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2009年10月13日 (火)

藤原直哉の「21世紀はみんながリーダー」 2009年10月13日 想いと現実のあいだ

想いと現実のあいだ

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コメント

こんにちは。いつも楽しく勉強させて頂いています。
Fお改めFぅお~です。

今の会社組織の問題は経営者や管理職の方々が異なる意見や価値観を受け入れる視点を持っていないことだと思います。

そうした人々はパラダイムシフトとかイノベーションといった言葉をよく発言します。しかし、変えたいのは自分以外ことであって、決して自分を変えることではないのです。

だから、状況が悪くなってくると原因を外に求め、もっと頑張れといったり、一致団結しろと周りを変えるようなことを強制するのです。

そして、藤原先生のおっしゃる、暗く冷たい組織ができてくるのです。

彼らの視点は、ある目的に対して合理的な判断を元に進めていくといったものであると思います。

合理的な判断そのものは悪くありませんが、自分以外の視点が見えないので、合理的な判断のもととなる前提条件が間違っていないかといった考えが浮かばないのです。

これからは人格や器の大きさといった指標が会社組織の中で求められてくるのではないでしょうか。

投稿: Fぅお~ | 2009年10月14日 (水) 08時43分

藤原先生、おはようございます。

今回のお話はとても深いものでした。
お話の中で人間の霊というのは、
死後また今生に生き返り再び修行する。

たとえば、
人間以外の動物や魚や昆虫などに
魂があるとしまして、
彼らはどのような輪廻転生の世界に
いるのでしょうか?

人間が動物や魚になったり、
また逆に動物や魚が人間になったりと、
そういう生き返りもあるのでしょうか。

老人や子供にやさしい近所の犬などを見ても、
およそ経団連の殿様連中よりは
はるかに魂の位は上ではないかと思います。(笑)

天の世界観というのはどのようなものに
なっているのでしょうか?

漠然としていますが、
子供のころから生き物の魂の輪廻転生は
どうなっているのかが気になってました。

失礼いたしました。

投稿: 狛犬くん | 2009年10月14日 (水) 09時25分

この1年ほど、ほぼ毎週藤原先生のこの番組を拝聴させていただいております。いつも大変ためになるお話をご発信くださりありがとうございます。

今日のお話もたいへん素晴らしかったです。
わたしはまったく普通の市井の一市民ですが、数年前から自分でいろいろと思うところがあり、先生の仰る「祓う」に相当するかと思いますが、なにか自分を根本からリセットしたいという気持ちが強くなり、自分でいろいろ調べたり、人に話を聞いたり、とにかく試行錯誤いたしまして今に至っています。その方法というのがつまるところ、今日の先生のお話にまったくもって繋がりましたので思わず投稿させていただいた次第です。

10年くらい前からでしょうか。所謂、「世の中に合わせる」「世間で権威のある人の意見を聞く(言うことを聞く)」「周囲に同調して生きる」といったことをしていると身心に不調をきたすことに気づきまして、以来、少しづつではありますが、自分が元気になれるよう試行錯誤を重ねてきました。

まずは体を元気にするべく、食事の内容に気をつけ、家の中を片付け、整理整頓を心がけ、お天道様が照っている間には、仕事や家事などしっかりやるべきことを普通に行い、夜はぐっすり眠るということを念頭に生活を改善していきました。しかし同時に、現代の都市生活ではこの至極当たり前なことを行うこと自体が実に難しいと気づきました。残業もあり、夜遅くまで灯りはついていますし、騒音もあります。携帯やテレビなど電磁波も飛び交っております。交感神経が夜になっても静まらないような原因となる事柄が身近にありすぎるのです。夜ぐっすり眠れるようにするにはどうしたら良いかというところからスタートして、ここには書ききれないほどのことを試しました。そして今ではすっかり元気に生活しております。

現代の特に都市生活では、食の安全、都市環境や住環境の乱れ、騒音、情報の氾濫、などなど人間の五感が麻痺するほどの過剰な刺激に満ち溢れておりますね。そのことで多くの人々は本来持っているはずの精巧な感性・感覚を麻痺させられている状況ではないかと個人的に推測しております。その感性・感覚を取り戻すためにも、田舎で畑を耕したり、自然の中をただ散歩したりといった自然と向き合う・自然と共生してみるという体験が必要なのだろうと思います。ただ、一挙に生活を変えるのは難しいので、都市生活を営みながら出来る範囲で工夫をしている次第です。

まずは自分の身心を健全にすべく建て直し(リセット?)を行っておりますと、藤原先生が仰る「暗く冷たいもの」に敏感になります。自分の感覚が健全になるに従い、そのような「暗く冷たいもの・人・事柄」には近寄らなくなります。逆に周囲には「明るく暖かい人々・事柄」が増えます。わたしはこれが先生仰るところの「世直し」に繋がるのではと考えております。

