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飛躍する発想
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投稿者 Naoya Fujiwara 時刻 17時12分 リーダーシップ | 固定リンク Tweet
藤原先生こんばんは
今日も幅の広いお話を有難う御座いました。 自分の中の感覚が澄んで行く感じがします。
世の中の流れを単純に言うべきではないと思いますが、ラジオを聞いている時、個人的に
(今) 物が満たされたから→欲はいらない 経済が成長したから→競争はいらない (未来) 他人と共感できるようになるから →リーダーはいらない(みんながリーダー) 色々な人達がいたが、理解し合えるようになるので方向性が見出せる。 自然と調和し共生、発展できる。
と感じました。
そうなれば、メチャクチャいい社会ですね。 時代の転換点で色々見れて経験できて良い時に生まれたと思えます。
これもまた個人的な考えですが、先生しゃべりすぎないでください。 喉のこじれを長引かせると良くないと思います。 ご多忙からではないでしょうか? 講演などで、冷暖の変化が激しいのではないでしょうか? 喉の粘膜を大切にした方が直り易いと思います。 自分は、はちみつレモンを薄く、温めて飲んだり、生姜湯を飲んだりします。 アルコールやうがいのしすぎ、薬は控えた方が良いと思います。 後、マスクです。
これからもご指導宜しくお願い致します。
投稿: 儚 | 2009年8月11日 (火) 19時10分
儚さん、こんにちは。いつもありがとうございます。おっしゃるとおりだと思います。時代の大きな流れは既に出てきているようですね。
声のこと、ご心配をおかけしてすみません。たまにこういうことがあるのです。もう大分よくなりましたが、過労や声の出しすぎには気をつけたいと思います。なかなか暇がないし、全部自分でやらなければならないことも多くて実際気力と体力はかなり使います。何とかしなければと思っていますが、ま、時が解決するだろうと思っています。
どうぞ引続きご活躍下さい。ありがとうございます。
藤原直哉 拝
投稿: 藤原直哉 | 2009年8月11日 (火) 21時41分
藤原先生、こんにちは。 今回もすばらしいお話ありがとうございます。今、飛躍する発想が私たちに求められているのですね。先生のおっしゃられるとうり時代は動いて進んでいるのですから、発想が貧困というか皆無ですと、やってることは同じことの繰り返しで、グルグル回って落ちてゆくだけではないかと思いました。
先生は毎度放送の中で、人間の縁を大事にしなさいとおしゃられておりますね。また時間を作って新しいことにチャレンジしたり、本を読んだりしなさいと。実は、私は本と人の間にも縁があるのではないかと最近感じております。ある一冊を読んで心から感動すると、それこそ芋ズル式(先生のお言葉です)にどんどん読みたい本が現れてくる。書店、図書館に行った時いままで素通りしていたコーナーや分野に読みたい本が見つかる。ネットなどで探していた本が偶然見つかる。これは私が見つけているのではなくて、実際は本の方から私を見つけているのではないかなどど、あらぬ想像してしまいます(笑)。
今回の放送で、先生は30年前など古い本なども読むようにとおっしゃられていますが、これは最近まさに私がそう思っていることで、昔の人の考え方というのはなんと柔軟で、かえって現代人よりも発想や思想が進んでいたのではないかと目からウロコが落ちることもしばしばです。よく先人と書きますが、古い人という意味だけではなく、先に進んでいる人という意味も含まれているような気がします。
先生、だいぶお声の調子が戻られたようで安心いたしました。しかしながら、HPを見ますと先生の全国を飛び回る殺人的スケジュールが掲載されていてビックリいたしました。どうぞご自愛されてくださいませ。
失礼いたしました。
投稿: 狛犬くん | 2009年8月12日 (水) 16時23分
狛犬くんさん、こんにちは。いつもありがとうございます。いろいろとご心配、お気遣いいただきまして、まことにありがとうございます。おかげさまで声のほうは治ってきましたが、引き続き気力、体力の限界に挑戦する、といってはちょっと言いすぎですが、おかげさまで忙しい日々を過ごさせていただいております。ここはもう突破するしかない状況だと思います。
お話のこと、全くそのとおりと思います。本当に我々の周りにはいろいろな縁があって、その縁の先には思ってもみなかった世界が広がっています。この乱れた世の中は逆から見ればみんなが動いてきますから、縁によって新しい世界を広げる大チャンスでもあります。新しい世界から新しい世の中が作られていきます。本当にみなさんにそこのところを気付いて行動していただきたいと思いますね。
