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2009年7月28日 (火)

藤原直哉の「日本と世界にひとこと」 2009年7月28日 世界中カネがない

世界中カネがない

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コメント

こんにちは藤原様、弥勒の世はマネーが必要なのでしょうか?

銀行の疑問に答えて頂く形で、お話をして頂き光栄に存じます。

金で世を治めて、金で潰して、地固めしてみろくの世と致すのぢゃ。(黄金の巻・第59帖)
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/hifumi0201.html

この言葉が、余りにも見事であったため先の世界の事を予習しようと現在の状況を見てみると妙な疑問が沢山湧いてきた訳です。

日本の伝統芸能として「一揆」「打ち壊し」がありますが、何故起きないのか?それは、人が介入するのではなく神が直接手を下されているために伝統芸能を行う必要がない。

今の時代は歴史上希に見る大変化の真っ最中という事を強く感じています。

弥勒の世。此処で生きて行ける人間は限られるのでしょう。金利という妙な物が無くなるのではないかと思います。金利に群がる寄生虫の住める世の中ではないが、金利の代わりに成果を広く分配する事が一般的になるのではないでしょうか?

考古学の話では、人間という動物が集団で獲物を狩り仲間で分けて食べていたそうです。その習慣は祭りの振舞酒や野菜のおすそ分け等々、取り敢えずはマネーが絡まない風習として今も生きていますね。

工業製品などでも必要な人に赤字に成らない価格で譲ったり、相手の成長を願い無償で提供したりする事があります。(相手からも頂く事があるからですが)

その仲間から排除される人は例外なく自分の利益しか考えない人。利己的な人は弥勒の世には相応しくないのでしょう。

弥勒の世に生きるためには、捨てなければ成らない物が在ります。一言で言えば利権でしょうか?

銀行の特権、エネルギー利権、食料利権。共通点は人の弱みに漬け込む商売?赤字に成らず翌年も提供するための費用を考慮した価格で世間に配る。

時々、大きなお金が必要に成るので貯めるか借りるか。金利ではなくて社会還元を求められる。

私がイメージする弥勒の世の経済活動ですが、どうなるかは全く解りません。成果だけを求めて来る虫もいるでしょうが、長続きできなくて場所を変えて同じ事をしても改心しないと先がない。

何だか、そんな感じがするのですが、どうなります事やら・・・・・

水道が止められて色々な事が解りました。湯田屋としては水利権を狙っていると思うのですが、先ずは料金徴収の業務委託で食い込んでいるようですね。自分で考えても仕方がないと思う職員か何も考えない職員のようです。文書で証拠を確保しましたので、暇に任せて突いてみます。

東京地検の痴漢捏造事件、植草さんだけでなくSPなど政治の要となる人も絡んでいました。この研に関して「公共の信頼喪失」に発展したら面倒だなと思っていますが、思った通りの方向に進んでいるようですね。

自販機で「たばこ」を買うと行動が警察に監視されているそうです。他にもETC等の電子カードが全て個人監視に使われているようです。

ワンワールドオーダーの手段として、登録しなければ(監視されなければ)経済活動に参加できない状態を構築している輩も居るようですね。

ま・神様が行っているようですので手出し無用なのですが・・・何だか不安もありますね。


投稿: kazu | 2009年7月29日 (水) 01時23分

藤原直哉のインターネット放送局をお聞きのみなさん、
こんにちは。
藤原事務所の大谷賢司です。

最近のコメント欄も、たいへんな盛り上がりで、
いつも拝見させております。

さて、現在、藤原は出張中です。

藤原直哉の「日本と世界にひとこと」及び、
藤原直哉の「21世紀はみんながリーダー」にも多くのコメントをいただいております。

藤原より、現在、出張のため、みなさんのコメントにすぐにお返しできない環境でありますが、すべてのメールを拝読しております。また、出張より戻りましたら、ご返事などさせていただきたいと思います。

