日本人に眠っている遺伝子をオンにすること、それが国のトップリーダーの最大の仕事ですね。大いに期待したいと思っています。
どうぞますますご活躍ください。ありがとうございます。
藤原直哉 拝
投稿: 藤原直哉 | 2009年11月10日 (火) 21時24分
藤原先生。いつも本音をありがとうございます。
新しい世界を知るために塩野七生作『ローマ亡き後の地中海世界』を頑張って読み終えました。そうして私の脳がついに錯乱してしまいました。
その勉強の結果思いついた新しい経済体制とは、人さらい経済、身代金搾取政策、つまり北鮮政策です。ローマ亡き後の地中海世界を席巻したイスラム教徒の海賊が、海賊による搾取・略奪・誘拐という一大産業構造を作りました。その海賊産業がやがて、さらって来た人質を奴隷にして様々な建設(箱物文化の繁栄?)をやったり、更にそれに付随するところの海運業や海賊船建造のための造船業、金融業(身代金の運用法や送金システム)を発展させ、さらに様々な芸術の振興と続きました。少し前提を変えれば、それなりに立派とは言えなくても、整合性のある社会が出来上がると言うことを知りました。それはまるで、ユークリッド幾何学を成立させる前提に少し手を加えれば非ユーリッド幾何学が立派に成り立つように。
だから、一見奇妙と思えるような価値観でも、それを元に体制を造り上げれば、それはそれで、結構な整合性のある世界が出来上がるものだと思いました。だからこそ、勇気を出そう。やってみれば、それなりに結果がついてくるのかもしれません。私のような脳みそがパンクした者でも、結構使えるかもしれません。
乱筆をお詫びします。皆さんのレベルについていけなくて、でもっ!頑張ってみましたっ!
投稿: みかんちゃん | 2009年11月10日 (火) 21時50分
みかんちゃんさん、こんにちは。いつもありががとうございます。そうですか、塩野さんの本をお読みになりましたか。彼女の本は本当に引き込まれますね。
おっしゃるとおり、ローマ帝国崩壊後の地中海世界はそれまでのローマ帝国の繁栄から比べたら目も当てられない状況になりました。祇園精舎の鐘の声なんていうものではありません。こういう積年の恨みが今にも続いてイスラムとキリスト・ユダヤの対決が終わらないのでしょうね。
でもまたおっしゃるとおり、世の中は「まさか」という坂をいくつも越えながら新しい時代になっていきます。そして今日と未来があるわけですね。たくましく生きていかないといけませんね。
ありがとうございます。どうぞますますご活躍ください。
藤原直哉 拝
投稿: 藤原直哉 | 2009年11月10日 (火) 23時05分
不況の町、室蘭で、7年くらい前に都市計画事業をしました。
室蘭で一番の繁華街で東室蘭駅前の街路整備や区画整理を行いました。ねらいは、商業の活性化です。
不況がかなり深刻化しておりまして、オーナー達は区画整理や街路事業の用地補償費のお金をもらっても、同じ場所で商売はせず、郊外や他の都市へ移転したり、店をたたんでしまいました。
事業完成後、元々商店街だったところが、半分以上空き地になり、犬や猫の毛の生え替わりのように、飛び飛びになり非常に見苦しくなってしまいました。
計画図は非常に立派だったけど。できあがりはびっくり状態に、かえってさびれました。
明治から昭和50年代ぐらいは、計画者の意図通りに都市計画の結果はでますが、
最近の都市計画は、住民が望んでいることをしないといい結果が出ないようです。
歴史的に、平城京、平安京、鎌倉幕府など、支配者が変わるたびに遷都により新たな町づくりがされ、活況を呈しました。
住民の望む都市づくり、あるいは、時代が必要とする都市づくりでなく、経済的に潤すために都市作りをするという発想は、今回の不況には通用しないと思います。
投稿: 憂い | 2009年11月11日 (水) 00時47分
30年近く前になりますが、40日ほどかけて当時の西ヨーロッパの街を歩き回ったことがあります。エジンバラ、ブリュージュ、ベルン、グリンデルワルド、ベニスなど、国により地方により個性的で美しい街の数々に目を奪われるとともに、お金も能力もあるはずのわが国の都会がなぜこんなにみすぼらしいのかと疑問に思ったことを記憶しています。わが国でもようやく50年~100年の息の長い仕事に取り掛かる機が熟したのを感じます。
投稿: 米谷 明 | 2009年11月11日 (水) 04時09分
みなさん、こんにちは。いつもありがとうございます。まことにおっしゃる通りですね。そもそも都市計画というのは一つの大きな発想が市民に共有されて初めてできることですから、戦後の日本のように思想も何もばらばらになった時代には極めて難しいのです。でもばらばらな時代を半世紀もやってきて、しかもその時代がどんどん衰退していって、ここらでもっとしっかりしたものを作らなければという思いは日本人のなかに深く広がっていると思います。
今の日本の町は言ってみればバラック造りですから、何かエネルギーが盛り上がってくれば一気に新しい街に作り直そうという話になるかもしれません。しかし同時に町づくりはあわてる必要もないわけで、要するに持続的内需の源泉が町づくりなのですから、単に建物を作るだけでなく、輸送手段も道具もエネルギーも食料も流通も、しっかり考えてやっていけばよいのです。
新幹線も最初は小田原に実験線ができて、それから東京と新大阪にひろがって、それから岡山、博多と広がって、それから東北、上越、長野、九州と徐々に広がっていきました。東名高速もそうですね。最初は確か東京から厚木まででしたかね?東名は東京から横浜町田までが設計速度100キロですが、横浜町田から厚木までは設計速度が120キロです。だから東京から来るとこの間はカーブやこう配が緩やかなのに気付くと思います。最初はいろんなことを考えていたのですね。
町づくりも同じようなものです。まずどっかで実験が行われます。そうしたら一番それを必要としているところで実用化します。それでも最初はたいてい赤字なのですね。でもやがてそのよさがわかってくると全国広がっていって、そのうちそれがないと困るというようになります。
持続的な経済成長というのは強者も弱者もなく、すべての人に働く機会ができて初めて達成できるものです。それを内需でということになったら、基本は町づくり、もっといえば21世紀の都市づくりです。そして都市を支える田舎づくりでもあるのです。さらに何よりも新しい都市や田舎はこうありたい、こう使いたいという哲学が市民に共有されていることが大切で、それがもっと長い歴史のスパンで新しい文明というものになっていくのですね。