どうぞ狛犬さんもますますお元気にご活躍ください。 ありがとうございます。
投稿: 藤原直哉 | 2009年8月12日 (水) 23時19分
こんばんわ、はじめて書き込みます。僕は香川県在住の来年30歳になるサラリーマンです。 以前、たまたま本屋で手に取った本で藤原先生のことを知っていたのですが、先月からこのページのラジオをダウンロードして通勤中に車の中でよく聴くようになりました。 マスコミでは知ることのできない暗い真実もさることながら、未来に向けての行動指針など希望や勇気をもらっています。それにしても、こんな内容の濃い情報を密な間隔で無料で提供していただいていることに本当に驚くとともに感謝感謝です。
ところで藤原先生のこれまでの経歴を見ると元々はバリバリの競争社会ご出身と思われますが、現在のようなロハス的?な考え方を抱くようになった経緯などが載ったページや文献ってありますか?とても興味があります・・。
実は僕もある日「これからは自分で食糧を生産する知識が必要だ」と思い立って去年から自宅の隣の畑で野菜作りに挑戦しているのですが、雑草との戦いです。昔の人は大変だったんだなぁ、と肌身に感じながら夏野菜を収穫しつつ、これに妻の協力があればもっと楽しいのに、と思っています(愚痴です)。
もうすぐ選挙ですね。現在の無理やりムダを作って地球環境を破壊しながら経済成長していくやり方を改める時期が来ていると思います。そういう意味で、これを機に大きなチェンジが起こることを期待して楽しみにしています。
これからもいろんなお話を期待するとともに、ご活躍を讃岐の田舎から応援しております!ありがとうございました。
投稿: たなくに | 2009年8月13日 (木) 23時05分
藤原先生こんにちは、 藤原先生の番組へのコメントで対してのコメントではなくてもうしわけないのですが、上の書き込みの たなくに様 へのレスです。
私も食料の自給にむけてだいぶ前から実践していますが、これからの農においては、 雑草を敵と考えて戦ってはいけません。 雑草を敵と考えるから戦いが生まれ苦が生まれます。
もちろん藤原先生が小田原でやっておられるように、 完全に放棄されていた休耕地を再起させるときや、新規開墾するときには農地の 「相を変える」ために大エネルギーを投入しなければなりませんが、持続的な農生産のためには雑草や昆虫を含めた全ての環境を生かすことが大事です。
このあたり、奈良(三輪明神のふもと)の川口由一さんというかたの農法が非常に参考になります。検索されてください。 また、川口農法の実践者の一人として四国では徳島県阿波市で沖津一陽さんという方が、雑草を敵としない自然農の農園を積極的に展開されているようです。「一陽自然農園」で検索すればヒットします。
是非行って見て会って勉強されてください。
投稿: yupon | 2009年8月14日 (金) 07時45分
たなくにさん、こんにちは。いつもありがとうございます。いろいろと未来を模索しておられるようで、何よりと思います。yuponさんもアドバイスありがとうございます。農は本当に奥が深いですから、時間をかけつつ、しかし常に試行錯誤を繰り返していくことが大切なようです。
さて、私自身のことですが、ソロモンで金融工学の分析をしているときに、これは変だと思いました。それで書いた本が、共感・勇気・自然です。この中に今までの世の中の構造が大きく変わりそうだということが書かれています。その先になりますと、私の遠山郷に行こう!のブログにあります、歴史の彼岸、という小さな小説ですかね、そこに歴史の断層、時間の不連続ということが書いてあって、遠山郷のことが出てきます。そして、確か97年だったと思いますが、富貴の心、という本を出しました。このなかにははっきり農業のことが出てきます。そして数年前に出した、日本再生プログラム、という本ではさらに詳しく書かれています。何か今までの時代をそれなりに真剣に生きていたら、突然これはダメだ、続かないと気付いたというのが実態だったと思います。何事も極限まで一度やってみるとよくわかるのかもしれませんね(笑)。どうぞご参考にされてください。
四国は良いところですね。私も2ヶ月に一度は行っております。どうぞ引き続きお元気にご活躍ください。ありがとうございます。
投稿: 藤原直哉 | 2009年8月14日 (金) 09時08分
藤原様。最近の放送について聞きました。ときおり私のことについて語られているようですのでメール頂ければと思います。宜しくお願い致します。
投稿: 山羊 | 2009年8月15日 (土) 16時56分
以前、脳では心は作れないであろうということを言いましたが、今回はもうちょっと突っ込んで話を展開してみたいと思います。
