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2009年7月23日 (木)

藤原事務所の「ロハスで愉快な仲間たち」2009年7月23日 長谷川孝、加藤大善、中島しず花 農作業の効果

農作業の効果

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コメント

大善くん、中島さん、こんにちは。ラジオ楽しく聴きました。私も最近はさっぱり農園にいけなくなって、また体重が増えてきたような気がしています(笑)。今日は大阪に来ています。明日はまた東京に戻り、土日は遠山です。あちこち行くとどうしても食生活が乱れて、体重が増えますね。体調も気をつけないといけませんね。中島さんもよく気をつけてください。

大善君、今度は君が司会をするのですよ(大笑)。自律神経失調にならないようにね(大笑)!

大善くん、中島さん、ひとつおもしろいことを教えてあげましょう。神様って、いないと思っていると、突然ガッツーんと、ここにいますよ、って思いっきり教えられますよ。ぶったまげますよ。こんな小さい荒れたお宮に何もいないだろうと思ったら大間違い、ということが多々ありますね。経験するとわかりますよ。そして本当のそういう経験って、人に説明できませんからね。なかなか話が広がらないのです。でもそういう経験をすることはよくありますよ。信じる信じないではなくて、感じるか感じないか、それが神あるいは仏というものではないかと思います。それはラジオで言えば電源が入っているかいないか、入っているとしても周波数が合っているかいないか、さらに音量が適切に調整されていて、小さすぎて、あるいは大きすぎて聞き取れない状態になっているか、あるいはちゃんと聞き取れる状態になっているか、その辺の差ではないかと思います。私も無線をやりますが、無線はね、送信よりも受信が大切なのです。よく受信できるかどうか、聞き取れるかどうかが無線家の腕前なのです。このあたり、人と神仏の関係によく似ていると思います。

長谷川君も、成長しましたね(大笑)。

藤原直哉 拝

投稿: 藤原直哉 | 2009年7月23日 (木) 22時28分

追加です。たまたまパソコンに2005年にどこかに投稿した文章が残っていました。ご参考まで。

藤原直哉 拝

団塊の世代と精神世界

 内外の政治経済情勢は引き続き緊張が続いていますが、日本では団塊の世代の方々がこれから10年間にいよいよ現役を引退し、年金をもらい始める時期を迎えます。しかし残念なことに財政、年金、医療保険、介護保険制度は実質的に破綻状況にあるところが多く、今まで暗黙のうちに約束されてきたとおりの生活を国家が保障できない状況が次第に明らかになりつつあります。そういう状態にいち早く気づいた人々は政府が信用できないとして自分で年金資産を運用したり、海外に移住したり、あるいは今までのライフスタイルをすっかり変えて、山村の生活に第二の人生を見出したり、さらには精神世界のことを含めてあらゆる分野の勉強にわき目もふらずに没頭したりと、みなさんそれぞれに未来の自分をイメージしながら模索をしておられます。それはちょうど20世紀に敷かれた人生のレールが、いよいよ第二の人生、そしてその後の死を直視しなければならない時期にさしかかったときに突然途切れてしまって、当惑し、狼狽しているという感じであり、全体としては決して明るい雰囲気になっていません。筆者はそういう団塊の世代の方々の様子を見ていてひとつ気になることがあるのです。それは、もしかしたら、団塊の世代の方々の多くは、人生を生きる意味や死の意味について、未だ得心しておられないのではないかということです。人生は四十歳で不惑と言いますが、もしかしたら団塊の世代の方々の多くは、年齢が60歳、還暦にさしかかっているにもかかわらず、未だ生きることや死ぬことの意味についてご自身なりの納得を得られずに、精神的に追い詰められた状況になりつつあるのではないかということです。
 当たり前だと言えばそれまでですし、異常だと言ってもそのとおりですが、今の時代、人は生死の意味を考えなくても、結構普通に生きていくことができるものです。思想信条の自由と信教の自由は憲法で保障されていますから、行動や形として時代の流行に従っていけば、面白おかしく、しかし時にはセンチメンタルになりながら、死の瞬間まであまり難しいことを考えずに生きていくことができる環境が整っています。特に団塊の世代の方々が歩んでこられた時代は、科学、合理性に対する価値が非常に高められた時代であり、社会で暗黙のうちに大流行した科学万能主義、効率万能主義、個性よりも集団の重視という価値観からはみ出して行動することが、大変勇気の要ることだったようです。ですから、今まで、自分たちの生死の意味について、世代全体としては決して合意を見ているような様子はなく、むしろ死と直面する時期を迎えて一人一人がばらばらに狼狽し、ありとあらゆる手段でご自身の不安感を払拭しようと、もがいておられるように見えるのです。筆者のように団塊の世代の後に続く世代は、これまで、学園紛争でも株式バブルでも、いつも団塊の世代が「大暴れ」してできた「土煙」がまだ鎮まらないところを追いかけていくという感じで、今度はいよいよ精神世界の問題をめぐって「大暴れ」されるところをすぐ後ろから「拝見」し、否応なくその「土煙」の中に入っていかざるを得ないのではないか、という感じを強く持つのです。

 これはお互いにとって非常に不幸なことであり、特に団塊の世代の方々がこのまま生死の問題に納得を得られずに老年期に入っていかれたら、日本の社会は実に凄惨なことになるのではないでしょうか。人生、還暦を迎えてもなお自分の生死について自分なりの納得が得られないとは実に情けない、と言ってしまうことは簡単です。しかし今の日本にとって大事なことは、団塊の世代の方々にどうやったらご自身の生死の意味を理解していただけるかということであり、20世紀のレールが途切れた21世紀の世界を安心して生きていただくために、どうやったら新しい精神世界の境地を団塊の世代の方々に開いていただけるかということなのです。
 この点に関して、宗教家の責任は非常に重大だといわざるを得ません。そもそも教育というのは、それがどんなにすばらしい内容であっても、相手が理解し、納得してくれてはじめて意味を持つものです。あるはもっと踏み込んで言えば、教育の成果とは教育によってその人の人生が本当に向上したかどうかで測定すべきであり、学校で先生が言ったこと、書いたことをどれだけ記憶しているかということは、問題の本質ではありません。筆者は今、日本には精神世界に携わる人々の、そして宗教家のニューディール(新規まき直し)が必要だと思います。本当の真実を悟った人は、世の中の森羅万象すべてをいかようにも、自由自在に説明できるはずです。あるいは未だ迷っている人々が悩んでいる場面がどこであろうとも、そこに自分をおいて、そこから一緒に真実の道へと共に歩んでいくことができるはずです。真実がわかっていればあらゆる人にあらゆる説き方ができるはずであり、どんな人にも至高者の光や熱を感じてもらうことができるはずです。今、時代はそいう精神世界の専門家、宗教家を求めているのです。
 団塊の世代の人たちの焦燥感は政治経済情勢の逼迫と共に急激に高まりつつあるのを実感します。この、みろくの世への最後の扉を開くのは、やはり精神世界の専門家、宗教家の仕事なのではないでしょうか。

投稿: 藤原直哉 | 2009年7月23日 (木) 23時00分

藤原先生
いつもありがとうございます!
司会のおつとめができるように鍛錬いたします。

投稿: 加藤大善 | 2009年7月24日 (金) 08時23分

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