よろしくお願いいたします。

ということづてを受けました。

しばらくの間ですが、藤原からのコメントですが、どうか、ご容赦していただけたらと、存じます。

今後とも、藤原直哉のインターネット放送局をよろしくお願いいたします。


投稿: 大谷賢司 | 2009年7月29日 (水) 17時21分

「カネがない」という今回のお話は、だれもが今ひしひしと実感せざるをえない状況にある問題だと思います。私のように農家を自営している者でもそれは同じで、この夏、消費者金融でも貸出し総量規制政策がはじめられたそうで、すでに強制的な貸出し枠の引き下げ策が始まっていますし、先に借りてあったカネも返済を求められる一方ですから、都市部の給与生活者はもちろん、農村部でも大変です。本来は、経済の血流であるカネがキチンと回っていて当たり前なのに、それが出来ていない、本当に困った夏になったものだと思います。
おカネがもう絶対量として不足する状態になって来た実感がありましたが、今回の藤原さんのお話でも「経済にお金が正常に回っていない」とあり、経済が回っていくために血流のように必要な資金までが「金融システムの中で寝て」いるとのことです。それでは経済が回りませんから、本当に困りますが、よくもまあ、国も地方もそんな困った経済政策を続けていられるものだなと思います。日本だけでなく世界中どこも似た状態であるとのお話なので、なぜか「みんな同じか」と一安心もしますが。

「サーベラス訴訟」のお話も驚きますが、他の方がふれている「たばこ自販機用IDカード」(タスポという)の情報が国民を「監視」するのに利用されていたという最近の報道も仰天情報です。私はタバコも吸わないし高速道路もほとんど使わないので助かったようですが(?)、「タバコ自販機にはタスポカードが必要だ」などと申し込み用紙を書かせて来たこの数年、それにのせた個人情報が実は国に悪用されていたというのだから、タスポやETCなる代物が導入された当時から隠されて来た問題ではないか?とも思います。藤原さんがずっと話しているように、今まで隠されていた真実がどんどん出て来る、そんな状況になっている気もします。東ドイツが崩壊した後に東ドイツ政府の秘密警察が何をしていたかが暴露された、という話も「まったく、その通り」と苦笑しましたが、まだ総選挙は公式には公示されていない今でも、選挙結果とは別に、もう「立て替え」という儀式が始まりつつある気がしてきます。

あいにくの雨にもかかわらず、土日に開かれた遠山郷の7月の休日は盛況だったようです。農家を営んでいれば土日だから休みということはありませんが、この日曜は、なんとなく思い出した2004年のドイツ映画「ヒトラー・最期の12日間」をDVDで鑑賞しました。今の自公政府が、この映画に出て来るヒトラーの最後の日々と同じなどというつもりではなく(笑)、何となくこれを選んだのですが、最後の12日間にヒトラーとベルリンの最高司令部が、まともな指揮命令もしておらず、内部対立を続けながら混乱に混乱を重ねて「没落」していったように思われます。その一方で、一般のベルリン市民は無為に戦死したり怪しい「治安」部隊に殺害されていったという、本当の末期状態が描かれていました。
これで思い出したのですが、この映画の日本版とDVDで登場シーンが削除されている人物で、ヨハネス・ヘンチェルという設備管理の責任者がいたのを思い出しました。ドイツで上映したバージョンには登場しているようですが、日本版は映画の最後に「彼らのその後」に顔が出るだけです。そんな地味な「裏方」の仕事をしていた人物のおかげで、地下壕も設備全体が動いていたわけですし、戦闘の終了後、もぬけのカラになったヒトラーの地下壕でヒトラーもゲッベルスも自殺してしまったと分かって来たのも、この人物が管理の仕事を続けていたおかげとのことです。色んな解説を読むと、地上にあった病院の電力が必要なので、地下壕の設備も維持していたそうですが、新しいDVDではその削除分を含む総180分のバージョンも出たそうです。