例えば、「コンピュータは意識を持てるのか」
もしコンピュータが意識を持ち得て将来鉄腕アトムみたいなものができると仮定した場合、
1.心や意識は脳で作られており、その脳は物質で構成された分子機械である。したがって、それは物理法則の支配下にあるわけだから、それを解析して分子構造やエネルギー、運動量などを測定すれば、意識のデータを正確に把握し、数値化することもできるだろう。
2.現状のコンピュータを限りなく高性能化していくことで、人間の脳のプログラミングが可能となる。したがって、人間の脳内の神経細胞の仕組みをシミュレーションできれば、1.のデータをそのコンピュータに入力することで、人間と同じく意識を持ったコンピュータが生まれる。
まあ、大体がこんなところでしょうか。
しかし、これについては、私は無理じゃないかと思っております。
たとえば、将来地球の環境の動きをそっくりそのまま数値化、データ化して高性能化したコンピュータに保存できるようになった場合を想像してみればいいかと思います。それこそ、大気中の分子一個一個の動きなども正確に観測(あるいは、矛盾がないくらいに見えるレベルまで)し、それをコンピュータに入力する。
地震が起こったときを想定してみましょう。当然、その時の大気の流れに伴う分子の動き、あるいは熱量の変化、プレートの動きによるエネルギー量の変動などをすべてコンピュータにインプットしてみると、確かにこの地震がどの程度の規模かとか、どういったデータを数値化して整理することはできます。
ですが、まさかこの数値データをコンピュータに入力したことで、コンピュータ内部で本物の地震が起こっているとはだれも考えないし、それは現に絶対にあり得ないことです。
要するに、ある事象において観測できる数値データを仮にコンピュータに入力し、計算させてみたとしても、その事象まではコンピュータでは決して再現できないということです。
上の事例ではただ地震による「変動など」を数値化しているだけなのです。しかし、いくら数値が正確であったとしても、コンピュータ内には地震を再現する機能なんてありませんし、たとえどれだけコンピュータの性能が上がっても、それは不可能です。
しかし、なぜか人工意識の世界だと、コンピュータに脳の数値データを入れ込むだけで、人と全く同じ思考ができるロボットが作れることになってしまっている。あるいは人間の意識をコピーできると考えている。
地震のシミュレーションをコンピュータ内で数値データ化しても、実際にコンピュータ内部で地震が起こっているわけではないが、脳内の数値データをコンピュータに入力すると、なぜかコンピュータは意識を持ち得ることになっております。
これはさすがに錯覚だと思います。確かに、将来的には人間の脳内の数値データをそっくりそのままコンピュータに移植することはできます。意識の数値化された部分だけをコピーするというわけです。しかし、我々にできるのはせいぜいそこまでだと思います。たぶん、コンピュータはただ数値を表示し続けるだけの匡体であり、実際に意識を持って人間と見分けがつかない行動をとるということはないと思います。
おそらく、脳から意識、心だけを抽出して何か別のものに移植するとか、そういうことはできないのではないかと思います。脳と意識、心はおそらくはこの現世においては不可分な存在であり(あえて現世と書きましたが、今のところ、死後の領域については考察を省かせていただきます)どちらか一方だけを切り離して考えるというのは、上記の部分からも不可能であると思います。
では、「フレーム問題」はどうでしょう。果たして乗り越えられるのか。
人工知能ができると主張する方々には、数億通りある人間の行動パターンと心理パターンをコンピュータに入力すれば、心を持っているとしか思えないふるまいをするロボットを作ることは可能であると考えているようですが、これを阻んでいるのが上記の「フレーム問題」です。簡単に言ってしまえば数億通りの行動パターンや心理パターンを入力すれば……などと簡単にいうが、実際にそれらすべての情報量はとても莫大であり、とてもではないが、有限の処理能力しか持たないコンピュータにはそのすべてを状況に応じて的確に処理することは困難であるということです。
この「フレーム問題」について、非常に難しいと、東京大学の西垣教授もおっしゃっております。私などが説明するよりも、以下のリンクが参考になるかと思います。
http://www.nagano-cci.or.jp/tayori/706/ts.html
まあ、ここまで突っ込んだ話をするまでもなく、もともと人工知能自体が無理がある話なんですよ。もしそれができるというのであれば、現在の科学水準から言って、何らかの知的創造性に該当するものがとっくにできていてもおかしくはないはずなんです。しかし、いまだ人工知能に、それに類似するものさえ持たせることには成功していない。となれば、意識とは現在の科学とはまったく異なるアルゴリズムによる現象であると考えてもおかしくないと思います。
