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2009年10月27日 (火)

藤原直哉の「21世紀はみんながリーダー」 2009年10月27日 21世紀のヨコ型リーダーシップ

21世紀のヨコ型リーダーシップ

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コメント

 kunio様のご要望で、生活習慣病、心の病に薬で対応する風潮に関してご意見をということでしたが、申し訳ないですが、私自身はその方面の知識は豊富ではありません。むしろ、土橋重隆先生のほうがお詳しいと思います。

 でも、私が知っている範囲(私の主観などもかなり含みますが)でお答えするのならば、心の病の関して言えば、はっきり言って、精神科医が処方する薬をいくら飲んでも、さほど効果はないというところです。

 もちろん、これは私自身の体験も踏まえた上で話しているのですが、私は大学時代、不登校を経験し、精神科に何度も足を運んだことがあります。その際にどのような症状であるか、まあ医者とやり取りをして、その後薬を処方されるのですが、いくら飲んでもほとんど効果がありませんでした。

 結局、精神科医と言っても、患者の心の中を直接にのぞき見るわけではない。大体の話を患者から聞いて、それで「該当する可能性が高い病名」を付け、そのうえで薬を処方する。だから、患者を客観的にみているようで、実は医者の主観もかなり入るわけです。医者がこうだと思いこむ場合もある。

 ですが、医者の診断が間違っている場合もありますし、そもそも仮に医者の診断が正しかったとして、その処方された薬が、その精神の病気に対して「本当に効果があるのか」それすら私は疑問に思っております。

 ちょっと話が変わりますが、最近よく「頭が良くなるニンテンドーDS」などと言ったゲームや「こうすれば記憶力が高まる!」「こうすれば脳が活性化する!」みたいな書籍などが本屋やゲーム屋に並ぶことがあり、その監修を見ると、有名大学の「脳科学の権威」みたいな人(もちろん、正統派脳科学の権威という意味です)が関わっていたりしておりますが、あんなものはいくら読んでも遊んでもほとんどく効果がありません(笑)。それこそ「知的認知症」にでもなりたい場合はお勧めしますが(笑)。

 そりゃそうでしょう。たとえばその「脳力開発ゲームソフト」にしろ、確かに収容されているデータには、「一時的には脳の知的快楽を刺激し、刹那的には能力を高めることができる」かもしれませんが、2、3か月ですぐに飽きます(笑)。所詮、ゲームに入れられるデータなどたかが知れているし、あんなものを子供に何時間もやらせるくらいなら、子供同士遊ばせたほうが教育にもよろしい(笑)。

 実際、中古屋に行けば、3か月足らずでこれらの書籍、ゲームはいくらでも売りに出されておりますよ。所詮そんなものです。

 そういえば、懐疑論者(スケプティスト)はこういう商品の胡散臭さについてはほとんど指摘しませんね。なまじ「科学的に正しい」から、こういうものの効果を疑ったりしないでしょうか(笑)。波動商品やマイナスイオン商品の胡散臭さなら、嬉々としていくらでも批判するのですが(笑)。「科学的に正しければ」効果がほとんど期待できない商品が「脳が良くなる」というきわめて嘘くさいキャッチフレーズで売られても、見て見ぬふりというわけですか。「疑似科学商品」も「科学的に正しい商品」も「効果はたいして期待できない」という点では同じなのに(笑)。

 それで、これとは別な話で、とある国で、脳のある部分に刺激を与えることで、鬱病が治った!という話題が飛び込んできたことがありますが、私としては、こっちのほうがより深刻だと思いますね。

 以前、ロボトミー手術という恐ろしい医療技術があったのです。それは粗暴な人間を治療する医療として注目され、なんとこの医療法を確立した医者はノーベル賞を受賞したほどだったのです。ですが、この医療技術は人間の前頭葉を除去するという乱暴なもので、これにより人格を破壊されてしまい、廃人同様になった患者が大勢いたらしいです。

 まあ、あのころよりも医療技術は進歩しているので、これほどひどいことは起こらないとは思いますが、とはいえ、心の病を安易に脳科学だけで解決してしまえるという風潮は、かなり危険だと思いますね。というより、本当にそれで鬱病が治ったのか、いや、仮に治ったとしても、将来どのような副作用があるのか、そういったこともろくに考慮されず、ただ鬱病が治った!医療の進歩だ!と騒ぎたてる今の科学者たちに、私はかつてのロボトミー発案者の影を重ねてしまいます。

 やはり、kunio様のおっしゃる通り、心の病は人間同士のつながりの中でしか、あるいは自然とのつながりの中でしか真に回復しえないと思いますよ。それも時間をかけてね。上の事例も本当にそれで治ったものなのかどうか、きわめて怪しいものです。はたから見れば治ったかのように見えても、本人の心は本人にしかわかりえません。というか、本人も案外そう思い込んでいて、今度は別な精神疾患にかかるかもしれないし。

