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2009年6月 2日 (火)

藤原直哉の「21世紀はみんながリーダー」 2009年6月2日 21世紀を開墾する

21世紀を開墾する

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コメント

いつもお世話になります。
「21世紀の開墾」を心地よく聴いておりました。 今日と明日は大豆畑に大豆を蒔いております。 2年ほど前までは、草ぼうぼうで、はんごんそうと野生のバラが生い茂り、ちょっとしたジャングル状態でした。 会社の休みに、草刈機で丸1日格闘し、刈り終わるまでのべ10日ほど掛かりました。 そこは昔は牧草畑だったそうで、刈り終わり、見渡した時の広さにゾッとしたものです。 ユンボで木の根っ子を取り払うも、その量はちょっとした小山になりました。 1年目は木の根っ子を根気よく取り除き、2年目の今年はきれいな畑になって来ました。
 今日は天気も良く、カミさんと二人でひもを張り、私が棒で等間隔に穴をあけ、カミさん後から大豆を蒔き、埋めていく原始的な作業です。
最後に鳥よけに、糸を張りめぐらします。(今年はクモの巣のように張りめぐらしました)
 この辺でとれる地大豆(おおじろ大豆)を、今年は気合を入れて蒔いております。

 自然の恵みを受けるには、それなりに手を加え、手間を掛けないと出来ませんね、 こちらに来て5年目の実感です。

投稿: 群馬の藤康 | 2009年6月 2日 (火) 22時21分

友人よりこのコーナーをおしえていただき、数ヶ月になります。勉強になります。先生のおっしゃられることと同じことを私は、30年前に私の師匠・・・神門酔生氏より習いました。・・・これから日本はみんな貧乏になるのだと。貧乏にならないと何が本物なのか、気づかないのだと。21世紀の開墾に・・・・日本の21世紀の開墾に私が推進してきた( 今年で32年目になりました)ピロール農法がお役にたつことを・・・これが必要になること、ピロール事業は日本の国がやらねばならぬ仕事になるのだ。だから、黒田お前は、食われなくてもこの仕事を続けるのです。・・・今の日本人は金さえあれば幸せになれると錯覚しているのよ。本物がみえないのよ。・・・30年前にこの師匠が指摘されました。すごい師匠であられました。土の中で酸素が発生するというピロール農法です。だから、根腐れがおきませんよ。有機農法は残念ながら、炭酸ガスや、メタンガスが発生するので、根が傷みやすいのです。

投稿: 黒田与作 | 2009年6月 3日 (水) 06時35分

藤康さん、黒田与作さん、こんにちは。いつもありがとうございます。これから本格的に始まる21世紀の開墾は、今までいろいろとご苦労されて積み重ねられてきた方々の実力が一気に表に出る時代です。まさに個の花が咲く時代です。それをいかに上手に花束にして21世紀の繁栄とするか、それが新しいリーダーシップですね。多くの方々が注目されておられます。どうぞますますご活躍ください。ありがとうございます。
藤原直哉 拝

投稿: 藤原直哉 | 2009年6月 3日 (水) 07時50分

 シルビオ・ゲゼルが主張した「減価する貨幣」というのは、今後通用するでしょうか。考えてみれば、人工物、自然を問わず、あらゆるものはすべて劣化していくわけで、お金だけそのままの勝ちでため込んでおけるというのも何か違和感があるのですが。

 最近、いろいろなブログやホームページで、「お金のいらない世界は実現できるか」とか「お金のいらない世界を実現したい」という書き込みが出てくるようになりました。私も同感ですが、仮にそのような世界が将来実可能であったとしても、それは途方もない未来であることだけは確かです。

 それに、いくら資本主義が衰退の運命にあるとはいえ、いきなりは実現無理で、やはりその過程となる過渡期というか、そういう時期が必要なのは明らかです。そのためにいろいろなシステムが(ラビ・バトラやサーカーが推奨するプラウト主義もそれに当たるのでしょう)考案されておりますが、貨幣そのものの見方を変えるという意味で、今一度シルビオ・ゲゼルの思想がどこまで実現可能であるか、考えてみてもいいんじゃないかと思います。

 とはいえ、私個人としては、やはりお金や社会システムの変革だけでは不十分であると思います。やはり、人類変革の最大の転機は、「唯物論の克服」でしょうか。科学のパラダイムシフトです。

 科学者たちも、薄々気が付いているはずなんですよ。人間の脳は「心を作り出すことができない」ということに。

 人間の脳は、100%オームの法則に従った電気回路に過ぎません。しかし、問題なのは、この電気回路の発火現象(脳細胞間の電気信号のやり取り)は、わずか20%の確率でしかないということです。5回に1回しか発火しないわけでして、こんなのはパソコンなど演算機械にあり得ないわけです。というか、通常パソコンなどの演算機械の発火率は100%でなければ、まったく機能を果たしません。わずか0.1%でも発火率が下がれば、その段階ですでに誤作動を起こしてしまうのです。