我々の体に無数に張り巡らされている神経細胞から脳に送られてくる情報量は毎秒1100万ビットにも上ります。しかし、この中で脳が常時処理しているのは、わずか毎秒50ビット(50万ではない!)なのです。これでは、この宇宙の姿はどうなっているとか、その真実の姿はどうやったって知り得るはずはありません。よくこちらでコメントを投稿していらっしゃるkazu様は、科学は自然界の1%も解明していないということをおっしゃっておりますが、実際には1%どころの騒ぎではなく、我々が知り得る情報は全体の20万分の1で、その中でもまだ未解明な部分があるというのが本当のところでしょう。
要するに、全情報のわずか20万分の1しか処理できず、あとは無意識となるわけですが、この無意識に関する領域は、おそらくコンピュータで再現するのは難しいだろうし、毎秒50ビットとはいえ、それでも「フレーム問題」なるものが持ち上がるほど、人間の行動パターンや心理パターンは多岐にわたっているわけです。こんなものをどうやってコンピュータで再現できるというのか。
まあ、科学者たちは、当分は「受動的意識仮説」や「脳中心論」「唯脳論」などにこだわり続けるでしょうが、いずれそれらの限界が来るのも、それほど遠くではないと思っております。
まずは、意識というのはコンピュータで再現できるものではないのだという現実から認めるべきかもしれません。もしかしたら、そこから唯物科学の崩壊が始まるかも知れません。そして、脳では意識は作れないという立証がされた時、完全に唯物科学は崩壊することでしょう。 科学者、合理主義者の狙いとして、この人工知能が完成すれば、やがて魂もしょせんは物質的なものにすぎないと強弁できるようになり、非科学的な迷信(魂など)はやがて風化していくということでしょうが、あくまでもそれは実現したらということですから。
投稿: +9 | 2009年8月16日 (日) 15時56分
山羊さん、こんにちは。いつもありがとうございます。はて、特定の人のことをこのインターネットラジオで話した覚えはありませんね。世の中は大きく動いていますから、同じような状況の人はたくさんいると思います。もしご質問とかありましたら、藤原事務所のほうにメールをいただければと思います。ますますのご活躍をお祈りしております。
+9さん、こんにちは。いつもありがとうございます。大変立派なご指摘をいただき、感謝申し上げます。人は言霊では霊が止まると書きます。ですから人の意思というのは実は人の外から来ているものなのですね。本当は人は俳優のようなもので、せりふも振り付けも外から行われているのです。ですから本当に人間らしいロボットを作ろうとしたら、それは天からの霊を受けてそれを行動に変換することができるラジコンカーみたいなものなのでしょうね。とても今のロボットの研究では人の足元にも及ばないだろうと思います。ただ、何とかとはさみは使いようで、ものすごく単純なことを繰り返すとか、構造が決まったシステムを運営するというようなことは逆に人より機械が得意ですからね。良い道具としては使い道があるのでしょう。量子物理学の時代ですから、古典物理学の原理で作られたアルゴリズムは、極めて限定的にしかこれからの世の中では使えないのだと思います。これからの展開が興味深いですね。本当にどうもありがとうございました。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 藤原直哉 拝
投稿: 藤原直哉 | 2009年8月16日 (日) 21時35分
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藤原先生こんばんは
今日も幅の広いお話を有難う御座いました。 自分の中の感覚が澄んで行く感じがします。
世の中の流れを単純に言うべきではないと思いますが、ラジオを聞いている時、個人的に
(今)
物が満たされたから→欲はいらない
経済が成長したから→競争はいらない
(未来)
他人と共感できるようになるから
→リーダーはいらない(みんながリーダー)
色々な人達がいたが、理解し合えるようになるので方向性が見出せる。
自然と調和し共生、発展できる。
と感じました。
そうなれば、メチャクチャいい社会ですね。 時代の転換点で色々見れて経験できて良い時に生まれたと思えます。
これもまた個人的な考えですが、先生しゃべりすぎないでください。 喉のこじれを長引かせると良くないと思います。 ご多忙からではないでしょうか? 講演などで、冷暖の変化が激しいのではないでしょうか?