どうぞみなさんますますご活躍ください。ありがとうございます。
藤原直哉 拝
投稿: 藤原直哉 | 2009年11月11日 (水) 07時54分
藤原先生、こんばんわ。いつも素晴らしいお話を有難うございます。だんだん、これから進むべき日本の未来の社会への具体的なお話になってきました。お聴きして、なるほど、、と思います。これまでの150年は、「転」であって、いよいよこれからは「結」の時代なのですね。これまで発展してきた良いものをとりいれての自然回帰型社会でしょうか。
最近、確かに江戸時代に注目する人が一般人でも多いようです。自ら「ザ・ラストサムライ」で、江戸時代の研究家であった私の先生からも、江戸時代にはあらゆるものが完成されていたと聞いています。刀剣、鍵、美術装飾、などいわゆる職人技術といわれるものです。現代では到底出来ないレベルに達しています。それらに限らず、身分制度はあったものの、それぞれの分に応じて、庶民の暮らしぶりも、呑気でなかなか良い暮らしだったとも聞いています。学問も庶民の寺子屋から、武士の教養まで、かなりのレベルです。
近くの城下町でも、昭和のある時代まで、街中に松の木があり川が流れている素晴らしい街並みでしたが、クルマ社会になると同時に木を切り道幅を広げ、昔の面影はなくなりました。その後、ショッピングセンターが郊外に出来てからはシャッター通りになり果ててさびしい限りです。以前の街並みだったら、今、訪れる人も多かったかもしれません。
金沢などでも、チンチン電車を復活させようとか、、だんだんと昔の良さが注目されはじめていることは確かですね。 私も先日、建築家の方から、木の良さについてのお話を聞いたところで、藤原先生のお話に通じるものがありました。
http://tuziokamegane.blog108.fc2.com/blog-date-20091111.html
これからも御指導よろしくお願い致します。
投稿: 職人K | 2009年11月11日 (水) 23時48分
藤原先生こんばんは。いつも、貴重なお話ありがとうございます。
都市計画に関するお話やコメント、たいへんためになりました。
現在住んでいますところは、何かの事情で開発を免れ、100年も経った家が点在し、
道路も新しく通ることなく、住む人も昔のままのいなかの集落なのでありますが、
自然界のふところの中で、地域まるごとが時を経た感動深さがあり涙をこらえるのも
難しいほどの美しさがあります。
こうした集落は日本の中に、探せば無数に存在するのではと想像しますのですが、
この、たまに見かける偶然の町が、もしも国内そこいらじゅうに見られるものとなりまし
たら、国そのものがアート、ではありませんでしょうか。外国の方たちが行きたい、住
みたい国いちばんになるのでは、と想像いたします。
モデル地区がひとつできる、それが全国に広がる、ぜひそうなってほしいです。その
ように考えるのは私だけでないような気がいたします。なぜならそこは桃源郷ですので。永遠のようなものですので。
そうしたことへの投資、もしも貧しい一市民にでも可能なことが生じましたらぜひ行いたいです。そうしたことでしたら、がんばってうんと働いて税金もおさめたいというものであります。(笑)
いつもたどたどしく勝手なことを書きお許しください。たくさんの勇気のわくお話、今日もありがとうございました。
投稿: kirako | 2009年11月11日 (水) 23時49分
お世話になります。
私は、「建築医学」によるまちづくりに着目しています。
一般社団法人 日本建築医学協会
http://www.architectural-medicine.jp
子どもが夢を持てる社会環境を目指して
~健やかな、いのちを育む環境を創造する。
そのための新しい医学が「建築医学」である。
それがわたしたちの、今の熱い想いです。
医学は、長い歴史と伝統を持ち、高い倫理性を要求される、
高度に専門的な学問領域です。
わたしたちの「建築医学」は、そこに現れた新しい息吹です。
「建物のあり方」「都市のあり方」「住まい方」に対する、
確かな医学的エビデンスを集積すること。
それらに基づき、社会に信頼される未来への提言を行うこと。
これがわたしたちの責務です。
いのちに関わる責任の重大さを厳しく自覚しつつ、
勇気ある一歩を、
皆様とともにここに印したいと決意しています。~
わたしはこの「建築医学」と
「エコビレッジによる観光立国」をかけあわせたいと
考えています。
誰か予算をつけてそういうプロジェクトを立ち上げて
私を雇って欲しい!(失業中)(笑)
ご参考まで。
投稿: SHIMIZU | 2009年11月12日 (木) 00時04分
みなさん、こんにちは。いつもありがとうございます。ふと30年ぐらい前の日本を思い出せば、ずいぶん昔の文化や景観が残っていましたね。ここ30年間であっという間に無機質な空間に変わってしまったところがたくさんあります。起承転結の結というイメージでこれから我々の時代に新しい町の創造をしていかないといけませんね。都市というのは創るのに何十年もかかります。でもそれでいいのですね。じっくりさまざまな技術や道具を開発しながらじっくり作るから、持続的経済成長も生まれるし、よりよい町がつくられるのですね。医療との関係も実に興味深いですね。今の都市計画や建物、建材に潜むたくさん問題、これらもこれから一つ一つ解決するというよりも、抜本的に問題が起きない方向へ変えていく時代なのでしょう。振り返ってみれば、太古の昔から縄文時代までが起、弥生から江戸までが東洋文化が入った承、明治から今日までが西洋文化の入った転、そしてこれから太古からの日本に東洋と西洋の文化を融合させた結の時代が来る、なんかとても元気に出る話ですね。みなさんの力をあわせて未来を作ってまいりましょう。どうもありがとうございます。ますますのご活躍をお祈りしております。
藤原直哉 拝
投稿: 藤原直哉 | 2009年11月12日 (木) 07時33分
こんにちは藤原様、お金は溢れていますね。何処を回っているのかサッパリ解りませんが(笑
江戸時代の認識が多少ズレて居るなと話を聞いていました。和算の本を読んでいて江戸時代の日本は世界最先端の事を庶民が娯楽として楽しんでいた。と感じていました。
飛行機も日本人の発明ですし乾電池、光ファイバー、導電性プラスチック、先物取引。などなど日本が外国の物真似ばかりと言うイメージは日米貿易摩擦の影響ではないでしょうか?