この男と同じだと思いますが、今の日本の状況のように、政治的混乱が続く国にも、裏方というか縁の下というか、必ず舞台全体が存続できるよう働き続けている人間が必要です。つまり、少なくとも経済がキチンと回っているよう、政府の関連機関は正しい政策を取っている必要があるはずなのですが、私も実感している運転資金の絶対量すら不足している現在の日本の「金欠病」(藤原さんの言う)は大変な問題です。経済は、政治の混乱とは関係なく、血液が生命維持のために必要なように、おカネを常に正常に回していないといけないわけですから、今「世界中カネがない」という状況なのは本当に困ったものです。金融業界ばかりでなく、官僚も政治家もそれが出来ないのか、とまったく情けなく思います。
この映画は、史実との相違点もいろいろ指摘された作品ではありますが、今のような時節はいたずらに盲動するとヒトラーやゲッベルスのように自殺して終わりそうなので(笑)、じっくりと構えておく必要もありそうです。経済が停滞するにつれ、時間だけは余って来そうなので、今はまだ観てなかったDVDの良作映画でもじっくり観て、英気を養うというのが賢明な処世術かもしれません。

ちょっと余計な閑話休題を書かせていただくと、この映画が日本公開されたのは2005年夏でしたが、主役(ヒトラーの女性秘書)を演じたドイツの女優さんの次の出演作がその10月末に公開されていて、実はその作品は日本ロケも行った物でした。そのタイトルは、グリム童話から取ったとのことで、「漁師と妻 Der Fischer und seine Frau」という映画ですが、実際は漁師は出てきません。この女優さんは、ルーマニア系ドイツ人のアレクサンドラ・マリア・ララさんで、「12日間」を観た人なら誰もが思い出せると思います。
問題の新作映画は、舞台の一部というか、暗喩というのか、それが日本だったので、その設定が非合法(?)だと見なされたのか(笑)、良作映画なのにこの作品は日本未公開のままであり、今もDVDなどソフト発売はありません。この作品には、日本の宝くじ売り場などで盛んに利用されている「招き猫」がモチーフの一つとして登場しましたし、それがグリム童話の主題でもあった戒めの対象ともなって行くため、今の日本人のように寛容さが欠けて来た状態にある国民性だと、目くじらをたてる向きもなきにしもあらずかな、と思います。招き猫は、決しておカネだけの目的ではなく、病気よけなどの意味もあると言いますが。
良く利用されているオンライン百科のウィキペディアで「招き猫」を調べると、ドイツ語版にも「マネキネコ」の項目があるのが分かりますが、ドイツ語版「マネキネコ」はこの映画のページにもリンクを設けていて興味深いと思います。

この作品は、ドイツからDVDをネット通販でもしないと観れませんが、ドイツ語が分からない私が色んな解説を読んで理解したところでは、このストーリ-は、グリム童話にある元のお話に似て、欲の深い女房がすべてをダメにしてしまう、という寓話を現代風にアレンジしたものだそうです。ただし、最後にその破綻を救うのが愛、という物語のようです。私は、一度だけこの作品をドイツ旅行中に観たのですが、ご参考までにそのアラスジだけご紹介したいと思います。
まず、ドイツから来て日本の田舎(新潟が前後に2回出て来ました)をバックパッカー旅行している若い女性旅行者が、同じくドイツから日本に来てサカナの獣医をしている男性二人と知り合います。その一人と日本で日本式の結婚式をあげます。新婚旅行のシーンは海辺に立てた小さなテントですが、美しいシーンです。3人はドイツに帰り、彼女はニシキゴイの模様をデザインに生かしたデザイナーとなり、いちやくリッチになるが、そのためサカナの医者を続ける夫や小さな子供との仲にもスキマが出来てしまいます。やがて、ちょっとした問題から自分のビジネスも破綻して無一文に戻ってしまう。しかし、無一文に戻ったところから、夫や自分の両親との関係も、また新しくやり直して行く。ざっとハショると、そんな物語でした。

日本映画にも色んな良作が出ていますが、海の彼方にもこんな良作があるのだから、日本の映画業界もこういう良作の日本公開は「合法化」(笑)してほしかった、とつくづく思います。この作品も元になったと言うグリム童話も、強欲が原因で今の日本と世界が直面することとなった経済破綻の問題をすでに語ってもいたと思いますし、今それをどうやって乗り越えていくのか、その点を中心に語られている物語です。力を合わせて乗り越えて行くしかない、というラストになるわけですが、これはかねて藤原さんが話しているテーマともあい通じるものがあると思います。
「マネキネコ」は、日本に来て日本文化にカブれて自国に帰ってリッチになるこの若いドイツ女性のお気に入りアイテムとして登場しており、彼女がリッチになれば彼女の招き猫も大型の物になって行く、という形で映画のストーリーと共にずっと登場します。もこの作品を観た時、私も、ああこれは「カネがすべて」という今の日本文化やそれに感化されたドイツ人の若者に警鐘をならすような寓意があるのかな、と感じました。