ですから基本はやはり、先生が仰るとおり「規則正しく生活をする」とか「明るく挨拶をする」とか昔から言われてきた当たり前のことをただ愚直なまでに継続していくことだと思っております。そうやって健全になってはじめて世の中のため、とか人のためといったことを考えませんと、健全な発想や着想に至らないと思うのです。

藤原先生はいつもこの番組で、世の中の大変な状況、政治・経済について言及されますが、内容は厳しいものでも、そのお声からは、明るく暖かい感じが伝わって参ります。この手の話をなさる方の中には一見まともなことを仰っているけれども、聞いているうちにこちらが疲れて参ってしまうような気を発する方もいらっしゃるので、そのあたりは個人的にひとつのバロメーターにさせていただいております。

地上はときに雨や嵐が襲ってきますが、そんな日でも雲の上ではいつも太陽が輝いていることを忘れずに、明るく暖かい気持ちを念頭に自らも地球とともに自転していきたいと思っております。

藤原先生もどうぞお元気で益々のご活躍お祈り申し上げます。

投稿: 真田稲穂 | 2009年10月14日 (水) 11時47分

藤原さんこんにちは。

いつもいつも得がたいお話ありがとうございます。
先ず行動ありきですね。『観自在菩薩行深般若波羅蜜多時』とありますように、『行じし時』が大切ですね。

私事ですが、30年ほど前に神経症にかかりまして、大変辛い思いをしたことがあります。こうあらねばならない、あ~でもない、こうでもないで身動きが取れなくなり、はては頭痛、眩暈、手の震えまで出てきて、びっくりしました。

私の場合は森田療法という療法に従って快癒して行きました。
何をしたかというと、頭脳に去来する想いはどんなものであろうとも、その時やるべきことを粛々とやる、先ず行動を起す、規則正しい生活をする、適度な運動をするといったことです。
やるべきことと言っても、学生ならば勉強、主婦ならば家事育児、会社員ならば仕事。
当たり前のことを当たり前にやるというだけなんですが、中々出来なったわけです。
健康保険が適用されるので、神とか霊とかはさすがに出てきませんでしたが、その後歎異抄、般若心経など読んで、何だ同じではないかと妙に感心した記憶があります。

昨今の社会状況で、悩みは尽きず、生活も楽ではありませんが、元々宗教的な体質で、様々な経験を経て、今は大きな生命が自分を生かしていると実感しています。

投稿: Eishin | 2009年10月14日 (水) 17時20分

 パワハラをしている上司がいて、自分だけが悪者にならないように、下のものにも命じて、複数で一人の部下に嫌がらせをしていました。
 そのパワハラ上司のそばを通ると途端にめまいがし、少々悪臭がにおいました。周りに聞いてもめまいや悪臭を感じるのは私だけのようでした。
 数度、その上司の顔が鬼や狼のように見えることがあり、空間がゆがんでいるというか、妙な気配でした。

 パワハラ上司に嫌がらせをするように強要されることもありますが、今のところ、返事だけして、協力するふりだけしてごまかしています。
 自分で何とか気持ちを暗くしないように努力しますが、日に何度も陰険なシーンを見たり、自分に向けられたものでなくとも、心ない言葉を聞いたりすると帰る頃にはフラフラになり、気分が暗くなります。
 
 今回の藤原先生のお話は、個人を対象にしたお話でしたが、一室40人の場合、祓う方法があれば教えて下さい。

 又、このような不愉快な職場は辞めたいのですが、求人率が0.5を切る昨今、辞める踏ん切りがつかず、トホホ状態で困っております。
 

投稿: パワハラ反対 | 2009年10月14日 (水) 20時10分

 私から見ると虚業に生きる所が多過ぎます。天の声はなんと言ってますか。ある人に天の声が聞こえる事有る?と聞くと、無い、、、修行が足りない、と言ってました。回りの人に聞いてみましょう。
 天の声聞こえる事有る?