日本は一所懸命の文化ですので、オタクが多い。日頃は注目されなくても適合する分野になれば教祖様の如く他者を圧倒する迫力があります。
アニメが代表だと思いますが、宇宙戦艦ヤマトは最初のテレビ放送は全く反響がなかったそうですが、再放送で人気に火が付いた。作者の意図する面白味が一般人(当時は子供かな?)の理解を超えていた?
どの分野にもオタクは存在しますので、適材適所を旨くやれば(経営という事でしょうが)世界が真似できない物は沢山出てくると思いますよ。
自分の心が突き動かされる事を仕事にすると自主的に勉強もしますし謙虚にも成るように思います。これが商売が先に立ってしまうと何とも醜い姿となってしまうのでは無いでしょうか?
研究者でも生活のために研究をしている方が沢山居ます。権威や学会という小さな枠では威張っているのですが、色々と話を聞くと横文字で説明するのが特徴です。
面白いから研究している方は説明する時に横文字の意味を知っているか?概念程度は解っているか?必ず質問してきます。こういう細かい所でリーダーとなる方が物事を決めて行けばよいのでしょうが、政権が変わって始まったばかりで良く解りません。
展示会の案内が来ていて出展者を眺めていたら、メーカーの半分弱が助成金を貰っていますね。何処まで金が回っていないのか?何年同じ物を作り続ければ気が済むのかと言う内容です。誰かが行きますので変わった物があったかと聞くのですがワクワクする物は出て来ませんね。モーターショート同じです。
事業仕分けをネットで中継していますのでラジオのように聞いていますが、酷い物ですね。予算の必要性と効果についての質問が中心のようですが、官僚さんが緊張しているのか理論破綻している返答もチラホラと。お手本と目標が明確な時代には抜群に優秀な方達ですが不確定な時代には極めて弱い。
どの様な時代になるのか?街作りは私にはピンと来ませんでした。ですが、金も人も技術も必要な物は全て揃っています。商人を通じて調達すると間違えるのでしょうが、「このゆびとまれ」「リーダーが自分の足で捜す」などチョット苦労すれば最適な人は出て来ます。
銀行取引に課税すると国費が賄えるそうです
http://blog.trend-review.net/blog/2009/11/001432.html
銀行と金利と寄生虫がどう邪魔をするのか?
マネーは価値交換手段の道具として残れば無用な混乱が無くなると思うのですが、日銀はデフレ解消に手が打てないのでしょうか?
投稿: kazu | 2009年11月13日 (金) 01時32分
kazuさん、こんにちは。いつもありがとうございます。江戸時代のすごさは実は世界もよく認めていまして、だからこそ明治以降封印されてしまったという面が大変強くあります。この時代はお金で物事を推し量る価値観はすべてではないのです。ですからおっしゃるオタクも堂々と世の中で認められていたのですね。社会のトップの価値観がお金ではないからできたことなのです。
事業仕分けももうすでにいろいろな問題を生んでいます。革命ですよ、革命。平成の市民革命が進行中で、人民裁判ですね(大笑)。革命の昨日の勝者は今日の敗者ということもあります。民主党もこれからが勝負ですね。
金融関係はこれからまた底が抜けて、最後はWTCビルみたいなことになると思います。最初に潰れたロックフェラー、次に潰れるロスチャイルド、最初に潰れた株式、次に潰れる商品、最初に潰れた証券、次に潰れる銀行、どう言っても同じだと思います。とどめはWTC7号館ビルですね。ここはある意味で中枢でしたからね。ここが最後に音もなくつぶれる。これが中央銀行ですかね。いろいろな意味で神が表に現れて、直接物事を動かしておられるようですね。すごい時代です。
どうもありがとうございます。どうぞますますご活躍ください。
藤原直哉 拝
投稿: 藤原直哉 | 2009年11月13日 (金) 06時46分
藤原先生こんにちは。
明日の遠山でのお話も楽しみにしています。
いよいよ日本航空の撤退で松本空港が「空き地」になりそうです。広大な跡地利用は・・・・???