その秋、私はたまたまベルリンなどドイツの大都市を旅行しており、ホテルの自室にあるテレビでこの映画のトレーラーが放送されていたので、この作品を観に行きました。トレーラーやポスターには、「日の丸」にも見える模様のニシキゴイや東京都心の映像が出ていましたが、どこかの「検閲官」(?)がそれを「日本批判の風味」があると見なせば、今のようなギスギスした時代ですし、たしかに「最後の12日間」で国際的女優となった女優さんの作品であっても、日本未公開にされてしまったのかも知れません(笑)。
それは冗談としても、日本の映画館は大人一人の入館料が1800円もするため、日本人は映画館に集う文化すら失ってしまったようです。ハリウッド映画以外は、良作の映画でも、日本で公開するのはビジネス的に困難なのかもしれません。
旅行先のベルリンで入ったのは、ごく新しい映画館でしたが、アメリカ大陸でもヨーロッパでも、映画は今も安く楽しめる娯楽のようです。私の入館料は、平日だったので5ユーロくらいでした(1ユーロを両替すると約140円の当時)し、これは日本の映画料金の半分~三分の1近い価格ということになります。平日でなく、金曜~日曜の料金でも、日本には及ばない安いレベルのようですから、同じ映画先進国であるはずの日本の同業者には再考をお願いしたい問題でしょう。

そういえば、日本の場合は、タバコだけでなく、映画館のドリンクも自販機から缶コーヒー類を買う時代になってしまいましたが、私がドイツで入った最新の映画館ですら、チケットだけでなく、ドリンクやアイスクリームのたぐいは人間のスタッフが販売する態勢だったのを思い出します。日本のタバコ自販機カードで、実は個人情報の悪用が起きていたなどというのは、何でも自販機にすれば良い、という日本の世相に対する皮肉なのかもしれません。
私も、普段はそれほど映画を観に行かないのですが、家庭で一人か数人でDVDを観るのでなく、映画館(シネマ)に集うという点に、映画の文化的な重みがあるようです。これは、藤原さんが言う、人が「ヨコにつながる」ということが持つ今後の社会の重要な意味合いでもあります。映画館の料金が高い問題も含め、シネマに集まって映画を観るという文化の意味は、今の日本人と関連業界も良く考えて行く必要がある問題のようです。

投稿: ミスター奇遇 | 2009年7月29日 (水) 20時09分

みなさん、こんにちは。藤原直哉です。みなさんそれぞれに迫力のある書き込みをありがとうございます。

結局今回の混乱でロックフェラーもロスチャイルドも崩壊し、米国はもちろん欧州の世界支配も倒壊するのだろうと思います。これははものすごい変化であり、彼らが今やっている世界大での監視社会もバベルの塔のように崩壊すると思います。何事も極端まで振れてから反対に行く、そんな感じですね。今年から来年が国内外のシステムの大きな転機になりそうですね。はたして、そういう転機を乗り越えて日本の政治が機能できるのかどうか・・・。

とにかく元気の良い人が先頭を走るしかありません。明るく温かく、和解の気持ちと行動で未来を拓く、これが立て直し=再建ですね。立て替え=破壊は神の仕事ですから一瞬のできごとであり、とめることは出来ません。しかし世の中のシステムでも、人間関係でも友情でも、人は自分の力で立て直し=再建することができます。みんなそれぞれにこの大混乱の中で被害者であり加害者でもあります。もう一度そういう過去を乗り越えて、人間関係と友情を立て直すときだと思います。そこから新しい仕事と新しい家族、組織、国、世界が生まれていきます。