喉の粘膜を大切にした方が直り易いと思います。 自分は、はちみつレモンを薄く、温めて飲んだり、生姜湯を飲んだりします。 アルコールやうがいのしすぎ、薬は控えた方が良いと思います。 後、マスクです。
これからもご指導宜しくお願い致します。
投稿: 儚 | 2009年8月11日 (火) 19時10分
儚さん、こんにちは。いつもありがとうございます。おっしゃるとおりだと思います。時代の大きな流れは既に出てきているようですね。
声のこと、ご心配をおかけしてすみません。たまにこういうことがあるのです。もう大分よくなりましたが、過労や声の出しすぎには気をつけたいと思います。なかなか暇がないし、全部自分でやらなければならないことも多くて実際気力と体力はかなり使います。何とかしなければと思っていますが、ま、時が解決するだろうと思っています。
どうぞ引続きご活躍下さい。ありがとうございます。
藤原直哉 拝
投稿: 藤原直哉 | 2009年8月11日 (火) 21時41分
藤原先生、こんにちは。
今回もすばらしいお話ありがとうございます。今、飛躍する発想が私たちに求められているのですね。先生のおっしゃられるとうり時代は動いて進んでいるのですから、発想が貧困というか皆無ですと、やってることは同じことの繰り返しで、グルグル回って落ちてゆくだけではないかと思いました。
先生は毎度放送の中で、人間の縁を大事にしなさいとおしゃられておりますね。また時間を作って新しいことにチャレンジしたり、本を読んだりしなさいと。実は、私は本と人の間にも縁があるのではないかと最近感じております。ある一冊を読んで心から感動すると、それこそ芋ズル式(先生のお言葉です)にどんどん読みたい本が現れてくる。書店、図書館に行った時いままで素通りしていたコーナーや分野に読みたい本が見つかる。ネットなどで探していた本が偶然見つかる。これは私が見つけているのではなくて、実際は本の方から私を見つけているのではないかなどど、あらぬ想像してしまいます(笑)。
今回の放送で、先生は30年前など古い本なども読むようにとおっしゃられていますが、これは最近まさに私がそう思っていることで、昔の人の考え方というのはなんと柔軟で、かえって現代人よりも発想や思想が進んでいたのではないかと目からウロコが落ちることもしばしばです。よく先人と書きますが、古い人という意味だけではなく、先に進んでいる人という意味も含まれているような気がします。
先生、だいぶお声の調子が戻られたようで安心いたしました。しかしながら、HPを見ますと先生の全国を飛び回る殺人的スケジュールが掲載されていてビックリいたしました。どうぞご自愛されてくださいませ。
失礼いたしました。
投稿: 狛犬くん | 2009年8月12日 (水) 16時23分
狛犬くんさん、こんにちは。いつもありがとうございます。いろいろとご心配、お気遣いいただきまして、まことにありがとうございます。おかげさまで声のほうは治ってきましたが、引き続き気力、体力の限界に挑戦する、といってはちょっと言いすぎですが、おかげさまで忙しい日々を過ごさせていただいております。ここはもう突破するしかない状況だと思います。
お話のこと、全くそのとおりと思います。本当に我々の周りにはいろいろな縁があって、その縁の先には思ってもみなかった世界が広がっています。この乱れた世の中は逆から見ればみんなが動いてきますから、縁によって新しい世界を広げる大チャンスでもあります。新しい世界から新しい世の中が作られていきます。本当にみなさんにそこのところを気付いて行動していただきたいと思いますね。
どうぞ狛犬さんもますますお元気にご活躍ください。
ありがとうございます。
藤原直哉 拝
投稿: 藤原直哉 | 2009年8月12日 (水) 23時19分
こんばんわ、はじめて書き込みます。僕は香川県在住の来年30歳になるサラリーマンです。
以前、たまたま本屋で手に取った本で藤原先生のことを知っていたのですが、先月からこのページのラジオをダウンロードして通勤中に車の中でよく聴くようになりました。
マスコミでは知ることのできない暗い真実もさることながら、未来に向けての行動指針など希望や勇気をもらっています。それにしても、こんな内容の濃い情報を密な間隔で無料で提供していただいていることに本当に驚くとともに感謝感謝です。
