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2009年11月10日 (火)

藤原直哉の「21世紀はみんながリーダー」 2009年11月10日 リーダーとしての目のつけどころ

リーダーとしての目のつけどころ

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コメント

先生、いつもためになるリーダーシップのお話をいただき、
ありがとうございます。

優れたリーダーといえば、私の理想の上司は
「宇宙戦艦ヤマト」の沖田艦長です。

ヤマトの話は、わかりやすく言うと、自衛隊の戦艦たった一隻で
軍事大国アメリカ一国と戦って太平洋を横断するような話です。

ヤマトの出航パレードの際の沖田艦長の演説はスゴイです。

「諸君!私は諸君の生命及び身の安全を保証することができない!
ガミラスからの流星爆弾の放射能汚染により地球人類はあと
1年で滅亡する。
我々は、宇宙のはてのイスカンダルまで放射能除去装置を取りに
いってそれまでに戻ってこなければならない。
途中で当然ガミラスからの攻撃を受ける。
しかも我々は、敵ガミラスの本拠地がどこにあるのかさえも
わからない。
それでも我々はやらなければならない。
抜けたい者は行進の途中で抜けてかまわない。
私はひと足先にヤマトで君達を待っている。」

このときの兵士の気持ちからすると、
「生きて帰れないのではないか」という恐怖が当然あるわけ
なのですが、艦長からここまでハッキリ言われると逆に
ハラが座るサムライがいるわけです。

日本のリーダー(政治家も経済界)も、沖田艦長を見習って、
できないことはできないと、
現状は本当にここまでヤバイ危機なんだと、
包み隠さずハッキリ言ってもらいたいものです。

いいかげん景気は回復しつつあるなどという大本営発表は
やめてもらいたいものです。

またヤマトは軍隊だから縦型リーダーシップかというと、
そうではなくて、
古代は戦闘班長として責任を持ち、
島はヤマトの操縦桿を握り、舵取りに責任を持ち、
真田さんは技術担当として、その都度必要な技術を開発し、
森ユキはレーダーに責任を持ち、
必要に応じどんどん艦長に進言して、艦長も積極的にその策を
採用すると。

沖田艦長はみんなから父親のように慕われているわけです。

そもそも地球の運命がかかった波動砲の引きがねを
古代という若者に引かせているのがスゴイと思います。

ヤマトが2作目で白色彗星帝国と戦い、彗星のガスの中心核を
一発で波動砲で命中させなければならない、その発射の直前に、

「古代、生きるも死ぬもおまえ次第だ!任せたぞ!」

と2代目艦長の土方艦長がとっさに叫ぶシーンがありますが、
土壇場でそこまで信頼できる部下を育てているのがスゴイと思います。

そうして実戦経験を積みながら、ひよっこの訓練兵だった古代進も
次第に成長して、最後はアメリカ合衆国大統領にも匹敵する
敵であるガミラスのデスラー総統からも一目置かれる男に成長
するわけです。

ミッション(地球の平和を守る)、バリュー(大和魂)、
チームワークとそろっていて、素晴らしいと思います。

是非、今こそ宇宙戦艦ヤマトを繰り返し見て、
リーダーシップを取り戻すときだと思います。

投稿: SHIMIZU | 2009年11月10日 (火) 19時56分

SHIMIZUさん、こんにちは。いつもありがとうございます。そうですね、こういうリーダーは今の時代、本当に珍しくなってしまいましたね。命にかかわる重大な局面ほど、権力を駆使するリーダーシップは機能しませんね。本物の人間力が試されます。自分の生きがい、死にがいの問題ですからね。

まことにおっしゃる通り、ここは政治家ももっと踏み込んで、大変だからこそ、有能な人たちを幅広く呼び掛けて集めたらよいと思います。市井には立派な人がたくさんいますからね。そういう人たちとともにヨコの目線で政治を運営していけばきっと未来の新しい日本が創れると思いますよ。

リーダーシップの研修の成果がさっそく生かされていますね!どうもありがとうございます。ますますのご活躍を!
藤原直哉 拝

投稿: 藤原直哉 | 2009年11月10日 (火) 20時04分

 ある一つの論理システムだけが世界を記述し、基準を構築しうるという考え方は、一見すればすごく効率的に思えますが、実際には多様性を欠き、意外と脆弱なものであるということに、いい加減気がつく時が来たのでしょう。