 生物は、生物としか、あるいは自然としかつながることはできません。いずれ、資本主義が崩れ、都市と農村が融合したときに、それを人々が自然と理解する日が来ることでしょう。

投稿: +9 | 2009年10月27日 (火) 23時17分

kunioさん、+9さん、こんにちは。いつもありがとうございます。病を作り出す環境を変えることが今の世の中には必要ですね。医者でも治せない病気が増えてきているということも、もっと無理なく生きることができるように世の中を早く変えろ、天は病を通じてそれをわれわれに迫っているのだと思います。できることから、身の回りから変えていくことも大切ですね。どうもありがとうございました。どうぞますますご活躍ください。
藤原直哉 拝

投稿: 藤原直哉 | 2009年10月28日 (水) 09時02分

 いつも希望を持つことのできるお話、ありがとうございます。私は、兵庫県の中央越知谷の里山で山村留学のマネージメントを仕事としている万年係長の地方公務員です。今年は8名の小学生を1年間預かっていますが、里山の暮らしを十分満喫してもらえるよう「ヨコ型リーダーシップ」を参考に、米作り野菜作り、山登り沢登り、干し柿作り、竹細工わら細工、紙すき、渓流釣等それぞれを特技とする里山の仙人(おじいちゃん、おばあちゃん等)と子どもたちをしっかりと繋いでいきたいなあと思いました。余談ですが「歴史の彼岸」を読ませていただきましたが、相通じるものを感じています。
《神河やまびこ学園》 http://www.town.kamikawa.hyogo.jp/yamabiko/

投稿: しんちゃん | 2009年10月28日 (水) 11時46分

しんちゃんさん、こんにちは。いつもありがとうございます。HP拝見いたしました。そうですか。立派なお仕事をされておられますね。行政が本当に積極的に取り組んでおられるのですね。これからはこういうひたむきな活動を大きな日本再生への動きにつなげていかなければなりませんね。歴史の彼岸、ありがとうございます。15年前にみたイメージが今まさに目の前にありますね。どうぞこれからもますますご活躍ください。ありがとうございます。
藤原直哉 拝

投稿: 藤原直哉 | 2009年10月28日 (水) 23時24分

 科学で扱える範囲というのを、今一度考え直してみてもいいのではないでしょうか。

 科学で扱える範囲というのは、反証可能かどうかが一つの基準になると思います。つまり、死後の世界や生命の誕生などは、それ自体がすでに反証不可能な命題であり、本来ならば、科学の範疇にはないものです。あるいは神や悪魔の存在なども、そうでしょう。反証不可能と言ってしまえばそれまでですから、それはもはやスピリチュアルや精神世界の範囲となります。

 人間は、とある偶然的な出来事や事例に関しては、必ず何らかの「納得できうる理由」がなければ気が済まない部分がある生物です。要するに、偶然でしか語りようがないものに関して、それを無視したまま処理することができないということです。

 たとえば、なぜ自分が自分なのかというのは、よく哲学などでも議論になりますが、これに対して脳科学者や合理主義者は、それを考えること自体がすでに無意味なことであり、錯覚であるとしております。

 なぜ私は21世紀の日本人なのか。この問いかけには常に「偶然性を伴った解答」しかありません。まあ唯物論的にいえば、せいぜい「人類という種族が発症してから滅亡までに存在しうる人数分の一」というくらいでしょうか(笑)。でも、これは実は科学的には「正しくはない解答」なのです。反証不可能な命題は、扱うこと自体が科学にはできないからです。だから、そもそも正解など「ない」

 それに、こんな解答をされても、多くの人々はなんか腑に落ちないのではないかと思います。それは、実は社会にとっても個人にとっても当たり前のことなのです。

 個人の存在の疑問より、もっと身近(と言えるかは微妙ですが)な事例をあげてみましょう。例えば、通り魔事件などで、身内が不幸にして巻き込まれた場合、自分の肉親を失った遺族は必ずこう言います。

「なぜ、うちの人が襲われなければならなかったのだ」

 しかし、これに対して科学が答えられるのは、せいぜいが「医学的見地からの死因特定」と「事件に至るまでの背景」であり、後は例えば「アキバ通りを歩いているときに襲われる確率」くらいなものでしょう。要するに、通り魔からしてみれば、「たまたま殺した」のであって、まったくもって「偶然」なのです。それに対する「科学的な答え」など、遺族の悲痛な問いかけに対して何の意味もなさず、かえって不謹慎な奴だと怒りを買うだけでしょう。