藤原先生のおっしゃる「新しい街のモデル事業」・・・それいいですね! ついでに首都機能も松本に移しちゃいましょう。・・・って、空港が近くに無かったら、首都機能移転はムリですね。 残念っっ!
投稿: yupon | 2009年11月13日 (金) 17時32分
歴史的には、これからまれに見る不況が来ることは藤原先生のお話で理解できるのですが、周りにいる大多数の人たちは、普通の不況より少々悪いぐらいの認識であり、又、マスコミも全然騒いでいないためか、肌に感じる感覚、あるいは、感情に訴えかける感覚ではまだ実感できていません。
デリバティブでは、8京円の焦げ付き、米国FRBは実際は破産状態、よって、米国も実は破綻状態、英国も破綻状態、欧米の名だたる金融機関も破綻間際、日本も本当のことをいうと国債が重くのしかかり、破綻しているようなもの、・・・。色々な事実を挙げればきりがありませんが、頭では、とんでもないことになっていると分かった気でいます。
しかし、感情的なものでは、「なんでこれほど静穏状態を保っていられるのか不思議」、というくらいなもので、まだ、せっぱつまるような不況感というようなものを感覚的な面ではそれほど感じていません。数ヶ月後には、(遅くとも、1年以内には) じっくり感じるのでしょうけれども。
歴史的には、不況や混乱の度合いが大きいほど世の中が大きく変わります。1989年にベルリンの壁が崩壊し、共産国は瞬く間に消え去り、資本主義国へと大きく変わりました。同様に、長年続いてきた資本主義経済が何かのきっかけがあれば、すぐにでも倒れようとしています。
自分は今まさにその時を目撃しているか目撃しようとしているわけですが、見えないところで進んでいるのか、今ひとつ、分かりません。
ひょっとしたら、倒れる時は一瞬で、気づいた時は、1日で資本主義経済が麻痺し、にっちもさっちも行かないのではと、訳もわからないのに勝手に、危惧しています。
投稿: 憂い | 2009年11月13日 (金) 19時18分
アメリカでトヨタのレクサスの暴走事故が問題になっていますね、この車はキーシリンダーが無くて、運転者がとっさにエンジンを切る事が出来なかったようです。
私はかれこれ35年ほどオートバイに乗っていますが、オートバイには、随分昔から、ハンドルの右側にキルスイッチが付いていて、非常時にイグニッション回路を切断することができるようになっています。
該当車は非常に高価な車なので、その程度の装備をするぐらい問題にならないと思います。
今の技術者は非常時に対する想像力が不足していると思います。
投稿: ^m^ | 2009年11月13日 (金) 20時41分
みなさん、こんにちは。いつもありがとうございます。
yuponさん、明日・あさってはよろしくお願いします。もう遠山郷もだいぶ寒そうですね。遠山は寒くなると霜月祭りなのです。そして祭りが終わると、3月半ばぐらいまでは本当の冬、お休みのとき、という感じですね。
憂いさん、はい、私もそう思います。本当に最後の最後はみんなの警戒心が緩むのですね。その時に一気に決着がつくようです。今年、来年は各国、各システムの中枢でそういうことが起きそうですね。まさに転機でしょう。
^m^ さん、おっしゃるとおりですね。技術に対する過信ですね。これからこの会社はどうなることか。だいぶ様子が変わってくると思います。経済界も本当の転機ですね。
どうもありがとうございます。ますますのご活躍を!
藤原直哉 拝
投稿: 藤原直哉 | 2009年11月13日 (金) 22時26分
藤原先生、いつも放送を有難う御座います。ところで、いろんな方からのコメントを読ませていただくのも大変興味がありますことをお許し願います。いろんな方からのご意見にうなづくことも多々あります。それに対する先生のご返答にいつも感心させていただいております。なんといっても返答を必ずなされるという姿勢がすばらしいと感動です。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」を思い出すものです。誠に恐縮ですが、お願いできますならば、KAZUさんという御仁にご連絡したいのですが、メールアドレスを教えてはいただけないものでありましょうや。ウエブ上には掲載がでませんと・・・・・注意書きがありますが、藤原先生のほうではお分かりではないかと思い書き込ませていただきました。ご無理であれば、この書き込みも削除していただければかまいません。よろしくお願いします。
投稿: 黒田与作 | 2009年11月14日 (土) 00時04分
こんにちは黒田与作さん。私に何か?公開しても良い内容なら、この場をお借りして書き込んで頂ければ答えられると思います。
オープンイノベーションなんて言葉が流行っていますので、オープンな話題は皆様の相互理解や参考になるのでは?と思います。(藤原さん場所をお借りいたします)
投稿: kazu | 2009年11月14日 (土) 02時25分
黒田与作さん、kazuさん、こんにちは。いつもありがとうございます。はい、ご連絡があればこのコメント欄でどうぞ、あるいはhotmailなどで新たにメールアドレスを作っていただいて、そこで連絡するという方法もありますね。よろしくお願いいたします。ますますのご活躍を!