投稿: honnnede | 2009年10月14日 (水) 22時39分

みなさん、こんにちは。いつもありがとうございます。たくさんのコメントをありがとうございます。

組織の冷たさの問題は、何か戦前の軍部の亡霊がよみがえってきたような感じさえするぐらいで、破滅への統制、ブラックホールのような組織がだいぶ増えてきましたね。合理性の追求というのも誰かが勝手に作った基準に合わないものは排除するということであって、それが組織を成功に導くものではないことが多々ありますね。

集団でパワハラをやっている組織もそうですが、ある程度その雰囲気が蔓延したら組織のメンバーの力でそれを変えることは不可能になります。すなわち組織のトップから末端まで、だれもその空間を変えられなくなります。そうなったら逃げるしかありません。逃げられないときはいわば空襲下で防空壕にこもっているような感じになりますが、組織が解散になるまであるいはほかに逃げ場所が見つかるまで、とにかく死なないように耐えているしか方法がなくなります。時間を上手に作って、外部に逃げ場所を探すことが最も賢明だと思います。

いろいろご苦労を抱えておられる方が快方に向かわれたお話、とても勇気付けられますね。やはり人は生きているうちにいかに向上するかがすべてです。困難は克服するためにありますから、困難の意味と克服する方向をいかにうまく悟るかがポイントです。信仰心の強い人は、神や仏のご加護を受けるのが上手です。実に上手に神仏のご加護、ご神徳を受けておられます。ある種の素直さがとても効果的なようですね。こういうところはどうしても頭が走りがちになる20世紀陣が大いに反省しなければならないところのようで、本当に幸せとは何か、もう一度われわれは考え直さなければならない時代に来ているようです。明るく温かい気持ちを常に持って生きることの幸せは何物にも代えがたいのだと思います。

天の声の受け止め方は人それぞれですね。本当に聞こえる人もいますし、ある瞬間に一瞬で悟る人もいます。あるいは、よく過去を反省をすることでそこに天の声を悟る人もいます。まちまちだと思います。ただ言えることはあまりにも自分の今の思いを強烈に推し進めている間はなかなか感じないし見えないということです。自我が引っ込んだ瞬間に聞こえるといいますか。夜の街の電気が消えて初めて満天の星空が見えるみたいなところがありますね。自ら電気を消さなくても、消えてしまうことがあって、そういうときにふと、満天の星空が見えて、あぁ、宇宙ってこうなっているんだとわかることがあります。今みたいに不意の「停電」の多い時代は、ふとしたところで宇宙を見る人が多いのではないでしょうか。

虫や動物のことはよくわかりませんが(大笑)、類推で考えたら、人から虫や動物に、あるいは虫や動物から人になる霊もあるのでしょうね。輪廻転生と言いますが、それ以外に現界での修行が終わって、天界で過ごす霊もあるのでしょう。なかなか壮大なことだと思います。

どうもありがとうございます。どうぞみなさんますますご活躍ください。

藤原直哉 拝

投稿: 藤原直哉 | 2009年10月14日 (水) 23時20分

狛犬くんさん、こんにちは。

人でも虫でも、死んで亡骸が土にかえり次の再生につなげるには、あらゆる意味で自然体で死を迎えられるかどうかが鍵のように思います。

腐らないようにコーティングされたり、添加物で漬物にされたらなかなか分解されません。強制的に火葬すれば気体になりますが。

これからは強引な秩序で治まらない時代だと思うので、
土葬でも分解されるように、体も思想もやわらかしておくといいと思います。

動物や虫も本能に基づく規則正しいシンプルなおつとめをしているのではないでしょうか。人間も時間を決めて似たような事をやっています。人間はOSで、いろんなソフトを実行しています。ネットにもつながっています。
ひとつの生の中でいろいろできます。アプリケーションエラーもいろいろおこるでしょう。
魂はモニタをみながらいろいろ推敲しているのではないでしょうか。

次に生まれ変わる時は、それがどんな姿であろうが必然だとおもうので、楽しんでやりとげればいいとおもいます。コーティングするのはほどほどにして腐敗も受け入れましょう。

投稿: 中山 | 2009年10月15日 (木) 09時58分

藤原先生、中山様、こんにちは!
ご丁寧なお返事ありがとうございます。

藤原先生の「壮大な輪廻転生」、中山様の「体も思想もやわらかしておく」、たいへんありがたいご示唆をいただきました。

私の家の仏教は禅宗なのですが、ある法事の時にお坊さんが、「毎度の食事に、いただきます。というのは、食物になった動物や植物の命をいただいて、自分の体の一部にさせていただくということです。どうぞ食物に感謝してお食べください。」とおっしゃられました。

人様からいただいた言葉やお返事にも感謝して、「いただきます」と自分の体の一部にしたいと思います。

失礼いたしました。

投稿: 狛犬くん | 2009年10月15日 (木) 12時30分

毎週火曜日の放送を心の支えにして楽しみに聞いています。

私の会社でも、
職場いじめから体調を崩し亡くなった方がいて、
私も人間不信・深くトラウマになって早4年がたちました。
不幸はつづくのか、当時、家庭の事情もかさなって、
簡単に転職もできない状況におちいり、
身も心も弱りはてていました。
ここ一年くらいで、やっとこ精神的にも落ち着いてきました。