 また、例えば「なぜ世界は様々な自然法則が存在しているのか」「なぜプランク定数はあの値なのか」といった問いかけにも、科学は答えられません。科学はあくまでも「このような自然法則があるのだ」ということを発見し、「プランク定数の値を数学的に示す」程度しかできません。なぜこのような法則があるのか、なぜこの値でなければならないのか、それは反証不可能な命題である以上、扱うこと自体ができないのです。

 死生観が本来、科学で扱えるものではないのは、それ自体に反証可能性がないからです。だが、扱えないからと言ってそのまま無視して過ごされる問題でもない。

 だから、西洋東洋を問わず、様々な死生観が生まれていったのです。要するに、反証可能ではない命題に対して、何らかの解釈をしなければ、我々は社会を維持できない生物であるということです。

 例えば死後の世界にしろ、輪廻転生にしろ、合理主義者が言うような理由だけで語り継がれてきたのであるならば、そんなものは現代まで継承されることはなく、むしろ途中ですたれていたと思います。

 合理主義者たちは言います。

「死後の世界や輪廻転生という思想が生まれたのは、過去の時代において民が為政者により自由を奪われ搾取されていたため、あるいは自然災害や疫病が蔓延し暗黒時代だったため、次の人生こそもっとよいものであってほしいという願望が人々の間にあったからである」と。

 要するに、過去の時代の人々は不幸な状態にあり、そのような死生観で自分の人生の理不尽さを克服しなければ、とてもやって行けなかったからというわけです、簡単に言ってしまえば。その点我々は、発達した科学や民主主義のもと、自分の意思で主体的に行動し、人間らしく暮らしているんだとても言いたいのでしょう。

 実に馬鹿らしく、思いあがった歴史観と言うほかありません。自分たちのご先祖の歩んできた歴史がすべて「生きるのもままならない暗黒時代」ばかりだったと、本気で思っているのでしょうか?常に為政者により搾取され、希望も何もなく、それこそ来世に望みを託していかなければ、とてもやって行けないような、そんな時代ばかりだったと?

 上記のような歴史観は、過去の時代よりも現代人のほうが「優れている」「進歩している」と思い違いをしているから、出てくるのでしょう。まるでマルクスの階級闘争史観です。人民は常に搾取されていた暗黒時代の被害者ばかりだったと。自分たちは「すぐれている」と思うから、このような過去の人々を見下した歴史観を作り上げ、自分たちの理性のみで、判断してしまう。その時代における「時代性」など一切考慮せずに。

 たとえば、江戸時代において、日本は現代人がなしえないような高度循環型社会を作っております。これだけ科学が発達した我々が、今だなしえないものを、彼らは数百年も前に自らの知恵でやり遂げた。また、社会生活においても、確かに徳川幕府の支配下にはあり、まあ、中には馬鹿な将軍もいたでしょうが、少なくともおおむね太平な世の中を築き上げ、それは世界史をみても類をみないほど高度で自然と人々が調和したものでした。たぶん、当時のほかの国家と比べても、かなり先進的だったと思います。

 武士は貧乏だったと聞きますが、しかし一方で限られた勤務時間(これは藤原先生のお話にも出てきました)を効率よく作業し、余った時間を武芸や芸術、仲間との交流に使い、今のようなワーキングプアーよりもはるかに幸福感を持っていた人々も多かったはずです。

 一日数時間働き、それこそ過労で体を壊すというわけでもなく、また過度の自然破壊や競争も行わず、自分たちの身の丈に合った生活をしてきたはずです。

 もちろん、馬鹿な将軍や政治の腐敗もあったでしょうし、大飢饉や疫病が蔓延したこともありましたが、決して「暗黒時代ばかり」とは言い切れなかったはずです。つまり、このような生活レベルが高い時代は、日本に限らずほかの国々でもあったはずです。なにも現世が悲惨だから、来世に望みを託さざるを得ないとか、死後の世界で永遠の安らぎを想定しなければやってられないとか、そんな時代ばかりではなかったはずです。

 加えて現代はどうでしょうか?果たして本当に、過去の時代に比べ、我々は「進歩している」「すぐれている」と断言できるほど、素晴らしいでしょうか?

 ワーキングプアーで体を壊し、自殺者が毎年30000人以上は当たり前で、一方で自身が希薄になっていくことに対する恐怖から、オカルトや疑似科学に傾倒していかざるを得ない人間が急増し、環境問題は常に暗い影を落としている。頼れるのは金だけで、人々のつながりは薄れていく一方。それでも昔は魂や自己の尊厳はまだ脅かされることはなかったが、科学の発展により、いまや「自身の尊厳やプライド」まで否定されようとしている。その結果、心をむしばみ、精神科に通う人々が激増している。また、科学の発達で、逆に人間のコミュニケーション能力や、運動能力も低下してきている。昔の子供に比べ、今の子供の体力が落ちていることを示唆する文部科学省の調査データなど、いくらでも存在します。こんなありさまで、本当に過去の時代の人々を「憐れむ資格」があるとでも?