藤原直哉 拝
投稿: 藤原直哉 | 2009年11月14日 (土) 05時11分
藤原先生、KAZUさま・・・早速のご返事有難う御座います。ご配慮に感謝します。前々よりKAZUさまが・・・なにかの新技術を開発されて今後の資金を政府関係機関なりに支援要望されているように受け取っております。なかなか受諾されないようなご様子と拝察します。私も零細企業なのでお気持ちがよくわかります。私の思いすごしであれば、貴重な時間と場所をお借りして誠に申し訳御座いません。もしも世界を変えるようなノウハウなれば、ETTというNPOにお声をおかけしてみてはいかがでしょう。トップに私の名前を告げていただければよろしいですよ。
投稿: 黒田与作 | 2009年11月14日 (土) 07時53分
こんにちは黒田与作様、ありがとう御座います。
私が作った物は原理的には1860年頃に出来ていたのですが、当時の目的としては邪魔な存在で捨てられた物を偶然に拾っただけと思っています。
http://www1.ocn.ne.jp/~fsdsin/M3s.htm
借金で開発を進めてきましたが金が切れたので中小企業庁の委託研究に応募した訳です。研究に値するかの審査と研究費の補助(100%)の審査と2段階在り、後の方の委託金で落選してしまいました。
今、事業仕分けが行われていますが、昨日は文部科学省の案件で委託研究も含まれていました。俗に言う天下り先が申請しないと採択されないと言うウワサが研究者の間でも流れていまして、非常に使いにくいと随分と前から言われていた物です。
自民党時代は関係議員の口利きがあればなんとでもなったのでしょうが、民主党に変わって無血革命が起きた訳です。そうなると補助金や研究助成などは研究内容によって公正に選ばれないと研究に集中して社会に貢献できる人の足を引っ張る結果に成りかねません。
21世紀(弥勒の世)は個人の得意な能力を上手に集め互いを認め共生し成果を共有し合う世の中になるのではと思っています。
その為に邪魔な存在である天下り先を潰すのが事業仕分けだと思っていますが、ネットで聞いていると現場を生かすよりも予算を削る事に重点が置かれているように感じます。
幸か不幸か設備投資が伸びる気配が在りませんので、今作らないと埋もれてしまう訳ではないので、のんびりと構えています。申請をした過程での結果を踏まえ研究や開発の現場に必要な金が公正に行き渡るように働きかけた方が、自分も含め全体の利益になるのでは?と思い、ささやかな抵抗をしている訳です(笑
藤原さんの話を聞いていると大企業(規格大量生産)は今後の先進国では商売が辛くなるように感じます。中小企業が横に連携して小さな市場でも世界に類を見ない最高の物を作って行くのが、21世紀の日本の製造業の姿におもえます。
法律などと違って人と人の間に物が入っていますので物を中心に色々と意見を言い合え、自分も相手も成長できる。製造業でも農業でも謙虚に自分を磨いて行ける職業だと思います。
工業は設備投資が必要なので農業よりは金の問題が付きまといます。この辺りの投資の問題がクリアできると随分と楽なのですが、金を貸さない商業銀行と短期売買が主流の株式市場と・・・藤原さんの言う新しい投資銀行が必要な訳です。
金で治めて金で潰してミロクの世にするのじゃ。
金の要らぬ世に成るのじゃぞ。
と日月神事だったかに書かれているそうで、多少の苦しみを乗り越え、新しい世の中を迎え入れる気持ちが必要なのかな?(私は修行が足りないようですが(笑))
投稿: kazu | 2009年11月14日 (土) 14時37分
転載 (2007/8/8)
http://ameblo.jp/msz006zdragon/entry-10042628433.html
郵貯340兆円のうち、すでにゴールドマンサックスの仲介で、200兆円が30年満期の米国債に充当されたといいます。
そのうち、手数料として3兆円分の米国債が日本にキックバックされ、2兆円が竹中平蔵に、1兆円が小泉純一郎に渡りました。
このことがリークされたことで、竹中平蔵は検察の事情聴取を受けたそうですが、CIAからの圧力とある筋からの10億円にも及ぶ裏金の効果で、検察の捜査は中途で中断…。
当の竹中平蔵は、アメリカに何万ドルもするマンションを購入して、スタンフォード大学の客員教授として渡米(逃亡)し、終生帰国しないと決め込んでいるそうです。
売国御用学者の真価ここに極めり…!