 科学の領域の話は、以前からこちらのほうに書き込ませてもらっておりますが、これはそれにもかかわってくることです。

 どんな時代においても、例えば「世界や宇宙の構造を知る」あるいは「社会を運営する」のに、もっとも適したツールというものがあります。古くは宗教で、現在は科学です。そして、おそらくほとんどの人々が、科学があらゆる面で「最高権威」として扱われていることに、疑問を持っていないでしょう。要するに、科学への過信が肥大化すると、やがては宇宙のすべてが「科学で解明できる」という「科学拡張主義」あるいは「科学万能主義」というものに変貌してしまいます。しかし、これは本来であれば望ましくない現象なのです。

 以前まで強い影響力を持っていた宗教を例にとって考えてみましょう。科学合理主義者たちの中には、かつての「魔女狩り」や「十字軍遠征」などの悲劇を、「宗教の存在そのもの」の問題としてとらえている者もおります。「利己的遺伝子論」で有名なリチャード・ドーキンスも、「神は妄想だ」として、宗教を徹底的に否定しているようです。

 これに関して反論するならば、科学が発達する以前においては、宗教という一つの「論理システム」の肥大化を防ぐ手段がなかったため、このような悲劇が起ったというべきではないでしょうか。

 宗教も、人々の生活を規定し、社会の安寧秩序を築くために、かなりの力を持っていたわけですし、実際、今でも西洋では科学的な知識とは別に、道徳律や伝統的な生活は、その多くが宗教から派生したものでもあるのです。資本主義が西洋で生まれたのは、プロテスタントの存在があったからだという説もあるくらいです。また、経済活動における「契約」の発想も、元を追及していけば、やはりユダヤ=キリスト教に行きつきます。特に、ユダヤ教は「契約教」と言ってもいい。これに関しては、小室直樹氏が執筆された「痛快!憲法学」が参考になるかと思います。

 要するに、宗教が語る精神や神の存在、契約の概念も、「合理主義」のシステムである「資本主義」の中で息づいていたからこそ発達しえたものであり、「宗教なくしては資本主義も発達し得なかった」というわけですね。だから、宗教を妄想、哲学を不要と考えるのは、物事の一面しかとらえていない。それこそ、宗教の犯した間違いの部分だけをとらえてしまうから、その存在価値が分からないわけです。こういう「部分否定」がまかり通るならば、科学もいずれは否定されなくてはならなくなる。原子爆弾を作り核の脅威は今もってなくならず、科学の発達で生活レベルは向上した一方、環境問題が深刻化している面を見れば、「部分否定」というのがいかに近視眼的かはわかることです。

 宗教が行った間違いが、宗教という論理システムの肥大化を防げる「権威」がほかになかったためであるというのは今説明しました。では、次に現代に目を向けてみましょう。

 例えば、現在の新自由主義の暴走。新自由主義者は、金融工学をもとに、グローバリゼーションという経済拡大策のもと、自分たちの理想とする金融システムを「世界基準化」し、世界を効率よく(もっとも、彼らにとって都合がよくというべきか)運営しようとしましたが、結局は失敗に終わりました。

 確かに、金融システムを一つに統一すれば、効率にあらゆる作業を進めることはできるでしょうが、ひとたび破綻すればその影響は全世界に波及します。その結果が今回の金融危機です。金融危機もまた、質的な被害は違えど、量的には過去の十字軍遠征や魔女狩りと似たような性質を持っております。一見すれば無関係な人々にも影響は及び、しかもいったん拡大すれば、それを収拾するのに途方もない年月がかかる。要するに、現代の「資本主義」という「論理システム」が、自制する術を失い、肥大化の結果暴走したわけです。

 それでも冷戦時代は、まだソ連が存在していたため、資本主義も労働者による革命を恐れてある程度は節度をもって運営されていた。つまり、冷戦時代は「権威」としての「論理システム」が「二つ存在」しており、それによってバランスが保たれていたため、資本主義も共産主義もお互いに自制するところは自制し、完全には暴走しきれなかったのです。

 もっとも、共産圏内部では飢餓や粛清などがありました。少なくとも、共産国家内部では「マルクス=レーニン主義」という「論理システム」が絶対視されており、それに対抗しうる「論理システム」がなかったため、このような悲劇が起きたわけです。