 それこそ江戸時代の人が現代にタイムスリップしてきたら、現代人に対してこういうのではないか。

「お前らに憐れまれるほどおれたちは悲惨ではない」と。意外と、江戸時代の人々のほうこそ幸せを感じていたのかもしれませんよ。

 自分たち現代人のほうが過去の時代より優れていると考えること自体が、現代人の「おごり」ではありませんか?合理主義者たちは、創造科学の信奉者を批判しますが、自分もまた奢っているという点では彼らと変わりません。創造科学論者が「人間は特別な生物であり、神によって作られ、ほかの生物に対して優れている」と思いたがっているのは、まあ間違いないでしょうが、一方で、自分たちが過去の人々より高い知識と技術を獲得したからといって、自分たちのほうが過去の時代より優れている、進歩していると錯覚し、過去の人々を憐れむような視線で語ることが、「傲慢」ではないと、なぜ言い切れるのですか?

 結局、「輪廻転生や死後の世界」も、それはかなりのリアリティをともなって語られてきたものだからこそ、現代まで継承されたのです。でなければ、とっくの昔にすたれていたと思います。

 先ほども申しました通り、人間というのは、何らかの偶然的な出来事(それも、人生に直結するような深刻な事例であればある程)に対し、何らかの解釈を作り出し、納得させていくものなのです。それを「非科学的」と嘲笑うのは、思いあがった愚か者のやることです。そもそも反証不可能な命題に科学が口をはさむこと自体がすでに間違いです。そのことを「合理主義者」たちは肝に銘じ、自制するところは自制するべきでしょう。

 
 

投稿: +9 | 2009年11月 1日 (日) 01時24分

+9さん、こんにちは。いつもありがとうございます。今日も大きなテーマでお話を頂き、ありがとうございます。神はランダムにさいころを振っているという解釈こそ近代人がこれだけ不確実な世の中でなんとか前を見て生きることができた根本的な原理だったように思います。しかし20世紀になって量子論が出てくると、あらゆる出来事は確率的にしか考えられなくなります。しかもそのなかでありえないような偶然が次の秩序を生み出していくのです。自ら天から何かを感じていないと、とても不安で朝起きるもの大変という時代なのだと思います。こればかりは一人一人が克服しないとならないのですね。どうもありがとうございました。どうぞますますご活躍ください。

藤原直哉 拝

投稿: 藤原直哉 | 2009年11月 1日 (日) 14時02分

 かつて、自民党の舛添厚労大臣は入閣時、やる気満々の顔つきでしたが、月日が過ぎると共に、目の光がなくなり、言葉の歯切れも悪くなる一方でした。いつのまにか、厚労省の役人の側に立った感じさえしました。
 民主の長妻厚労大臣も、ここ最近疲れた様子で、言葉の歯切れも悪くなる一方に感じます。役人とは対峙姿勢は崩していないようですが、これから先どうなるか、・・・。
 自民政権時には、年金資金がPKOに使用されましたが、今現在どの程度保全されているのか興味があります。又、情報公開が楽しみです。
 社会保険事務所時代に、年金以外に使用した裏金がどうなっているか、それの情報公開も非常に楽しみですが、年金機構に移行して、ひょっとして闇の中に消えてしまうのでしょうか。
 どの省庁でもいいので、とにかく、自民政権時の闇を暴いて、2度とそのような過去には戻らないようにして欲しいと思います。

 事業仕分け委員に変てこな米国人が入るそうですが、どう考えても日本の国益を蝕み、米国の利益にしかならないようなことしか言わないような人物ですが、そのような人選をした仙谷大臣は一体何者という感じがします。凌雲会に属しているそうで、清和会と同様に、日本の資金をユダ金に売り渡す気なんでしょうか。あんな馬鹿な人物を入れるくらいなら、まだ、新人議員の方がよっぽど良いような気がします。
「小沢、黙ってろ。お前は選挙対策だけやればいい。」と、私は言いたいです。

投稿: 匿名希望 | 2009年11月 2日 (月) 07時14分

匿名希望さん、こんにちは。いつもありがとうございます。鳩山内閣の支持率が10ポイント下がったようですが、これからが経済のことを含めて正念場ですね。小沢氏はこれからたびたびテレビにも出てくるようですが、完全に裸の王様になっていると同時に、これは積木崩しが結構急ピッチで進むかもしれませんね。小沢が去って、もうひとつ平成の市民革命が前に進むのでしょう。どうぞますますご活躍ください。
藤原直哉 ハイ

投稿: 藤原直哉 | 2009年11月 2日 (月) 09時02分

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