あの垂れ下がった目尻を引きちぎってやりたくなりますね。
(転載 終)
今さら、時代遅れの内容ですが、民主政権に変わって、風向きも変わり、このような売国奴を是非、罰して欲しいと思います。テレビに時折、出てきますが、見苦しいです。
欧米金融機関や新自由主義者は、日本の成長を阻害し、自己利益に還元してきました。この欧米金融機関や新自由主義者を追放をするだけでも、日本は本格的な成長路線に乗るのではないでしょうか。
鳴り物入りで金融・郵政担当相に就任した亀井大臣には、期待したいところです。又、亀井大臣は、最近、りそな銀行のインサイダー取引に興味を持っていることがネットで伝わってきます。
さて、これから、どう展開していきますか。楽しみです。
投稿: ムー | 2009年11月15日 (日) 06時23分
kazuさんのコメントいやいやすごい。日本各地に潜在している能力。自民党の時代こういった本物を造る実力のある人が塗炭の苦しみに追い込まれていきました。何から何まで自民党の先生次第。本当にいやな時代でした。
わたしはやきもんや55年ですが日本に存在する組織、文化とか美術とかを冠していても中身は金の亡者の集まりでした。実力よりお金が物をいう。
なまじ美術とか文化とか耳サワリのいい言葉プラスマスコミ、有名デパ-トの包み紙。三点セット揃えば云う事なし。有名芸術家先生の出来上がり。
ま、この組織の中でそこそこの物を造っていれば御安泰。この構図は平和ぼけの時代だから通用する特異な時代と私は思っていました。
夢がない、日本どんぶり。
このような中で21世紀に夢が持てる若者達が育っている。古い革袋に収まらないエネルギ-、いやいや面白い時代になりそうですね、
投稿: 杉原大路 | 2009年11月15日 (日) 07時18分
北海道庁:4700本ソフト違法複製 1億円超支払いへ
http://mainichi.jp/select/today/news/20091115k0000m040043000c.html?inb=fa
北海道庁の割には、ずいぶんセコイことをしています。
以前、道庁は、カラ出張、カラ雇用、カラ経費など、ずいぶん叩かれました。又、業者からの選別問題も記事になり叩かれました。もうこれ以上叩かれようながないだろうと思っていたら、このようなことに。
道庁に知り合いがいますので、聞いてみましたら、パソコンには、エクセルとワードはついているので、通常の業務には支障ないとのこと。但し、仕事の関係で、パワーポイント、図形作成ソフトなど必要なソフトもあるそうで、通常はそれは購入されない場合が多いそうです。理由は、2万円以上は備品管理が必要で、その予算の枠が少ないからだそうです。結局、個人で購入するか、誰かのをコピーして入れるかだそうです。誰かのを借りた場合、道職員同士でなく、もし、利害関係のある業者から借りてインストールしたのであれば、内部的にはそこそこ問題になるだろうとのこと。
記事には、ソフトは管理していないとしらばっくれていますが、実際は、ネットワークでつながっており、ネットワーク管理者の方で、どのようなソフトが入っているか調べることは可能です。知事部局には、2万人の職員がいますが、多少予算を使い、その関係のプログラムを作れば、限られたネットワーク管理者の人数でも調べきることは可能だろうと思います。
ちなみに、インターネットにつながっていますが、仕事に関係もないのに、ネットサーフィンをしている不届きな職員もいるそうです。更に、アダルトサイトを見ていて、ウィルスが広がったこともあるとか。補修には勿論税金でします。さらに、アダルトサイトの有料サイトを閲覧し、道庁にその請求書が届き、その職員は処分も食らったとか。有料サイトをみた職員の中には若手職員もいますが、管理職もいるとか。一体どうなっているのか。不思議な組織です。今、社会は不況で苦しんでいますが、道職員はモラルが不況のようです。
道州制にしたら、今より更にわるくなるのではないかと危惧しています。私は、国と基礎自治体(市町村)だけでいいと思います。
テーマの『本格的な成長』にややそれてしまいましたが、このような愚かな組織をなくすだけでも、予算が大幅に余裕が出来、市町村はより住民に密着したサービスができるのではないでしょうか。
投稿: ムー | 2009年11月15日 (日) 07時49分
サンデープロジェクトで、郵政問題に関し、西川、丹羽が発言しておりました。この二人が郵政の財産をかすめ取り、外資に売り渡していたことは一切触れずに、さも民主の郵政政策は間違っているという発言には驚きます。
話はややそれますが、サンデープロジェクトは、ジャパンハンドラーズが製作している番組かと思うくらい、日本の国益に反し、米国の利益誘導を露骨にまでしている番組はないだろうと思います。いつ見ても、本当に不思議な番組です。田原総一郎は日本生まれのジャパンハンドラーに見えます。
投稿: はてな | 2009年11月15日 (日) 15時03分
黒田与作さんへ ピロール農法
直感的に感心しました。水田のちょっとした現象を見逃さない。全反射然り。ストレッチ然り。簡単なことが極めて有用。
さて私の所では何時の事になるのか分からないのでコメントする事にしました。市の農業センターで今秋アブラナ科の野菜に細かいネットを掛け害虫対策としていました。(以前はこんな事無かった)前にコメントした育種のし過ぎの証拠?こんな野菜をピロール農法で育てて、即ち酸素を供給するなど健康に育てて虫害が避けれたら、ピロール農法の有効性を証明し虫害の科学的解明に役立つと思います。
おいしい について (ピロール農法はおいしい)
1 おいしいと腹八分目がなかなか難しい
2 おいしい で釣って売らんかなの観光に参加すれば一時的な糖尿病に(ためしてガッテン 国民の2割が糖尿病の危険)
3 私は自然に腹八分目に治まる食べ物を考える事にしました。現実は難航中。
投稿: kunio | 2009年11月15日 (日) 19時22分