 共産主義国家では、共産党は「前衛政党」であり、まったく間違いを犯さない無謬の集団であるとされております。だから、写真の修正など平気で行い、すぐに「スパイ摘発」と称した粛清を行う。不都合なものが写真にあれば、それは写真のほうが間違っているから、簡単に修正してしまうわけです。また、間違いを起こさないはずの政治でうまくいかないところがあれば、それは自分たちの活動を邪魔する資本主義のスパイによるものだと考えるから、平気で粛清を行います。すなわち、共産主義国家にはひとつの「論理システム」しかなく、またそのシステムも間違いを認めないという欠陥があるので、共産主義体制内部では暴走を起こし、数多くの悲劇につながったというわけです。

 その点資本主義は曲がりなりにも自由は認め、個人の自主的な活動を尊重した面が大きかったので、共産主義よりは暴走することが少なかった。だから生き延びることができたわけですが、これを「資本主義の勝利」と勘違いし、資本主義を絶対視する「新自由主義者」の台頭を許してしまったころから、明らかに「論理システム」の暴走が始ります。もはや、資本主義に代わる「論理システム」が存在しなくなったからです。

 つまり、どれだけ正統性のある「論理システム」であったとしても、ただ一つだけになってしまうと、必ず何らかの暴走や破綻が起きるということです。

 そして、科学もまたひとつの「論理システム」です。しかも、現代においてはもっとも影響力が大きい、それこそ「最高権威」とも言えるでしょう。

 我々は科学が発達し、その優れた面にばかり目を奪われがちですが、一方で、人心荒廃やカルト集団の増大化など、かなりの問題点も見えてきております。

 したがって、どこかで科学にも「限界」を設定し、ほかに「論理システム」を見出していかないと、もっと深刻な状態に陥る可能性があります。

 これは私の考えで、まだまとまっておりませんが、私はこれからの時代、影響力をいささか薄める(すなわち相対化する)必要のある要素として、次の5つをあげてみたいと思います。

 1.科学の相対化
 2.合理主義の相対化
 3.歴史観の相対化
 4.物質の相対化
 5.お金の相対化

 1.に関しえは、かつて私がいろいろと書いたので、ここではあまり説明しませんが、科学にも扱える「領域」というものがあるものだということをもっと自覚すべきだということです。あまりにも科学の進歩が目覚ましすぎて、これを忘れがちですが、これを無視して語るととんでもないことになります。特に「唯物論」は道徳性すら還元する恐れがあり、これが拝金主義や虚無主義という両極な形で表れ始めているということをもっと自覚するべきでしょう。この両極端は、例えば「格差」「気候変動」などにも表れていると、私は思っております。これはいずれ、また別の機会に説明したいと思います。
科学の限界を明確にすることで、逆に創造科学やほかの疑似科学などに傾倒していく人々の数も減るのではないかと、私は見ております。つまり、「最高権威」だから創造科学論者などは何とかして「心の価値や意味」を科学の基盤に乗せたがり、結果およそ科学的とは言えないようなインチキ理論が社会に蔓延してしまうわけです。逆に、科学の影響力をある程度まで抑えられれば、このような現象は少なくなるのではないでしょうか。

 2.は合理主義もまた万能ではないということを自覚すべきであるということです。民主主義から独裁への移行も個々の判断レベルにおける「合理的選択」です。もっと簡単な事例をあげるならば、金融機関の破綻などもそうでしょう。ある銀行の経営状態が悪化していると聞いた時、預金者の「合理的な選択」は「預金を引き出してより安全な金融機関に自分の貴重な財産を預けること」です。しかし、みんながそんなことをすれば、たちまちその銀行はつぶれます。そうすると、その銀行から融資を受けている企業などにも深刻な被害をもたらしますが、これを見てもわかるように、「個々の合理的な判断」が「マクロレベルにおいては必ずしも合理的な結果になるとは限らない」というわけです。これにより、合理主義の相対化を図ることもできます。