今週の放送を聞いて、私は亡き人同様に、
周りの人を恨みつくしていて、自分も気がついたら
周囲と同じように、「暗く冷たい人」に
なっていたのではないかとおもうとぞっとします。
あまりにもひどい環境に自分の身を置くのも罪、、という言葉は
私はもっと早く気がつけばよかったなぁとおもいました。
経験をとおして、「負けるが勝ち」という言葉の
本当の意味を悟りました。

余談ですが、
亡くなった人の念というのは、ものすごい強かったです。
『絶対に絶対に許さない』って伝わってきました。。。
これも、「気のせい」かもしれませんけれどね(笑)、
一時期、毎晩、見えない相手に「言い聞かせ」てましたから、
今週の放送は一言一句、身にしみて理解できました。
勝つとか負けるとか、そういう尺度ではなく、
すべて万物はつながっていることに気がつけば、
人は幸せですのにね。。。

投稿: まるこ | 2009年10月15日 (木) 15時03分

みなさん、こんにちは。いつもありがとうございます。目に見えるものと見えないもの、生と死の境目、自分と他人の境目、人と動物の境目、昨日と明日の境目など、あらゆる境目、境界を絶対と思わずに世の中を見直してみると、ずいぶん見え方が変わってきます。そしてより大きな共生のなかで生きていかなければならないし、より大きな共生の中で真の喜びを感じる自分が見えてくると思います。こうした自分自身の向上には常に苦労と困難が付きまとうものです。当然、邪神も邪魔してきます。同時にその苦労と困難、邪神の襲来にこの世の複雑さ、壮大さを感じて、改めて人は成長するのだと思います。何事も時期が来るまで前が見えないことが多いものです。前に進めない、前が見えないときにいかに上手に生きるかがこれまた人生の要諦でもありますね。21世紀は相当におもしろい時代になるように思います。どうぞみなさんますますご活躍ください。ありがとうございます。
藤原直哉 拝

投稿: 藤原直哉 | 2009年10月15日 (木) 16時21分

藤原先生「祓い」のお話有難うございます。

「永遠の命を知り 今を生きる」
私はあなた、あなたは私。

物あまりの日本で幸せを感じる人が2割、
貧困のフィリピンでは助け合い、分かち合い 幸せ感を8割の人が持つとか。

苦しみを共有できない国 日本。
____________

物理的な行き詰まりも 気の持ちようなのでしょうが
自らを追い込み 剣が峰に立つ人には暖かな部屋と食事と休養の後、ゆっくり時間をかけ・・・。
現実には
わが身の事でやっと。 他人様をたすけるなんて身の程知らず・・・。

自然淘汰? 摂理?
だって人災なのに 何も出来ないなんて・・・。
_____________

そこで こんなことを考えてみましたが いかがなものでしょう?
邪悪な波動に力があるのなら 呪詛はどうでしょうか。
想念の強さで 具体的な敵を藁人形とかで悪人を・・・。
かつてチッソに対し どっかの僧たちが「呪殺」の旗を掲げ工場で念じた写真を見たことがありますが 結果、叶わなかったのでしょうか?

日本の戦は 呪術合戦であったとも聞きますが 結局のところ 効かなかったようですね。
________________
では 善の想念は・・・少なくても人殺しにはむきませんね。
では 愛の力は・・・太陽政策も進展しないし 胸襟を開いた途端 サイフごと持っていかれそうで・・・。
_____________
思いは募りますが 何も出来ません。゚(゚´Д`゚)゜
悲しい想念だけは ひしひしと伝わるアンテナをもってしまい 救いの手立ても無く 日々、生業に紛れ暮らしています。

アミターは永遠の命 南無阿弥陀仏 。

失礼いたしました。

投稿: roan | 2009年10月16日 (金) 01時07分

roanさん、こんにちは。いつもありがとうございます。すべては足元からですから、まず自分の生活と仕事を明るく温かくすることが一番です。そうするとそのプロセスで回りが変わってきて、付き合う人たちが変わってきて、自分の周りに天国ができてきます。

世の中はは上を見たら切りがありませんが、下を見ても切りがないのです。下のほうの邪神たちは機会があるごとに上のほうに登ろうとする人たちの足を引っ張り、下にひきずりおろそうとします。前にもこの放送のコメントで書いたと思いますが、芥川龍之介のくもの糸の話そのものです。ですから人はとにかく下は見ないで上だけ見て暮らすのです。下を見て義侠心で助けに行くほとんどの人は邪神に取り込まれて終わりです。よほど魂をきれいにたくましくしないと、なかなか下に救助に行くのは難しいのです。中途半端なことをするとたいてい共倒れです。