ところで藤原先生のこれまでの経歴を見ると元々はバリバリの競争社会ご出身と思われますが、現在のようなロハス的?な考え方を抱くようになった経緯などが載ったページや文献ってありますか?とても興味があります・・。
実は僕もある日「これからは自分で食糧を生産する知識が必要だ」と思い立って去年から自宅の隣の畑で野菜作りに挑戦しているのですが、雑草との戦いです。昔の人は大変だったんだなぁ、と肌身に感じながら夏野菜を収穫しつつ、これに妻の協力があればもっと楽しいのに、と思っています(愚痴です)。
もうすぐ選挙ですね。現在の無理やりムダを作って地球環境を破壊しながら経済成長していくやり方を改める時期が来ていると思います。そういう意味で、これを機に大きなチェンジが起こることを期待して楽しみにしています。
これからもいろんなお話を期待するとともに、ご活躍を讃岐の田舎から応援しております!ありがとうございました。
投稿: たなくに | 2009年8月13日 (木) 23時05分
藤原先生こんにちは、
藤原先生の番組へのコメントで対してのコメントではなくてもうしわけないのですが、上の書き込みの たなくに様 へのレスです。
私も食料の自給にむけてだいぶ前から実践していますが、これからの農においては、
雑草を敵と考えて戦ってはいけません。
雑草を敵と考えるから戦いが生まれ苦が生まれます。
もちろん藤原先生が小田原でやっておられるように、
完全に放棄されていた休耕地を再起させるときや、新規開墾するときには農地の
「相を変える」ために大エネルギーを投入しなければなりませんが、持続的な農生産のためには雑草や昆虫を含めた全ての環境を生かすことが大事です。
このあたり、奈良(三輪明神のふもと)の川口由一さんというかたの農法が非常に参考になります。検索されてください。
また、川口農法の実践者の一人として四国では徳島県阿波市で沖津一陽さんという方が、雑草を敵としない自然農の農園を積極的に展開されているようです。「一陽自然農園」で検索すればヒットします。
是非行って見て会って勉強されてください。
投稿: yupon | 2009年8月14日 (金) 07時45分
たなくにさん、こんにちは。いつもありがとうございます。いろいろと未来を模索しておられるようで、何よりと思います。yuponさんもアドバイスありがとうございます。農は本当に奥が深いですから、時間をかけつつ、しかし常に試行錯誤を繰り返していくことが大切なようです。
さて、私自身のことですが、ソロモンで金融工学の分析をしているときに、これは変だと思いました。それで書いた本が、共感・勇気・自然です。この中に今までの世の中の構造が大きく変わりそうだということが書かれています。その先になりますと、私の遠山郷に行こう!のブログにあります、歴史の彼岸、という小さな小説ですかね、そこに歴史の断層、時間の不連続ということが書いてあって、遠山郷のことが出てきます。そして、確か97年だったと思いますが、富貴の心、という本を出しました。このなかにははっきり農業のことが出てきます。そして数年前に出した、日本再生プログラム、という本ではさらに詳しく書かれています。何か今までの時代をそれなりに真剣に生きていたら、突然これはダメだ、続かないと気付いたというのが実態だったと思います。何事も極限まで一度やってみるとよくわかるのかもしれませんね(笑)。どうぞご参考にされてください。
四国は良いところですね。私も2ヶ月に一度は行っております。どうぞ引き続きお元気にご活躍ください。ありがとうございます。
藤原直哉 拝
投稿: 藤原直哉 | 2009年8月14日 (金) 09時08分
藤原様。最近の放送について聞きました。ときおり私のことについて語られているようですのでメール頂ければと思います。宜しくお願い致します。
投稿: 山羊 | 2009年8月15日 (土) 16時56分
以前、脳では心は作れないであろうということを言いましたが、今回はもうちょっと突っ込んで話を展開してみたいと思います。
例えば、「コンピュータは意識を持てるのか」