みなさん、こんにちは。いつもありがとうございます。新しい人の輪が広がりつつありますね。とにかく今の民主党も頑張ってほしいところと軌道修正してほしいところが相まっています。まさに乱世ですね。みなさんどんどん自分の芯から思うことを発言していきましょう。どうぞよろしくお願いいたします。
藤原直哉 拝
投稿: 藤原直哉 | 2009年11月15日 (日) 21時17分
kunio様へ
ありがとうございます。かれこれ33年ぐらい前から取り組んでおりますが、パッとしませんでしたね。車の通行でいうと従来農法は右側通行・ピロール農法は左側通行なのですね。発想が根本的に違うのです。みんなが地球が平たいものだと書籍にも書いてあるのに地球は実は丸いのだといっているようなものなのです。いわゆる農学原論に反する理論なのでしょう。「そんなことはありえない・・」だから、時間(30年)をかけて、グローバルに耐えうるようにデーターを28年以上取り続けてきました。この30年を「待つということ」という哲学を教えていただいた師匠が私におられたということが、私の最大の幸せだったと。毎日のように2年半この師匠のところに通いました。「どう生きたら良いのか・・・」を知りたいがために。いろんな珠玉の言葉を教えていただきました。そのひとつに・・・・「 黒田、おまえは私に習ったのだから、「ひと」になるんですよ。「物」「金」になってはいけません。ヒラガナの「ひと」になりなさいと。そして、ピロール事業をやめようとしていた私にこう述べられたのです。「黒田、いま日本人は堕落しきっているのですよ。こんなに堕落したのは日本の歴史はじまっていらいなのですよ。4歳5歳の子供から、明日は死ぬかというように年寄りまでが、「金・かね・銭」がほしいという。こんなバカな国民になってしまった。
しかし、これから日本はいままでない時代を迎えるのよ。皆が貧乏になるのよ。銀行も大きい会社もみんなダメになる。皆が貧乏になると、おまえのピロールがわかってくるのよ。それまで待つのよ。おまえは待つということを覚えるのです。」
いやはや、「おなご」を待つぐらいのつもりでおりましたが・・・・30年も待つことになるとは・・・とほほ。
投稿: 黒田与作 | 2009年11月17日 (火) 07時14分
はじめまして。長文で恥ずかしいので前の週のコメント欄に投稿させていただきました。藤原先生の提唱された都市計画を拝聴して、数十年前に思索した同人誌のプロットを思い出しました。諸般の事情でプロットだけで終わりましたが、SF的なものや終末論的な未来観が多い中、一人だけ浮たアイディアだったので記憶に残っていたのです。専門家である藤原先生の提唱には遠く及ばない一般人の思いつきですが、ご一読いただけたら幸いです。
ある都市の繁華街と川を隔てた所に売春宿が軒を連ねる地区があった。一代で財を成した豪腕で名の知れた男がその都市の首長となり、彼の号令一下 “実験都市”計画が断行された。それは数百メートル四方の売春宿地区全体に江戸時代の建築物を完全に再現して、賃貸住宅と分譲住宅として市民に提供するというものだった。計画された街の規制はとても厳しく、江戸時代以降の建築様式の建築は一切禁止され、新築する際の間取り・原材料の材質・塀や壁、屋根の色から街の景観にそぐわない物品の所持、屋内から外に漏れる音量、街全体の夜間の光量、果ては商売の内容に至るまで逐一制限された。自由に住まう事への権利を求めた人々の根強い反対があったが、計画は半ば強引に押し進められ、黒い屋根瓦に白壁が並ぶ、新しい『街』が完成した。
半世紀以上過ぎた。江戸時代に逆行した建物が並ぶ地区は数キロメートル四方に広がっていた。調和の取れた街の美しさを目の当たりにした住民たちが自主的に家を建て替え、道路を直し、地区を広めていったのである。犯罪も急激に減り、安心して住める街と聞けば誰もがこの地区を思い浮かべるほどになっていた。建設当時賃貸住宅としていた住居群は著名な文化人やアーティストが暮らす人気のある場所になった。家賃は相当な額に跳ね上がったが、空室が出た時の抽選会の倍率は毎回数百倍にも及ぶ。―住み慣れてしまえば日ごろの生活にほんの少しの工夫が要るだけ―傍から見れば規制ばかりうるさい地区という印象があるが、ここに住んでいるという誇りと安心感が住民たちがルールを守る気持ちの源となっている。街が完成してもなお毀誉褒貶があったが、結果としてこの地区は一大観光地となり、一方で心の安らぎを求めて多くの人たちが定住する特異な住宅地へと発展していった。(そして不思議なことにこの街ではほとんどの住人が住人たちが普段着として、あるいは仕事着として着物を着用するようになっていた。)
夜。明かりが一筋も漏れない暗く寝静まった街の対岸に、不夜城がそびえ立つ。市役所を中心とした都市の中心地の姿だ。人工的に造られた古い街並みと昔ながらの自由な街並みが並存しているのだ。
これをボツにしてから十年近く経ってから、飛騨高山と白川郷へ行く機会があり街並みの美しさにとても感激し、こんな所に住んでみたいなぁと強く思った覚えがあります。(白川郷は街並みで世界遺産になったのですからすごいですね)日本にはこうした美しい街並みがまだまだ残っている場所があるそうですね。世界に目を転じるとアメリカ東部地区には築100年を越えてなお現役で使われる数多くの建物があるそうで驚きました。(日本では築50年は立て替えの時期ですね)また、スイス?のある地区では街並みを守るために屋根の色や窓の外に出してよい花の色まで厳しく定められているそうです。住人たちの誇りがあるからそこまでして街並みを守れるのでしょう。
これとは反対のお話。数年前、景観条例の厳しい地区のど真ん中に某大手コンビニがありました。コンビニの看板が景観条例に引っかかるのでコンビニ側に改善を要望したところ、コンビニ側は「これは我が社のシンボルだから」と看板の撤去を頑なに拒んだそうです。その後そのコンビニは少し離れた所に移転しましたが…結局閉店していました。(笑)街との調和より企業倫理を優先した結果でしょう。とても便利な場所にあったので移転は残念だったと記憶しています。そろそろ利益優先より住む人の心との調和や、伝統的な美的感覚を最優先にした街が開発されてもよい時期かもしれません。
投稿: Fumiko | 2009年11月17日 (火) 23時28分