どうぞみなさん引き続きご活躍ください。

藤原直哉 拝

投稿: 藤原直哉 | 2009年7月30日 (木) 06時44分

我々加害者であり被害者その真意がつかめているかどうか不安ですが...。
敗戦後気になる光景に出逢ったときにふと立ち止まって、想いました
当時職人さんたちのてになるすばらしい家具が燃やされていました。新しくベニヤ板のかぐを購入したとかで。
この辺りの時代、私はまだ十代でした。わたしはとくにこれをしよう。と決めていた訳ではなかったのですが、日本に伝えられている伝統の何かを自分の仕事にしたい。そんなわたしにはこの出来事は今も忘れられないでいます。家具だけではなくいろんな工芸品が世の中にはいらなくなる、そのように私にいっているように想えました。
へそまがりの私は
ならばこそよけいに自分は反対にそのような職で生きてやろうとおもい
陶芸の仕事で今日まで生きてきました。あるとき家を建てることになり、大工さん左官屋さんたちとの会話の中でまたまた考えさせられました当時わたしのいた30万くらいの町でとびきり腕のいい左官が工務店の倉庫番をしているとのことでした。
日本文化を築いた腕の良い職人たちがもはやいらなくなったのか。とても寂しい思い出です。加えて阪神淡路の震災、人々の見る目美意識どんどんすさんでいきました。極めつけはこういった人身に油を注ぐ子イヅミ政権 いま伝統と名のつく仕事は瀕死の状態です
日本文化を代表する日本料理も金の亡者によってはちゃめちゃに....。
わたしの居る周りの人達話題はテレビ、老いも若きもテレビを神様のようにありがたがるそのテレビこそが虚像、あかまみれの伝統なんてくそくらえですが、本当に日本民族にとって大切なものはあります。次の時代を生きる人達に伝えていかなければならない技術もたくさんあります
若者よ誇りをもて 藤原さんの言われるようになにをするかの前に誰に学ぶかだれと生きるかが大切だとわたしもおもいます

投稿: 杉原大路 | 2009年7月30日 (木) 09時21分

私は最近米国の東部から南部あたりへの出張が多いのですが、実際に現地へ行くとアメリカの底力がみえます。
農地はいくらでもあるし、山には豊富に木材があるし、放牧地には手間をかけずに放牧できているし、産炭地へ行くと綺麗に層状になった炭層があるし、工業では化学工業のような高度研究開発力と装置による量産が可能な産業は相当競争力があるし、等等。
アメリカという国は、変な事をしなければ楽に生きて行けるとおもいますが、どうでしょうか?
それと比較すると日本や中国は大変ですね。

投稿: ^m^ | 2009年7月30日 (木) 11時38分

杉原大路さん、^m^さん、こんにちは。いつもありがとうございます。時代が歪むとどんなにまともな人でも罪を犯してしまうのです。それで被害者であり加害者だということになります。杉原さんのご指摘は本当に心に沁みますね。そうですね、ここで戦後の狂った時代を元に戻さないといけませんね。それはやはり狂った時代の前を知っている人が動かないとできないことなのでしょう。狂った時代に生まれ育つと、時代の歪みそのものに気がつきませんからね。ここは私も気張っていかなければならないと思っています。少なくとも30年ぐらい前の常識にはすぐにでも戻したい思います。

^m^んの米国のご指摘、私もよくわかります。しかし過去30年の米国はそうした米国本来の良さを全部忘れたかのように世界支配とマネー、そして軍事だけで動かそうとしてきたかのようです。どうして米国に眠るこれだけの資源と個性豊かな人達の個の花を咲かせようとしないのか、そのほうが不思議に思います。やはりウォール街とペンタゴンを失って、大草原の小さな家からやり直したとき、米国は蘇るのでしょう。日本は人口の増加が止まっていますから、まだ何とかなりそうです。問題は中国ですね。あの国は40年前に一度終ってしまって、30年前に人工的に作り直した国ですからね。人口も多すぎるし、一体どうなるのか、見当もつきません。

引き続き出張中で更新が不安定で申し訳ありません。いつも皆さんの貴重なご意見を伺って、私もそうだ、そうだと本当に思っているのです。どうぞみなさん、ますますご活躍ください。ありがとうございます。