もしコンピュータが意識を持ち得て将来鉄腕アトムみたいなものができると仮定した場合、
1.心や意識は脳で作られており、その脳は物質で構成された分子機械である。したがって、それは物理法則の支配下にあるわけだから、それを解析して分子構造やエネルギー、運動量などを測定すれば、意識のデータを正確に把握し、数値化することもできるだろう。
2.現状のコンピュータを限りなく高性能化していくことで、人間の脳のプログラミングが可能となる。したがって、人間の脳内の神経細胞の仕組みをシミュレーションできれば、1.のデータをそのコンピュータに入力することで、人間と同じく意識を持ったコンピュータが生まれる。
まあ、大体がこんなところでしょうか。
しかし、これについては、私は無理じゃないかと思っております。
たとえば、将来地球の環境の動きをそっくりそのまま数値化、データ化して高性能化したコンピュータに保存できるようになった場合を想像してみればいいかと思います。それこそ、大気中の分子一個一個の動きなども正確に観測(あるいは、矛盾がないくらいに見えるレベルまで)し、それをコンピュータに入力する。
地震が起こったときを想定してみましょう。当然、その時の大気の流れに伴う分子の動き、あるいは熱量の変化、プレートの動きによるエネルギー量の変動などをすべてコンピュータにインプットしてみると、確かにこの地震がどの程度の規模かとか、どういったデータを数値化して整理することはできます。
ですが、まさかこの数値データをコンピュータに入力したことで、コンピュータ内部で本物の地震が起こっているとはだれも考えないし、それは現に絶対にあり得ないことです。
要するに、ある事象において観測できる数値データを仮にコンピュータに入力し、計算させてみたとしても、その事象まではコンピュータでは決して再現できないということです。
上の事例ではただ地震による「変動など」を数値化しているだけなのです。しかし、いくら数値が正確であったとしても、コンピュータ内には地震を再現する機能なんてありませんし、たとえどれだけコンピュータの性能が上がっても、それは不可能です。
しかし、なぜか人工意識の世界だと、コンピュータに脳の数値データを入れ込むだけで、人と全く同じ思考ができるロボットが作れることになってしまっている。あるいは人間の意識をコピーできると考えている。
地震のシミュレーションをコンピュータ内で数値データ化しても、実際にコンピュータ内部で地震が起こっているわけではないが、脳内の数値データをコンピュータに入力すると、なぜかコンピュータは意識を持ち得ることになっております。
これはさすがに錯覚だと思います。確かに、将来的には人間の脳内の数値データをそっくりそのままコンピュータに移植することはできます。意識の数値化された部分だけをコピーするというわけです。しかし、我々にできるのはせいぜいそこまでだと思います。たぶん、コンピュータはただ数値を表示し続けるだけの匡体であり、実際に意識を持って人間と見分けがつかない行動をとるということはないと思います。
おそらく、脳から意識、心だけを抽出して何か別のものに移植するとか、そういうことはできないのではないかと思います。脳と意識、心はおそらくはこの現世においては不可分な存在であり(あえて現世と書きましたが、今のところ、死後の領域については考察を省かせていただきます)どちらか一方だけを切り離して考えるというのは、上記の部分からも不可能であると思います。
では、「フレーム問題」はどうでしょう。果たして乗り越えられるのか。
人工知能ができると主張する方々には、数億通りある人間の行動パターンと心理パターンをコンピュータに入力すれば、心を持っているとしか思えないふるまいをするロボットを作ることは可能であると考えているようですが、これを阻んでいるのが上記の「フレーム問題」です。簡単に言ってしまえば数億通りの行動パターンや心理パターンを入力すれば……などと簡単にいうが、実際にそれらすべての情報量はとても莫大であり、とてもではないが、有限の処理能力しか持たないコンピュータにはそのすべてを状況に応じて的確に処理することは困難であるということです。
この「フレーム問題」について、非常に難しいと、東京大学の西垣教授もおっしゃっております。私などが説明するよりも、以下のリンクが参考になるかと思います。