その最たる例が呪詛です。人を呪わば穴二つとはまさにこのことで、呪って降参させようと思えば思うほど邪心は喜んじゃうんですね。もしやるんなら呪いではなくて、明るく温かい気持ちであるべき姿を、相手が耳をふさいで逃げ出すような善言美詞で説いていくのですね。私もこういう仕事をしていますと、ときどきよくまぁこんな地獄の底で生きているなという人に出会うことがあります。そういう人が何か食らいついてきたら、徹底的に明るく温かく、あるべき姿をお話します。そうすると面と向かって話をしていると、おもしろいように目をそらし、頭をゆすり、いやそうな顔をして帰っていきますよ。講演会でもそういう人は話を最後まで聞くことができなくて、頭を下げてそそくさと部屋から出て行きますね。何か欲ボケの人がずいぶん集まったなと思うような講演会のときは、最初にそういう話をして欲ボケの人たちのエネルギーを止めてしまいます。まるで野犬をにらみつけるといやそうな顔をして帰っていくような、本当にそんな雰囲気です。

結局、明るく温かいものにはどんな邪神もかなわないのだと思います。ですからひたすら自分がいかに明るく温かくなれるか、それがポイントだと思います。

どうぞますますご活躍ください。ありがとうございます。

藤原直哉 拝

投稿: 藤原直哉 | 2009年10月16日 (金) 07時10分

藤原さん、いつもありがとうございます。

こうしたコメントのやりとりから生まれるもの、時に放送のテーマにまで影響する様は、いろいろと自分事に置き換えて理解することが出来ますね。

私は転職して2年が経とうとしています。
幸いにも明るく暖かい雰囲気をそれなりに感じられる職場なんですが、それは社長の人柄なのか、業績が上向きなせいか、まるで「玉子とにわとり」のようです!?

いやいや、社長が先ですね、やはり。
例えばドラッカーを勉強しているわけでもないのですが(本人に確認済)、顧客を創造しようとしている雰囲気、普通の人が知恵を働かせることでよいパフォーマンスを出す、という思いは感じられます。

先のコメントにある講演会で思い出しました。
数年前は講演の後、「為替はどうなる?」「株は上がるのか下がるのか?」
毎度のようにこのような質問が出ていたように思います。
変わるものですね。
まぁ、私も質問はしなかったものの、その答えはしっかりと聞いていましたが。(^^;

またワールドレポートの今週号ですが、後半の内容を民主党議員とほどほどに親しい人へ伝えておきました。「力説させていただきます」との事です。(^^;

投稿: 64ka | 2009年10月16日 (金) 07時48分

64kaさん、こんにちは。いつもありがとうございます。すっかりご無沙汰しておりますが、お元気にご活躍のご様子、何よりです。はい、やはりリーダーの問題なのですね。リーダーがちゃんとしていないと組織という名の空間はゆがむばかりでどうにもなりません。ですから今の時代はこれからリーダーが大量に入れ替わらないと立て直しにならないのでしょうね。すごい時代です。

講演会の様子もだいぶ変わりましたね。もちろん仕事で為替を必要としている方は別に質問されても何の邪気も感じません。ご安心ください(笑)。わかるのですよ、なぜそういう質問をするのかということが。欲の深い人ほど「おれは金がほしい」と顔に書いてありますからね、気づかないのは本人だけで(大笑)。しかもこれまた不思議なことに、そういう人ほど金を無駄遣いするのです。金を投げてよこすような人ほど実は金に執着が深いのですね。

お話いただけたこと、まことにありがとうございます。また来週にでも告知しますが、いよいよ政治と双方向のコミュニケーションで私も日本再生の応援団をやることになりました。量子と微生物は未来の日本を創る突破口ですからね。ここは正念場だと思っています。

どうもありがとうございます。ますますご活躍ください。

藤原直哉 拝

投稿: 藤原直哉 | 2009年10月16日 (金) 08時20分

藤原先生、
もしかして国家戦略室からおよびがかかったのですか?

投稿: 中山 | 2009年10月16日 (金) 09時51分

中山さん、こんにちは。いつもありがとうございます。いえいえ滅相もない(大笑)。前から理事をやっているNPOがありまして、それをちょっと直して本格的にやることになりました。来週にはお話できると思います。よろしくお願いします。
藤原直哉 拝

投稿: 藤原直哉 | 2009年10月16日 (金) 09時56分

 技術信奉も深刻な問題ですよ。

 以前、ちらっと自由意志について語ったと思いますが、それでは現代の脳科学ではこの問題がどうとらえられているか、そしてこれが将来どのような問題を引き起こすかについて少し考えてみたいと思います。