藤原直哉 拝

投稿: 藤原直哉 | 2009年7月30日 (木) 19時35分

出張ご苦労様です、実は私は先週末に中国から戻ったところです、
ごく一般的な精度の少量生産の機械部品は、価格でも納期でも、日本は中国に全く歯が立たないです。
よく言われますが、大企業は工員もマニュアル通りに動く機械の一部にすることで、工員を派遣労働者で代替可能にしてきたからでしょう、自動車産業などはそれでよいのでしょうが、汎用(NC)工作機械を使った仕事は熟練が要るので派遣労働者では難しいです。
中国の職人さんは、良く勉強しています、本屋さんにも職人向けの結構難しい技術書が山積みになっています。
優秀な工場では、機械設備も随分よくなっていますし、日本の会社が輸出規制されている高精度の機械はドイツなどが穴埋めしています。
日本がまだ競争力のある分野は手足を縛られているということです。

投稿: ^m^ | 2009年7月30日 (木) 22時32分

^m^ さん、こんにちは。いつもありがとうございます。そうですか。中国にお出かけでしたか。日本の製造業も中身がだいぶ衰退しましたね。新たな価値の創造にもっとダイナミズムを持たないと中国をはじめとした新興国に追いつかれるのは時間の問題です。昭和39年に世界で初めて新幹線を開業させたのは日本ですが、今では世界で最高速の営業運転をしてるのは確か中国だと思います。

日本は20世紀のインフラを抜け出して21世紀の新しいインフラに作り直すべきですね。そして製造業を含めてすべての産業を21世紀の新しい時代に向けて再編成すべきですね。そうしないと新しいダイナミズムは出てこないと思います。むなしく時間だけが過ぎていくだけもったいないですね。

どうぞ引き続きご活躍ください。ありがとうございます。

藤原直哉 拝

投稿: 藤原直哉 | 2009年7月31日 (金) 05時29分

 今日バンキシャでやっていたのですが、農業というのも、ただ拡大すればいいというわけではないようですね。ただ拡大しただけ、農地を広げただけでは利益にならないと報道しておりました。

 これは、ある意味資本主義のシステムとは異なっているような気がいたしますね。資本主義においては、まず拡大路線こそがありきで、少しでも上を目指し、いかに自分の組織を大きくしていくかに重点が置かれていたような気がします。

 もちろん、農業にも競争はありますが、それは従来の「他社との競争」というよりは、「いかに地域住民や顧客を満足させられるか」に重点を置いた「地域、顧客一体型の競争」になりつつあると考えてもいいのでしょうか?

 私は農業については全くの素人なので、この程度のことしかわかりませんが、今までの拡大、拡張主義的なやり方、弱肉強食では農業における「新しい形の競争」には対応していけないような気がいたします。

投稿: +9 | 2009年8月 2日 (日) 21時44分

+9さん、こんにちは。いつもありがとうございます。農業についてまことにおっしゃるとおりです。この分野については06年の7月に行った対談がとても参考になると思います。

http://naoyafujiwara.cocolog-nifty.com/ipodcasting/2007/02/2007_7ad9.html

http://naoyafujiwara.cocolog-nifty.com/ipodcasting/2006/07/200627vs_b0e9.html

http://naoyafujiwara.cocolog-nifty.com/ipodcasting/2006/07/200628vs_c972.html

http://naoyafujiwara.cocolog-nifty.com/ipodcasting/2006/07/2006vs_0f6f.html

要するに戦後、日本の農業には経営がなかったのです。とにかくたくさん作る、増産しか国に頭がなくて、作っても作っても生活ができないという地獄にはまってしまったわけです。

同時に単一の作物を広大な面積で作るということは自然界では相当無理なことなので、結局薬品をたくさん使う農業になってしまいました。

とにかく今の農業で一番大切なことは栽培よりも経営だと思います。どうやって農業で生計を立てるかです。

それはすぐに答えはでないかもしれませんが、過渡期としてみんな自分で食べる簡単な野菜ぐらいは自分で作るという時期にこれから入っていくのではないでしょうか。それによって消費者も生産者の苦労がわかるというものです。そして最終的にはおっしゃるように地域を中心とした地産地消、そして顧客である消費者と生産者が一体となった御用達の農業、そして農産加工という形になっていくのでしょう。