http://www.nagano-cci.or.jp/tayori/706/ts.html
まあ、ここまで突っ込んだ話をするまでもなく、もともと人工知能自体が無理がある話なんですよ。もしそれができるというのであれば、現在の科学水準から言って、何らかの知的創造性に該当するものがとっくにできていてもおかしくはないはずなんです。しかし、いまだ人工知能に、それに類似するものさえ持たせることには成功していない。となれば、意識とは現在の科学とはまったく異なるアルゴリズムによる現象であると考えてもおかしくないと思います。
我々の体に無数に張り巡らされている神経細胞から脳に送られてくる情報量は毎秒1100万ビットにも上ります。しかし、この中で脳が常時処理しているのは、わずか毎秒50ビット(50万ではない!)なのです。これでは、この宇宙の姿はどうなっているとか、その真実の姿はどうやったって知り得るはずはありません。よくこちらでコメントを投稿していらっしゃるkazu様は、科学は自然界の1%も解明していないということをおっしゃっておりますが、実際には1%どころの騒ぎではなく、我々が知り得る情報は全体の20万分の1で、その中でもまだ未解明な部分があるというのが本当のところでしょう。
要するに、全情報のわずか20万分の1しか処理できず、あとは無意識となるわけですが、この無意識に関する領域は、おそらくコンピュータで再現するのは難しいだろうし、毎秒50ビットとはいえ、それでも「フレーム問題」なるものが持ち上がるほど、人間の行動パターンや心理パターンは多岐にわたっているわけです。こんなものをどうやってコンピュータで再現できるというのか。
まあ、科学者たちは、当分は「受動的意識仮説」や「脳中心論」「唯脳論」などにこだわり続けるでしょうが、いずれそれらの限界が来るのも、それほど遠くではないと思っております。
まずは、意識というのはコンピュータで再現できるものではないのだという現実から認めるべきかもしれません。もしかしたら、そこから唯物科学の崩壊が始まるかも知れません。そして、脳では意識は作れないという立証がされた時、完全に唯物科学は崩壊することでしょう。
科学者、合理主義者の狙いとして、この人工知能が完成すれば、やがて魂もしょせんは物質的なものにすぎないと強弁できるようになり、非科学的な迷信(魂など)はやがて風化していくということでしょうが、あくまでもそれは実現したらということですから。
投稿: +9 | 2009年8月16日 (日) 15時56分
山羊さん、こんにちは。いつもありがとうございます。はて、特定の人のことをこのインターネットラジオで話した覚えはありませんね。世の中は大きく動いていますから、同じような状況の人はたくさんいると思います。もしご質問とかありましたら、藤原事務所のほうにメールをいただければと思います。ますますのご活躍をお祈りしております。
+9さん、こんにちは。いつもありがとうございます。大変立派なご指摘をいただき、感謝申し上げます。人は言霊では霊が止まると書きます。ですから人の意思というのは実は人の外から来ているものなのですね。本当は人は俳優のようなもので、せりふも振り付けも外から行われているのです。ですから本当に人間らしいロボットを作ろうとしたら、それは天からの霊を受けてそれを行動に変換することができるラジコンカーみたいなものなのでしょうね。とても今のロボットの研究では人の足元にも及ばないだろうと思います。ただ、何とかとはさみは使いようで、ものすごく単純なことを繰り返すとか、構造が決まったシステムを運営するというようなことは逆に人より機械が得意ですからね。良い道具としては使い道があるのでしょう。量子物理学の時代ですから、古典物理学の原理で作られたアルゴリズムは、極めて限定的にしかこれからの世の中では使えないのだと思います。これからの展開が興味深いですね。本当にどうもありがとうございました。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
藤原直哉 拝
投稿: 藤原直哉 | 2009年8月16日 (日) 21時35分