 3.歴史観については、我々現代人が過去の時代より「すぐれている」「進歩している」というとらえ方を否定し、ほかの時代においても評価できるところは評価し、現代人中心主義的な歴史観を相対化させます。例えば、江戸時代の農民と言えば常に重税に苦しみ、領主に弾圧されていたと我々は思いがちですが、このような「貧農史観」は間違いであることが、「貧農史観を見直す」というシリーズで取り上げられております。また、他国に目を向けるならば、エジプトのピラミッドは、多くの奴隷をこき使って建てられたものであると思われておりましたが、それも間違いであることが判明し、むしろ労働者として尊重されていたことが明らかとなりました。このほか、様々な国の様々な時代で創意工夫がなされ、何も我々の時代だけが「発達している」わけではないということを、「その時代性」とともに見直すことで、歴史観を相対化します。ただし、一部の新興宗教が語るような「現代は末法の世で、暗黒時代である」という解釈も否定します。過去を正当に解釈するということは、現代もまた評価されるべき部分は評価されなくてはなりません。むしろこのような形で現代を貶めようとする新興宗教の教義こそ否定されなければなりません。

 4.物質の相対化とは、物質至上主義からの脱却を意味します。例えば、カーシェアリングなど、一部で「物質の共有化」現象が起きております。マンションの住人でお金を出し合って一台の車を所有し、みんなで有効利用するという発想です。また、いくら物質を手に入れてもむなしさを感じ、「生活に困らないくらいのほどほどの物資さえあればいいのではないか」と考える若い人たちも増えております。つまり、物質的な欲望が薄れてきているのです。これは私は「物質の相対化」と呼んでおります。

 5.これはもう必然でしょう。「お金で買えないものはない」などというのはもうこれからは通用しません。お金に対する幻滅が今、あちこちで広がっておりますが、これに伴い、シルビオ・ゲゼルの「減価する貨幣」が注目されております。要するに、お金の価値そのものを自然劣化させていこうという考え方です。固定資産は一定の月で減価償却されますが、流動資産とはいえ、お金がそのままの価値であり続けるのはおかしいという発想です。要するに、お金に期限を設けてお金そのものの価値を減じてしまおうというわけです。最近では「ベーシック・インカム」推進論者の間でこの減価する貨幣の存在が多く語られているようです。「ベーシック・インカム」が果たしてどこまで効力を発揮するか、これは今のところ不透明ではありますが、人々の間にお金の価値に対する根本的な疑念が蓄積しているのは、疑いようのない事実と言えます。つまり、「お金の相対化」です。

 以上が私が稚拙ながらに考えた「5大要素の相対化論」です。どんなに優れた「論理システム」でも、肥大化を免れないようであれば、いずれは崩壊を招きます。自分で言うのもなんですが、あらゆる要素に「限界点があるのだ」ということを自覚する一つの視点にはなるかもしれません。
 

投稿: +9 | 2009年11月10日 (火) 23時22分

 今、会社や自治体の上層部は、学歴重視あるいは学閥で上がっているところが多いのではないでしょうか。
 私の所も、性格が歪んでいても学歴だけで出世している人が多いです。
性格の歪んだ上司のいるところは、その部署全体が歪んだ状態になります。
早く、異動して欲しいと下々は思っています。
 さて、今回の金融危機から後の時代は、そのような馬鹿上司は徐々に姿を消していくと予想している方がいます。今回の不況は、単に金融の失敗ではなく、哲学的要素も関係していると考えています。
 今までは、欲望で動かされても、努力すれば、出世したり金持ちになることができましたが、この危機ではそれは通用しないそうです。
 世のため人のためになること、人に尽くすことをしないと、商売はうまくいかなくなるそうです。又、出世も単に学歴があればいいと言うわけではなく、人間力が第一に必要であると考えています。
 この話は、ある程度名があり、不況でもかなり利益の出している会社の社長から聞きました。
国も企業もそのように考え方を修正したところから回復していくと仰っていました。
私もそうなると思っています。

投稿: 未来志向 | 2009年11月10日 (火) 23時52分

  反面教師
 思考停止の人間を作る強い社会の圧力が有って、そんな人をねらった商品が生まれ、それがまたよく売れる。
 また思考停止の人が音頭を取っている実例をyoutubeで見ました(思考停止の商品が作られていた)。正に恐怖のリーダーシップそのものでした。学校もやってました恐怖のリーダーシップ。多分日本の軍隊も。
 福祉も思考停止の産物。
 自分の身は自分で守ろう。その為の仕組みを社会に作ろう。