これからやらなければならないことがたくさんありますね。

どうぞ引き続きご活躍ください。

藤原直哉 拝

投稿: 藤原直哉 | 2009年8月 3日 (月) 06時43分

>過渡期としてみんな自分で食べる簡単な野菜ぐらいは自分で作るという時期にこれから入っていくのではないでしょうか

なんか、藤原さんはソ連崩壊期のダーチャ経済を目指しているように、いつも思えてしまいます。

たしかにダーチャ経済は強いですね。
国家の消滅も通貨危機も関係無しです。

でも、ダーチャ経済が、まがい品OK、バザールのマフィア支配もあり、というものだったことは忘れられません。

90年代のいつだったかな、ウラジオストックのバザールを支配していたマフィアが市と州の両方の税務署から目をつけられて、不幸なことに徴税官がやってきた日が同じ。
そしたら、どっちがマフィアから徴税するかでもめて、それぞれの税務署の特殊部隊が買い物客をよそに打ち合いを始めたという事件がありました。
このニュースを聞いて、中央政府が機能しないということがどういうことなのなのか分かった気がしました。
国家は悪かも知れませんが、無いよりは増しらしく、健全な財政、健全な役所仕事の復活を望まずにはいられません。

投稿: 田舎から | 2009年8月 4日 (火) 02時43分

田舎からさん、こんにちは。いつもありがとうございます。いや、別にダーチャ経済を目指しているわけではありません。野菜ぐらいは自分で作ってくださいとは、戦後の混乱期に日本政府が国民に呼びかけた言葉です。健全な財政、健全な役所仕事の復活を望むことは可能ですが、実現する可能性は限りなくゼロですから、その結果どうなるかをいつも私は考えています。まさに乱世であり、戦国時代であり、時代の大転換らしい世情ですね。日本だけでなく今は全世界でバブルが崩壊しました。したがって全世界の政府が同時に財政破綻と役人破綻の2つの現象を日本の過去20年間よりももっと速い速度で進行させています。そうすると農業だけでなく、さまざまな分野で既存に秩序の崩壊が起きて、現代のきわめて効率化された経済や生活は大きく影響を受けると思います。

中南米のようにこういう危機に対して社会主義体制としてむしろ国家機能を高めることで対応しようとしている国もあります。しかしこれも所詮は欧米が破綻するまでであり、まさにご指摘のように無理に国家機能を高めればヤミに腐敗が広がるばかりです。

今回ばかりは覇権の交代もない形での世界的な国家機能の衰退ないし消滅であり、あえて言えば応仁の乱、あるいはローマ帝国の崩壊型だと思います。ですからこの変化を契機に根底から世の中が変わるでしょう。それをいくら国家がとめようとしてもそれは難しいし、そもそもここで国家を建て直すことは国家の実情を知れば知るほど難しいと思います。周りにここで本当に現在の日本政府を再建なかたはいらっしゃりますか?敢えてできるのは破壊のあとの新しい政府をゼロから作り直すことでしょうね。

同時に最近は実はみんなそれぞれに自分で農園を始めているというかたが急速に増えています。みんな感じているし、そして安心・安全のためにも自分で食べるものを自分で作ろうという考えが広がっているのでしょう。同時に極道は儲からないところには来ませんので、自家消費が中心の現在の農園の広がりには極道は来ませんね。むしろ既存の農林行政のなかで資金が動くところに張り付いているようです。

とにかく政府がつぶれるというのは大変なことです。しかし歴史的に決して珍しいことというわけでもありません。再建はもう無理で、一度つぶれて作り直すしかないですから、その変化の時期にいかにたくましく生き、そして新しい政府というか国で活躍できるように、この時期に努力することがもっとも賢明だと思います。

どうぞますますご活躍ください。

藤原直哉 拝

投稿: 藤原直哉 | 2009年8月 4日 (火) 06時57分

対米従属の原因は、
1、エネルギーの多くを中東の原油に頼っている、
2、産油国が政情不安である、
3、中東におけるイスラエルの横暴とそれに対するイスラム過激派の存在、
4、食料自給率の低下と対米依存、

原油市場がファンドとその裏にいる産油国に牛耳られている以上、石油に依存することについては経済的に困難になっている、つまり石油に依存すると国民の富の多くは海外に移転してしまう、ということではないですか?