 現在、脳科学においては、リベットの実験ほか多数の研究から、どうも自由意志の存在は揺らいできている模様です。

 ここで、リベットの実験について簡単に説明します。リベットの実験で分かったことは、とある運動をしようと意志決定(を意識)した0.35秒前に大脳より運動準備電位が検出されるということです。

 要するに、意識する前に、なんと脳の無意識的な活動が人間の行動を決定し、意識はその動作を0.35秒後に確認するということです。

 我々は普通、意識してから脳に伝達が行われ、腕を動かすなどの動作にいたると思い込んでいるのですが、なんと先に「どのような運動を行うか」の決定が脳の無意識領域でなされてから、それを意識している。すなわち、我々は「無意識により次の行動が決められ、意識は0.35秒後にただ確認しているだけ」というわけです。リベット以外にも追試は行われており、かなりの割合でこの結果が裏付けられたとされております。

 しかし、これをすべての行動に当てはめると、いささか恐ろしいことになります。なんと、我々はあらゆる行動(それこそ人助けなどの道徳的な行いや殺人などの非人道な行為にいたるまで)が、あらかじめすべて決定されており、我々が自由に行っているように見える行動がすべて「そのように錯覚しているだけ」で、「必然的なこと」になってしまうのです。

 だから、マザーテレサが多くの人々を救済したのも「無意識による決定」であり、アドルフ・ヒトラーがユダヤ人を迫害したのも「無意識による決定」で、「必然的なことだった」という結論になる可能性があるわけです。

 スピリチュアルな世界ではよく「すべては必然で、偶然などというものはない」とよく言われますが、それを裏付ける結果……とはいえ、これを現代社会にそのまま受け入れるのには、かなり問題があると思います。

 我々の道徳律や法律などは、すべて「個人の自由意志」を前提として作られておりますが、しかし人間の行動一つ一つがあらかじめ脳で決定され、しかも意識はただそれを追認するだけとなると、はたして個人の犯罪行為や非道徳的な行いに「責任」や「処罰」を課すことができるだろうか。こういう問題が生じているわけです。

 科学者たちは、「たとえ錯覚だとわかったとしても、実際の我々の行動がかなりのリアルさを伴うものである以上、法律や道徳律をそのまま用いても問題ない」と考えているようですが、しかし、「知らずに錯覚していたとき」と「知ってしまった後」とでは、かなり意味合いが違ってくるのではないかと思います。

 結局、自由意志の存在が揺らいでいるというのを知っているのが、科学者たちとかごく限られた人間だけならばいいんですが、今のようにネットですぐに情報が流れてしまう世界では、誰もがいずれはこの問題を知ることになるでしょう。そうなった場合、「はたして自由意志を前提としている法律や道徳律にどこまで妥当性があるか」と疑問に思う人間の数も増えてくると思います。そうなると、法律や道徳律の存在意義すら揺らいでしまうのです。

 もちろん、だからといって法律や道徳律が今すぐに無効化されるということではないですが、しかし、いくら我々の実際の生活経験が「かなりのリアルさ」を伴ったものであるとはいえ、やはりそれも「あらかじめ決定されたものであり、自分が意識的に活動しているように見えるのは、実は脳の錯覚である」と知ってしまった以上、今までのような形での法律や道徳律思います。サブプライムローンと同じく、誤まった前提の上にどれだけ完璧な論理構成を築き上げても、そんなものはいつか崩壊してしまうのです。

 だから、これからの法律、道徳律は、今までの資本主義社会では個人、ないしは法人をメインにして作られていたものですが、抜本的に作り変えていかなければならなくなると思います。それこそ、個人や一法人向けというよりは、社会全体としての公益の意味を真に体現するようなものに。個人から全体を重視したような「量子力学に基づいた法律」とでもいうべきなんでしょうか。

 ただ、最近思うのですが、確かに我々は技術や知識を莫大に手にすることができたが、いささか我々自身がもてあまし気味で、振り回されているような気がしますね。パソコンの処理速度をいくら上げても、人々が使うレベルなどせいぜい知れておりますし。

 それにしても、現在の科学の発展の仕方を見ると、まるで我々人間の(特にその時代において最もプライドの高い連中の)「特別性」や「自己愛」を打ち砕くように見えて仕方がありませんね。

 まずガリレオは、天動説を覆し、地動説を提唱した。これでその当時まで隆盛を誇っていた(奢っていた)教会のプライドを打ち砕いた。この地球は平らではなく、ましてや宇宙の中心でもなく、我々の地球の方が太陽を回っており、しかも、宇宙の片田舎に存在しているちっぽけな一つの惑星に過ぎないということが分かった。決して神が与えてくれた特別な台座ではなかったということです。