投稿: honnnede | 2009年11月11日 (水) 06時41分

みなさん、こんにちは。いつもありがとうございます。思いのこもった力強いメッセージをたくさんいただきまして、まことにありがとうございます。論理というか哲学というか発想がもう20世紀とはだいぶ変わり始めていまして、そのために今までの組織や仕組みがどんどん機能し始めなくなっています。ある意味では20世紀は人はもっと物質欲で汲々として生きていたのですね。それで結局今のトップリーダーの多くは古い発想の競争で勝ち残った人が多いですから、新しい発想は理解できません。同時に自分のリーダーシップも機能しなくなります。それで恐怖に走るしかないのですね。こういう仕事をしているといろんな方にお目かかります。しかし恐怖のリーダーシップに走る人は、ことごとくと言っていいと思いますが、こっち側に来れない人たちなのですね。でも部下の中にはこっち側に来れる人が結構いて、そういう人は恐怖を恐怖と感じなかったり、抜けだしたり、知らん顔をしています。そうすると恐怖も通用しなくなる。そうすると今度は恐怖を振りかざしていたリーダーが力尽きて、結局そこで終わるという形ですね。国政で言ったら安倍内閣に集まった真保守主義者という連中がこういう性格の人たちの集団でしたね。そういう人たちのバブルも終わって久しく、これからは新しいリーダーの時代です。どうぞみなさんますますご活躍ください。ありがとうございます。
藤原直哉 拝

投稿: 藤原直哉 | 2009年11月11日 (水) 07時41分

 KOWN様
 20世紀は、私利私欲のためでも、法律に罰せられなければ、努力により、経済的な豊かさや地位を手に入れることが出来たそうです。
 今回の不況からは、そのようなことは通用せず、世のため、人のため、道徳的考え方や行為が大切だそうです。人のために役に立っている仕事ならば、不況知らずだそうです。一時的な損得を考えず、人や社会のために尽くすと、自然に良い運にのっていくそうです。私利私欲のために、他人に犠牲を強いると、自分の運が格段に落ち、自分の思うような結果が出ないそうです。

投稿: 未来志向 | 2009年11月13日 (金) 07時07分

藤原先生、こんにちは。
可成り久しぶりに、ラジオ拝聴することができました。
ゆのじです。

>仕上がりの形をリーダーが全部知っているわかっている
 必要は全然なくて、リーダーにすら分からないことを、みんなに
 やってもらて、誰もわからないことを、自分たちでやっていくことが、
 楽しくワクワクする、素晴らしいことである。(要約)

というのが、まことにおっしゃるとおりであると思いました。
ようやく見解が合致したようでもあります(笑)

先が見えちゃう見えすぎる、どんなものができるのか、
わかりすぎてもツマラナイというのも、そのとおりと思います。

それで、もうひとつ、どこか他所に書こうか書くまいか迷うところですが、
あまり考えるのもワープするのも面倒なので、続きで書かせていただきますが、
つい2,3日前、信金の職員さんーーうちの担当じゃないけど、移転前の事務所に
顔を出してて顔見知りになってる職員さんーーが、ピンポーン、とやってきて、
「新しい制度の御紹介でまいりました」って、チラシ(A4コピー紙の裏表1枚)
渡しながら言うんです。つまり、新宿区の中小企業向け制度融資のチラシで、
「債務一本化できますよ(借換融資制度)」(H21年11月4日開始)という
御案内なのでした。

まー、うちの場合、零細小規模事業者と言うことすらもおこがましい、ドンブリ
勘定の、よく経済が成り立ってるなー、と、周囲のひとも首をかしげる(笑)あり
さまのそれでも一応、法人格の恩恵は十二分に受けてとりあえず、経済成り立って
いる(のか??)有限会社とその家族ですが、その職員さんも「御社いま、2本
ありますよね。この制度は、月々の返済額が軽減されます。よかったら、是非御検討
ください」ということで、じゃあ、今度、担当のH川さんに相談してみましょう(別に、
チラシもって来た人の成績になるわけじゃないらしい)、と、チラシ受け取って
ながめていた次第です。

その職員さんと話しながら私は、あー、信金さんも、お金返せなくなったお客さんが
増えて大変なんだろうなー、とか、チラシを眺めながら、あー、これは追加に融資を
受けてその上での制度のようだなー、何で返済額が減るのだ? あー、返済期間が
長くなるのか、etc…。
うちは、幸運なことに、最初から担保と名のつくもの、資産と名のつくものは一つも
何にもな~~んにもなくて、会社の借り入れ(単位は小さい)は全部、保証協会の
信用保証付き融資なんですが、今回のこの制度は保証協会の返済を行っている事業者が対象(つまり債務不履行になったら、保証協会が保証してくれるていうことでしょう)
とのことで、さて、それではどうしましょ~、という今日この頃ではあります。