日本では地熱利用が有望だと思います、
また、核兵器の開発を諦めれば、(裏で色々画策している人が居るように思う)、核開エネルギーも選択肢が色々あるように思います。

また、南方の未利用の亜炭や褐炭などの液化も有望です。

食料の安全保障について言えば、低コストで餌米を生産することに対して補助を行うことで、多少不味くても、いざとなったら人間が食べることで飢えをしのぐことが必要ではないでしょうか?

エネルギーと食料の問題に目処をつけることが国民の生活にとって重要だと思います、兵器に幾ら予算を付けてもあまり役に立たない、太平洋戦争中の教訓を今一度考えるべきだと思います。

投稿: ^m^ | 2009年8月 4日 (火) 12時43分

^m^ さん、こんにちは。いつもありがとうございます。大変重要なご指摘だと思います。なんだかんだ言いながら、欧米の世界システムの中で資源も食料も流通するようになっているのですから、これが壊れたらたちどころにお手上げですね。でも、買うほうだけでなくて売るほうも困ってしまいますから、その場は何とかお互いが走り回って調達もできると思います。しかし、中長期的にはかなり自給率を上げるというか、その土地に相応しい食料や資源を利用するように国の動かし方そのものを変えていかなければならないでしょうね。これには相当な見識と行動力が必要になります。大変なことですが、今を生きる我々がやらなければならないことですね。どうぞ引続きご活躍下さい。
藤原直哉 拝

投稿: 藤原直哉 | 2009年8月 4日 (火) 21時58分

なるほど・・・

まぁローマ帝国が滅亡しても、応仁の乱で京都の町が灰になっても、人類が滅ぶ訳じゃないし、私の住んでいる村はそんなこととは無関係に1万年以上昔から続いていますので、まぁどうにかなるのかな?

うちの田舎の舗装道路の脇には野生化した菊芋の群生が続いていまして、今ちょうど黄色い花を咲かせてとても綺麗です。
菊芋ってぜんぜん美味しくなくてどう料理したら良いのか分からないのですが、あれ掘って食べてりゃ、私一人ぐらいどうとでもなりそうです。
自然の生産力ってのは凄いですね。

で、問題は、政府が機能しないとして、町内会レベルでの資源の適正分配、町内会間の公益の基軸通貨ですね。
ソ連崩壊期には、バザールでは物々交換が主で、後にバザールを仕切っている団体(マフィアが主でしたが、マフィア以外のこともありました)が通貨を発行して交換の仲立ちにしていました。
今でもロシア人たちは大学の自治会や大きめのバザール、夏休みの子供キャンプなどが期間限定、範囲限定の通貨をホイホイとつくって運営します。
ああいうのって、我々も知っておいた方が良いのかも知れませんね。

投稿: 田舎から | 2009年8月 4日 (火) 22時37分

田舎からさん、こんにちは。いつもありがとうございます。一般論として日本は過去の歴史を見れば変化適応力がとても強い民族ですから、危機をバネに何でもする潜在能力はもっていると思います。でもそれが完全に開花するにはよほど追い込まれなければダメなわけで、それを考えるとうんざりしますね。同時に日本人は自由市場のことを闇市場と言いますでしょ。自由に対する本能的な嫌悪感というか恐怖心をもっています。ですから、通貨というのもちゃんと権威がないと難しそうですね。そうすると日本は知り合いのネットワークであまり細かなことを言わずに・・・、というあたりが自然なのかもしれません。これはちょっと大陸の常識ではありえないことですね。

何を栽培するかもこれからいろいろとアイデアが出てくるでしょう。自然は偉大ですから、本当に必要なものが出てくるのではないかと期待しています。

どうぞ引続きお元気にお過ごし下さい。ありがとうございます。

藤原直哉 拝

投稿: 藤原直哉 | 2009年8月 4日 (火) 22時52分

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