 次に、植民地支配で天狗状態だった白人を貶めたのは、ダーウィニズムです。白色人種や有色人種などといっても、神の子供でも何でもなく、所詮はどちらも猿の変種でしかないということになった。

 人間の命も複雑なものであり、人の手では改変できないだろうと思われていたものが、単なるDNAのプログラムに過ぎず、いくらでも作りかえられる(もちろん、倫理的な問題も多分にあるのだが)ものでしかないことも分かり、脳科学と量子論の発達で、この周りに存在している物体ですら、「認識の産物」になり下がり、確かに存在しているものなど何も見出せなくなった。

 そしてこの「自由意志の存在の揺らぎ」

 実は、このリベットの実験で衝撃を受けたのは、ほかならぬ科学者たちでした。あとは哲学者もですね。

 なぜならば、「我々人間は理性をもち、その英知を持って自由に活動し、あらゆる活動を行っている」と高をくくっていたのが、「我々人間は無意識の奴隷であり、主体的には行動していない」といわれているようなものですから、何より知性と理性を重んじる科学者たち自身が衝撃を受けたわけです。

 実際、この実験を行ったリベット自身もこの実験結果に慌てふためいていたし、科学者の中でもまだ議論には決着がついていないようです。

 しかしこうしてみると、その時代における「最も鼻が高い連中」の鼻っ柱をへし折るようなタイミングで、人間にとってはあまり「否定されたくない尊厳やプライドに関わるもの」が覆されているのがわかります。

 だから、この調子でいけば、それこそ否定されるのは、我々人間の存在にとって「最も否定されたくないプライドや尊厳」が覆されるであろうことは容易に想像がつきます。

 いま、疑似科学やオカルトとされるものに傾倒する人々や、スピリチュアルに期待を寄せている方々も、おそらくこのままいけば科学が「人間という種族の尊厳」どころか、「個人のプライドや尊厳」をもろに打ち砕くような科学的結論が出てくるに違いないと、薄々気が付いているのでしょう。今までの科学を見ても、みな「人間の特殊性」を否定する方向で進んできたから。だから唯物科学(私も、純粋な唯物論は現在の人類にとって弊害が大きすぎると思いますし、否定する立場です。だから彼らの気持ちもよくわかります)に対して不信感や反発が起こっている。

 ただ、この調子でいけば、私の予測だと、次に科学の反発してくる層は「今現在最も高慢な連中はだれか」を考えれば、それは「今まで成功者や勝ち組」とされてきた人々ではないかともいます。それこそ、そういう人々が「こんな科学的結論は認められない」と、思わず言いたくなるような事態に陥るのではないか。

 まあ、それが大体どのようなものかは予測はつきますが、ただ、「自分のプライドや尊厳」の中で、これだけは否定されたくない、というのは誰にでもあると思います。特に苛烈な競争を勝ち抜いてきた人々こそ、そういうものが多いんじゃないでしょうか。しかし、この科学の発展パターンだと、確実にそこを突いてくる。その時は、彼が「今負け組」と嘲笑っている連中よりも、彼ら自身がこう叫ぶでしょう。

「そんな科学的結論は認められない」
「それを認めたら、競争社会は成り立たなくなる」

 結局、我々はもはや社会を凌駕するほどの技術と知識を得てしまったがゆえに、このような不幸な状態に陥っているのだと思います。先ほども申しましたように、次に主流派科学が導き出す結論が、私の予想通りのものであるならば、おそらく「資本主義はもはや成り立たない」でしょう。いやおうなく、競争よりも共生に向かわざるを得なくなるともいます。もちろん、それは競争社会で勝ち抜いてきた人々にとっては、かなり屈辱的なものになるかも知れない。また、それが現実に提示されれば、「個人の自由意志」と「欲望」に根ざした「資本主義」はもはや維持できなくなると思います。

 未来学者のアルビン・トフラーは、「これからは生と死、生物と無生物、人間とそれ以外の言葉の定義自体が今まで通りではなくなるかもしれない」といっております。生物と無生物の境もなくなるかもしれないのです。

 藤原先生のお話で、「輪廻転生」が出ておりましたが、これも資本主義が崩れ、農業や自然回帰が多くなれば、今のようなオカルトじみたものとしてはとらえられなくなると思います。むしろ、その死生観のほうが理に適っていると考える人々も増えることでしょう。本当の意味でのとらえ方ができるようになっていると推測できるからです。

 この点に関してはもし時間があれば、次回に考察していきたいと思います。

 