もう一つ「首都移転」についてですが、私は風水の面から(笑)反対です。京都も江戸(東京)も風水を綿密に計算した上で建てられた風水の「計画都市」でもあります。しかし近年の無秩序な都市計画上で完成した、あるいは建設中の高層建築物群は皇居(江戸城)へと流れる龍脈(自然の気、パワーのようなもの)をズタズタに切断してしまっているそうです。京都や江戸(東京)が永く栄えたのは風水に基づく都市計画の賜物であり、現在の日本が衰退した原因は風水を無視した都市建設にもある、という意見を複数回聞いたことがあります。
おそらく政府が首都移転を遂行するならば風水・陰陽道を完全に無視したものになるでしょう。現代は唯物至上主義社会であり(笑)、日本中どこを探しても江戸の設計者である天海僧正のようなずば抜けた智慧とリーダーシップを持ったアドバイザーがいないと思われるからです。また、東京→東北地方という移転候補地の方角も良くないそうです。これら複数の要因を鑑みると、首都移転が建設途中の頓挫、あるいはさらなる日本の衰退を招いてしまうでは、と考えてしまうのです。
もちろん風水をただの占い、迷信、と切り捨ててしまうこともできるでしょうし、風水や陰陽道を配慮したにも関わらず廃れてしまった古都もあるでしょう。しかし、古来から伝わる叡智・伝統・習慣等を継承する面からでもいいので、少なくとも首都建設は風水を充分に配慮した都市建設であってほしい、と思うのです。
投稿: Fumiko | 2009年11月17日 (火) 23時32分
fumikoさん、こんにちは。いつもありがとうございます。素晴らしいお話をありがとうございます。これは売れますよ(笑)。不思議な夢を見る、それが正夢だったとあとからわかる、そういうことはあまり不思議なことでもないようです。景観は財産であるという考え方は欧州の中心市街地では昔から続いていますね。日本も本格的に景観を財産として、街全体の価値を維持する時代が来たのだと思います。大変示唆に富むお話をありがとうございます。
首都移転ですが、いまさらという声も大きいと思います。しかし江戸、明治、大正、昭和、平成と中央政府が大いにはばかった時代でした。でもそれが終わるのですから、天皇=文化は京都に、経済は東京に、政治は福島にという感じで中心を分散させたらよいと思います。筆者が97年に書いた「富貴の心」という本にその当時から30年後の日本ということでいろいろと書いてあります。同時に政治の中心は決して日本の中心とは言えない時代が来るように思います。
それから風水のお話ですが、率直にって、気の流れはこれから角度が90度ずれませんか?簡単にいえば今の東が北になるのです。角度が90度ずれると今までの気の働きがすっかり変ります。これは風水だけでなくあらゆるところに大きな変化を引き起こすように思います。
どうもありがとうございます。ますますのご活躍をお祈りしております。
藤原直哉 拝
投稿: 藤原直哉 | 2009年11月18日 (水) 07時43分
藤原先生
お忙しい中、ご丁寧なレスをありがとうございます。もし私がプロ・またはセミプロの文筆家であれば、もっと端的に要点のみをお伝えすることができたのですが、気持ちを伝えたいがままに筆を走らせてしまいました。掲示板を重くしてしまったことをお許しください。
あるエッセイに、関東震災以前にはまだまだ吉原に江戸のたたずまいが残っていたとありました。全国津々浦々、戦災で完全に焦土と化した後、利便性や目新しさが最優先された都市に住んできた結果、私たちはそれ以前の都市景観から完全に切り離されてしまったことを思い知らされました。日本橋などには今では想像もできないような風景が存在していたことでしょう。
首都移転ですが、先生のポッドキャストを聴き始めたばかりなので私に勉強不足の感がありました。(移転は政府に土日祝日の閑散とした官公庁街を利用できるくらいの知恵がついてからでも遅くはないと思うのですが・・・)それからうる覚えの風水観を受け売り同然に申し上げましたが、今後の気の流れのズレについて、実はこちらのポッドキャストを聴くまで知りませんでした。首都遷都の方角について否定的だった意見も今の東が北になることは考慮されていなかったと思います。失礼ですが、今後気の流れがずれるという説はどなたが提唱されているのでしょうか?以前のポッドキャストを数回聴いてみましたが、いまいち消化不良ですので出典先と更なる詳細を教えてください。
それでは、いつの日か小田原か遠山でお逢いしましょう
P.S. 六本木ヒルズも数百年経てば立派な“文化財”です。未来の人たちはあのツインタワーを見て何を想うのでしょう(笑)
投稿: Fumiko | 2009年11月18日 (水) 23時43分
Fumikoさん、こんにちは。いつもありがとうございます。いえいえ、とてもエネルギッシュな文章を読ませていただき、ありがとうございました。ちっとも重くなっていませんのでご安心ください。
太古の日本は東が最も大切にされた方角でした。地図も東が上になっていたりします。それが大陸から入ってきた文化は北が上なのですね。東を拝むのは太陽を拝むこと、北を拝むのは星を拝むこと。創造を拝む世界から秩序を拝む世界に、まさに日本も呑み込まれたわけです。タテ糸とヨコ糸の話を何年か前にした覚えがあります。タテ糸とヨコ糸が入れ替わってしまって、結局出来上がる錦の織物がボロボロになってしまったというのが、大陸文化伝来以来の日本なのだと思います。風水も基本的には大陸から来た秩序を拝む世界の気の話だと私は思います。しかしこの100年ほど、実は日本の太古のエネルギーが次第に盛り返してきているように感じています。同時に大陸の力、影響力は日本でどんどん衰えつつありますね。話し始めたらずいぶん長いことになってしまいますが、たぶん昔どこかで放送で話しているとは思います。こんなこと、私しか言っていませんので、どこにも書いていないと思います(大笑)。
どうぞますますご活躍ください。小田原、遠山でおめにかかりましょう。
藤原直哉 拝
投稿: 藤原直哉 | 2009年11月19日 (木) 00時11分