藤原直哉の「21世紀はみんながリーダー」 2009年4月28日 時間のゆらぎ
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コメント
極端な話、唯物論もまた「ユダヤ・キリスト教的一神教」の教えに忠実な「宗教」の一部に過ぎないのです。
情報学者の西垣徹教授は、現在の社会を「ユダヤ・キリスト教を世俗化し、矮小化、唯物化したものである」としております。
ユダヤ・キリスト教の特徴として、聖なるテキスト(聖書でもいいが)の言葉に従えば、原理的には時間や空間に束縛されずにどこでも聖性(効果)を発揮するという考え方がある。要するに、神の論理(ロゴス)はあらゆる場面や時代において「普遍性」を持ち、それゆえ論理(ロゴス)を積み重ねていくことで、その聖性を発揮できるというわけです。
宇宙のすべてが、神の論理的演繹的整合性のとれた言葉によりできている。これが欧米の価値観、あるいは伝統であると。
これを唯物論に当てはめてると面白いことがわかります。
ユダヤ・キリスト教的一神教が語る世界観、宇宙観とは、先ほども書いたように、「この宇宙は神の言葉を基した論理的演繹的整合性のとれた系である」ということですが、唯物論は「この宇宙は物質を基にした論理的演繹的整合性のとれた系である」と言い換えることができるのではないでしょうか。
すなわち、この宇宙のもとになっているのはすべて物質のみであり、それは論理的な積み重ねを続けていくことで、我々はその恩恵(聖性)を獲得することができる。科学の発展を見よ、冷徹なまでの論理と再現性により、我々の生活は日々進歩(聖性)している。まさしく、この宇宙は物質を中心にした論理的演繹的な系であるのだ、と。
しかし、我々ははたして「論理的」でしょうか。私個人としては、人間の頭脳は論理回路ではないと考えているし、だから人工知能などは実現できないと思っている。もちろん、かなりのレベルまでは行くかもしれないが、普通の人間と同程度の心を持つ機械など無理ではないかと。それは、特に「コミュニケーションの分野」でロボットと人との越えられない壁が立ちはだかるのではないかと。
また、我々はそれほど「理性的」でもない。ジャック・モノーという生物学者がいるのですが、彼は理性中心主義や科学万能主義を説き、「偶然と必然」という著書の中で、次のように書き記しています。
「旧 約は破られた。人間はついに、自分がかつてそのなかから偶然によって出現してきた<宇宙>という無関心な果てしない広がりのなかでひとりで生きているのを 知っている。彼の運命も彼の義務もどこにも書かれていない。彼は独力で<王国>と暗黒の奈落とのいずれかを選ばなければならない。」
簡単に言ってしまえば、宇宙には神や目的など一切存在せず、それを受け入れることで、人々は理性により輝かしい未来を切り開くことができると。それを認めなければ暗黒の奈落へと落ちていくだけであると。人間は、科学的な知識や英知、理性により、旧来の宗教や伝統から解放され、より一層の進歩を遂げるのだ、と。
しかし、本当にそうでしょうか。我々は彼の言う通り、神や目的を否定することで、理知的に行動し、より一層の進歩を促すことができるものなのか。
これについては、私は「ジャック・モノーは間違っている」と思います。まあ、彼に悪気はないのでしょうが。
実は、この彼の発想をイデオロギーや思想面で実現しようとしたのが共産主義であり、科学テクノロジーで実現しようとしている(現在進行形であえて書きます)のが、唯物論者、人間機械論者、理性主義者であり、懐疑論者であると、私は見ております。
マルクス主義は、伝統や宗教をアヘンとし、自らのイデオロギーの植えつけで、人類の進歩を促そうとしましたが、それは失敗に終わりました。
そして、今度は唯物科学の方でも同じことが起こるのではないか。科学者たちは、人間は電気信号と化学反応で生きていると語るが、それを配送ですか、と素直に納得できる人間は、おそらくそれほど多くはないのではないか。
確かに、彼らに論理的にまくしたてられたら反論はできないが、しかし何か払拭できない「違和感」があるというのがほとんどではないでしょうか。
人間機械論者の中には、人間機械論を旧来の魂や精神といったものを否定し、人間により一層の理性主義を促す開明的な思想ととらえているものも多くいるようですが、私にはどうもそうは思えない。
やはり、こうして考えてみると、もし西垣教授の見方が妥当なものであれば、実は理性主義者や唯物論者たちこそ、皮肉なことに「ユダヤ・キリスト教的一神教の忠実な信者である」とも言えるでしょう。
先ほども書いたように、この宇宙は「神の言葉を基にした論理的演繹的な系」であるというのが一神教的価値観、宗教観であるならば、唯物論は「物質を基にした論理的演繹的な系」であるということができるのですから。
単に神の言葉が物質に置き換わっただけですから。
投稿: +9 | 2009年4月28日 (火) 21時32分
+9さん、こんにちは。いつもありがとうございます。
今日はまたすごいお話を頂き、大変ありがとうございます。おっしゃるようなことに尽きるのでしょうね。欧州の連中も結局は今回の秩序の崩壊で呆けてしまうのだと思います。論理の崩壊イコールこの世の終わりと思えてしまうのでしょうね。その辺の耐性は日本人のほうがはるかに強いように思います。
どうぞ引き続きご活躍ください。ありがとうございます。
藤原直哉 拝
投稿: 藤原直哉 | 2009年4月29日 (水) 20時31分
出口王仁三郎という預言者なんて胡散臭いと思っていたが、ずっと気になっていて、初めて調べてみましたが、この様な人物が明治以降いた事に驚きました。全く知りませんでした。この人物を通じて明治以降がどんな時代だったかが見えてきます。学校教育はほんと重要な事を教えてくれないと痛感します。ありがとうございました。
藤原先生は既に知っておられると思いますが、生存中の映像などを見つけましたので記しておきます
http://aizenen.info/od/av.html
投稿: ホリ | 2009年4月30日 (木) 13時23分
ホリさん、こんにちは。いつもありがとうございます。出口王仁三郎師は没後時間が経てば経つほどそのすごさが見えてくる感じですね。大いなる時代の転換期だと思います。どうぞますますご活躍下さい。
藤原直哉 拝
投稿: 藤原直哉 | 2009年4月30日 (木) 15時24分