まあ、去年もどうやって年を越すんだろうか、でも越えていくんだろうな、という
うちに、どうやらこうやら無事に年を越せて、年が明けて決算でバタバタしている頃に
は融資が実行されて、こうしてまた、一年が終わろうとしているわけで、まことに
お金は天下のまわりもの、とはよく申したもので、よくもまあ経済も家計も成り立っている(って、要するにドンブリ勘定なだけですが)ものです、われながら(笑)。有り難い世の中ですね! ホントによく出来てます。感謝(笑)。こういう経済社会もそのうち変わっていくのでしょうね。難しいことは分かりませんが、楽しみです~~♪
ということで、以上です。長々と失礼申し上げました。かしこ。

投稿: ゆのじ | 2009年11月13日 (金) 17時56分

ゆのじさん、こんにちは。すっかりご無沙汰しております。お元気にご活躍のご様子、何よりです。銀行だとか役所はいろいろとやらなければならないことが多くて大変なようですね。どんな意味があるとか、ほかになにかやり方があるとか、そういうことを考える人では勤まらない職場であることが多いようです。こういうご時世ですから運転資金は手厚くしておいたほうがよいと思います。返済猶予法案もできることですし、セーフティーネットはできますね。あとはどうやって仕事を取ってくるかです。やはり足と縁で稼ぐしかない時代ですね。

人は調子がよいと自分の力で生きているように思い、厳しいときに生き延びると生かされていると思うようになります。思いはコロコロ。でもとにかくそういう経験を積めば積むほど人は謙虚に、そして何事にも感謝を感じるようになるものですね。生かされているということですよ。

どうぞ引き続きお元気にお過ごしください。また目にかかりましょう。ありがとうございます。

藤原直哉 拝

投稿: 藤原直哉 | 2009年11月13日 (金) 22時22分

 オバマ大統領が来日し、普天間基地移設問題は、米国の意には沿わず日本は検証するらしく、一時棚上げ。お土産を持たせずに返したのは、近年の日米外交ではないのではないでしょうか。どうせ、1年以内には、米国は破綻し、米軍は一斉撤去するのでしょうから、慌てて、結論を出す必要はないという腹なのでしょうか。

 10月一杯で米国FRBは米国債の直接買付をやめましたが、11月以降は、日本や欧州などの中央銀行に米国債を買わせているらしいとの情報があります。
 これが事実なら、日本は米国よりも、国民の国債負担率は高いのに、この上、なぜ米国債を買わねばならないのか不思議です。1年以内には、米国債は暴落するでしょうから、その時の米国や他国の対応に興味があります。その時は、貿易・金融などは大混乱???。

 何の成果もないといわれているのに、オバマは何しに来たのでしょうか。観光? オバマは、日本や中国などの貿易黒字国にお金を調達しに来たのでしょうか。米国ほど、大いばりで、お金を借りる国はありません。本当に卑しい国です。
 抹茶アイスや大仏の話より、もっと重要な話があるだろうと憤りそうになりますが、オバマの演説に好意的なコメントをするコメンテーターにもあきれます。

投稿: ジェントルマン | 2009年11月15日 (日) 18時45分

ジェントルマンさん、こんにちは。いつもありがとうございます。米国もいよいよ行き詰りましたね。日本にもこれだけ手を焼くようではもう世界支配など夢のまた夢です。日本は本当に世界に対して何ができるかをよく考えて、世界に向けて何でもやってみるべき時だと思います。外務省こそ事業仕訳で一度廃止したほうがいいですね。どうぞ引き続きご活躍ください。ありがとうございます。
藤原直哉 拝

投稿: 藤原直哉 | 2009年11月15日 (日) 21時19分

藤原直哉さま、
お忙しいなか、いつも恐縮です。コメントを有難うございました。ゆのじ、です。

書き慣れないことを書くのは骨が折れましたが(笑)、でも、すっきりしました。
はい。生かされております。守られていると。自分としては本分は主婦と思っている
(思いたい)ので、あとは流れにまかせて道あやまたず、行くことが出来ればという感じはします。
男のヒトは大変ですね(笑)。ごくろうさまです、と言いたいです。そして仕事は足と縁でかせぐ。。
ズバリなコメントをありがとうございました。
また農園で楽しく過ごさせていただきに伺います。