 だから、本当はAI研究者たちは薄々感づいていると思うんですよ。脳では心は生み出せないと。そもそも人間の脳をそっくりそのまま機械で再現しようという試みも行われておりますが、これも今のところ頓挫しているし、仮に将来実現できたとしても、それがまともな機能を果たさない粗悪品にしかならないことも、彼らは知っているはずです。先ほども言いましたが、あらゆる演算機械というものは、発火率が100%でなければ、すぐに誤作動を起こし、まともに機能しなくなるのですから。ただ脳だけを特別扱いして「それらしい理論」を展開しているだけなのです。今まだ見ぬ量子重力論だの、この発火率が100%でないことが自由意思を生み出すなど、一見するとそれらしい言葉が並びますが、所詮は裏付けに乏しく、彼らがこのんで批判する疑似科学者のスピリチュアルな量子論とほとんど変わりません。あるとすれば、彼らの方が現在科学の方向性(パラダイム)に近いようなことを言っているくらいでしょうか(笑)。

 実際、人工知能の研究も、1980年代の第5世代コンピューター計画からそれほど進歩しているわけではありません。確かに最近では二足歩行し、感情を見せる人間臭いロボットも公開されてはおりますが、あれとて根っこは1980年代の段階から、さほど進歩しているわけではないのです。

 というのも、いまだに機械に対して、我々は全く創造性を持たせることができていない。想像だけではなくて、人間の知能活動に類似するものは何一つ作り出せていないのです。あのロボットにしろ、人が「怒って」とか命令したからそう反応しただけで、ただ機能面だけ人に似せただけに過ぎないのです。そしてこの機能面だけを拡充して、人間と見分けがつかなくなるレベルまで持っていけば、これで人間と同じ心を持ったと思いこもうと主張しているわけですが、実は、これにたいして難解なフレーム問題が立ちはだかります。有限の容量しか持たぬ機械に、人間のや生物の無限性を持たせることは不可能ではないかという議論ですが、一応それらしい理論は展開されても、実際にはそれを乗り越えるめどは、まったく立っていないのです。

 だから、一部のAI研究者や脳科学者は気づいてはいるはずなんですよ。人工知能の研究から超心理学に鞍替えした石川幹人教授など、堂々と正統派科学を皮肉ったテーマで超心理学研究をされております。

「人工知能はいかに作れないか」

 また、こちらでも何度か取り上げた西垣教授も、まあ、この方ははっきりと人工知能はできないとはおっしゃってはいないが、今後人工知能の研究を続けるにしろ、もっと「内なる生物としての視点から」行うべきだと、現在の人工知能研究に異論を呈しております。

 問題は、科学者たちが、現在のパラダイムを乗り越えられるかにかかっておりますね。発火率100%でなければまともに機能しないのが演算機械である以上、それが有機物であろうと無機物であろうと、発火率20%では何の機能も持たないことは明らかです。いきなり魂を認めろとは言わないが、せめて「脳では心は作れない」という現実だけは、そろそろ認めてもいいでしょう。何がきっかけになるかは知りませんが。

 唯物論が崩壊しただけでも、現在のような物欲中心主義、拝金主義は大きく後退するはずですし。

投稿: +9 | 2009年6月 8日 (月) 20時57分

こんにちは藤原様、+9さんの書き込みで閃いたのですが21世紀のモデルは既にあるのではないかな?

それを実現できる意識が問われているような気がします。

TVを見ていてネットで借りて・自宅へ届き・ポストへ返却(延滞料無し)と言うDVDレンタルのコマーシャルです。

このビジネスはアメリカで通用するのか?中国で通用するのか?ヨーロッパでは・・・と考えると日本しか通用しないビジネスモデルだと思えてきました。

では何故に日本でしか通用しないビジネスがあるのか?それはこきゃくの民度が高いことにある。民度というか躾というか社会を維持するための暗黙のルールみたいな物が庶民に行き届いている。

今までの常識はアングロサクソン流が良いとされてきたが、これからは日本流がよい。に変わると言うことでは無いでしょうか?

現在、財力や権力を持っている方々は明治以降のアングロサクソン流をよく学び現在がある。アングロサクソン流の本質は狩猟採取。

方や日本は農耕型。人類の進歩を考えるとバブルが20年先に崩壊した以上の差が開いていると思います。

一億層中流が崩れ、様々な問題が出て来てから多少失われた部分も在ると思いますが、立ち直りは早いと思いますよ。

江戸時代の庶民生活が手本になると思いますが、直近では昭和30年代の皆が貧乏で互いに助け合って互いに豊かになってきた。三丁目の夕日の時代なのでしょうか?

想像ですが、この時代は個人が自立して足りない所を補い合う事をしていたのではないでしょうか?誰かに養って貰うのは子供だけ。交換する価値を持たず生活している人を「ひも」と呼んでいたのでは無いでしょうか?

この時代のリーダーの姿と今のリーダーの姿は明らかに違いますね。直近では先祖返りのリーダーが求められるのかな?

藤原さんの話を聞いていると農業の話が多いので最先端産業は農業という風に勘違いしやすいのですが、分野を問わず自分が提供できる価値を高めて行く事が21世紀的な生き方?(他人を踏み台にすることなく)

一杯入った勢いで駄文を書いているようにも思います。違っていたら「ごめんなさい」

投稿: kazu | 2009年6月 9日 (火) 02時51分

+9さん、kazuさん、こんにちは。いつもありがとうございます。まことにおっしゃるとおりと思います。西洋でもない、東洋でもない、日本である精神というものが、これから大きく勃興してくるのでしょうね。サイエンスをやっている人たちも相当精神を入れ替えないと未来の扉が開けないところに来ているのでしょう。とても興味深い時代になったと思います。どうぞますますご活躍下さい。
藤原直哉 拝

投稿: 藤原直哉 | 2009年6月 9日 (火) 07時09分

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