投稿: +9 | 2009年10月18日 (日) 22時13分

+9さん、こんにちは。いつもありがとうございます。今回もすばらしい論稿をいただき、ありがとうございます。正神と邪神の戦い、すごいものがありますね。科学者も素直に大真面目に邪神にだまされて操られているという人が結構います。しかも本当に精力的に自分の思考を推し進めますから最後は化け物になってしまいます。20世紀の余韻がどんどん消えていく中で、化け物たちも生き残りに必死のようです。世の中は騒然としながら前に進んでいきますね。どうぞまたいろいろと教えてください。ありがとうございます。
藤原直哉 拝

投稿: 藤原直哉 | 2009年10月19日 (月) 08時04分

リベットの実験の話で僕も自由意志について考えています。西洋的自由意志というものは存亡の危機に直面してしまいましたね。自由意志に基いているつもりであった我々の行動が実は無意識に突き動かされているとすると、「ある行動をやめることが自由意志である」というのが次の段階ではないかと思います。やめることは動作ではないので、準備電位が生じないかもしれないからです。「やめることこそ自由意志」となれば、これは東洋的精神に近づきます。+9さんのおっしゃるように西洋文明にとっては自己否定になりますね。

投稿: ぶんよう | 2009年10月19日 (月) 11時09分

ぶんようさん、こんにちは。いつもありがとうございます。まったくおっしゃるとおりだと思います。西洋は米国も含めて星を大事にしますでしょ。星は秩序の象徴でもあります。だから説明できないものに動かされているということがすごく怖いのです。説明責任なんていう話も根本的には科学と同じで、とにかく理性で納得できないと不安でしょうがないのです。でも納得できないことがますます増えて行くこれからの世の中、さて、どうなりますことか。興味津々です。どうぞ引き続きご活躍ください。ありがとうございます。
藤原直哉 拝

投稿: 藤原直哉 | 2009年10月19日 (月) 19時08分

 カジノは、底なしの欲望の赴くまま、お金を追い求めます。人によっては儲けるためなら、イカサマをしようが見つからなければ何をやっても良いという感じで道徳の欠けらも見られません。
 最終的には、一部の方は儲けますが、ほとんどが文無しになり、人生を棒に振ります。
 まともな人は決してカジノには寄りつきません。

 今の金融機関は、カジノに酷似しています。精神的に、カジノを好む人が金融機関にカジノのルールを持ち込み、すっかり金融の様子を変えてしまいました。

 新聞では、今年に入って米国の銀行は99行破綻したとありました。3日に1行、つぶれている計算になります。真面目に働いている人のお金がカジノのような金融市場に惜しげも無く消えています。

 米国の金融機関は経営不振でほとんど破綻寸前ですが、売買により株を上げ、いまだにカジノに興じています。一体いつまで、このようなことをオバマ大統領は、続けさせるのでしょうか。
 このような金融機関や政府の低レベルな意識を祓うとしたら、どうしたらよいかと考えたら、自力更正が出来そうもないので、きっと破綻させて、悪いものを一切合切消滅させてしまうと思います。

投稿: 憂い | 2009年10月19日 (月) 21時31分

憂いさん、こんにちは。いつもありがとうございます。まったくおっしゃるとおりですね。これで暴落したらすべてが終わりになりますから、その最後の暴落前はみんな粘りますね。でも最後はたいていあっけないものです。問題はその後始末です。今までのシステムが一度終わりになるしかないでしょう。騒然とした時代ですね。どうぞ引き続きご活躍ください。
藤原直哉 拝

投稿: 藤原直哉 | 2009年10月20日 (火) 07時11分

初めての投稿です。

本日の日経の朝刊に「新規国債、最大の50兆円台」と大見出しにあります。金利が上昇したらマズイですね。

鳩山政権はマニフェストにとらわれ過ぎていると感じます。鳩山氏の仰っている事と現実にやっている事が、ずれている(離れている)と感じるのです。
意図的に日本を弱体化(解体)させる政策をとっているのでしょうか??

小泉政権で踊らされ、鳩山政権で踊らされ・・・国民も気がつく時だと思います。最後にツケを刈り取るのは国民になるわけですから・・・。

投稿: ハゼ | 2009年10月20日 (火) 10時55分

ハゼさん、こんにちは。いつもありがとうございます。鳩山内閣もオバマ政権と同じようになってきましたね。ここは鳩山首相のリーダーシップ如何ですね。この閉塞的な状況のどこに突破口をあけるか、それがわかるかどうか、正念場だと思いますね。鳩山内閣が期待はずれに終わると、もはや自民党にも戻らないでしょうから、日本の政治全体は応仁の乱後、すなわち戦国時代のようになります。みなさん、備えは大丈夫ですか?ぎりぎりのところですね。どうぞ引き続きご活躍ください。
藤原直哉 拝

投稿: 藤原直哉 | 2009年10月20日 (火) 17時12分

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