ゆのじ

投稿: ゆのじ | 2009年11月16日 (月) 13時21分

ええと、続きです。
たびたびスミマセン、ゆのじです。

インターネット放送のコメント欄で、藤原先生がこんなことを書いておられたのが
他の番組でありました。”ハイパーインフレで借金は帳消しになるか?”という話題の
中でのご指摘です。勝手ながら、引っ張って来させていただいて、勝手ながら以下に
転載をさせていただきます。


 ※(以下、ハイパーインフレで借金は帳消しになるか?の話題についての藤原先生のコメントから一部抜粋)


-------------------(転載開始)---------------------------------------------

よくハイパーインフレになると借金が消えるからありがたいというお話がありますが、それはハイパーインフレのさなかに金利を払えればという条件付きです。たいていの場合はハイパーインフレに伴う社会の混乱で仕事がなくなったり、上昇し続ける金利を払えなくなったりして、結局債務不履行で担保を取られてしまうことが多いのです。

ですから抜本的な対策としてはハイパーインフレが始まってもその分だけ売値を上げられるような付加価値の高い商品を作ることが一番です。庶民でもできることです。あるいは貨幣に依存しない自給自足の世界に住むとか、金塊を買っておくとか、それぐらいでしょう。

でももっと大切なことがあります。ハイパーインフレは一度火がつけばだいたい終息までに5年はかかるでしょう。その間に世の中はすっかり変わってしまいます。ですからハイパーインフレのさなかで去りゆくものと来るものをよく見極めて、ハイパーインフレが終わった後に安定して暮らせるように行動していくことが一番です。それは庶民でもできることです。そうしないと、ハイパーインフレは乗り切ったもののすっかり浦島太郎になってしまって、もうろうとしてそれから先の人生を送らなければならなくなります。

要するに守りに入っていてはだめで、積極的に行動することが大切だということですね。


---------------------(転載おわり)---------------------------------------------

以上、藤原直哉先生の、他のインターネット放送のコメントから引っ張ってまいりまして、一部抜粋でした。どうもリーダーシップ放送から話題がズレまして、スミマセン^^;

どんな世の中になるのかな~、早く新しい世の中を見たいな~、と分からないなりに、楽しい期待感に胸をふくらませております^^

私も、明るく楽しく温かいおともだちを沢山つくって、旦那さんとふたり楽しい家庭を守りながら、もうろうとした浦島太郎さんにならないよう明るく元氣に暮らしていこうっと♪

藤原直哉先生、ありがとうございます。お風邪を召さないようこの冬も元氣にご活躍ください。

ゆのじ

投稿: ゆのじ | 2009年11月16日 (月) 13時46分

ゆのじさん、こんにちは。いつもありがとうございます。堂々のご投稿ですよ(笑)。財政の行方も含めて来年はシステムの転換点ですね。20世紀で消えるはずのものが10年バブルで10年間先に延びた感じです。でもそれももうこれで終わりでしょう。21世紀は明るくあたたかくないと非常に住みにくい時代だと思います。ひとりひとりが問われますね。どうもありがとうございます。どうぞますますご活躍ください。
藤原直哉 拝

投稿: 藤原直哉 | 2009年11月16日 (月) 18時18分

いつも放送をありがとうございます。

自民党が崩れ、終身雇用や年功序列も崩壊しました。
消え去った有名企業のあります。
崩壊で我を失ったように惑乱する人もいるのではないでしょうか・・・。

しかし、崩壊から新しいもの(芽)が出てくることも本当のことなのです。死(崩壊や変化)から新しい命が出てくるのですね。

藤原先生、今後とも応援しております。

投稿: ハゼ | 2009年11月17日 (火) 10時54分

ハゼさん、こんにちは。いつもありがとうございます。崩壊と再生の一大ドラマが展開中ですね。みなさんの力を結集して新しい日本を作っていきましょう。どうぞますますご活躍ください。
藤原直哉 拝

投稿: 藤原直哉 | 2009年11月17日 (火) 17時07分

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