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2009年2月24日 (火)

藤原直哉の「21世紀はみんながリーダー」 2009年2月24日 遠山郷からこんにちは

遠山郷からこんにちは  「leader090224.mp3」をダウンロード

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コメント

昨今の情勢で、その人物像がはっきり見えてきましたね。
わたしは、これからは血のつながりよりも魂のつながりというものが基本になってくるんだな〜と感じてきました。
そもそも国家というものが血のつながりを基にした家族制度の上に成り立っているんですね。どこの家族にもどうしようもない奴がいるんでしょう。昔だったら、他人よりも家族を助けること、家族に助けてもらうことが常識だったですよね。今は、血がつながってるからといって、あからさまに頼られてこられても、ふざけるな!という感じがしています。
わたしも藤原さんの話など聞き、共感し、ど素人ながらこの冬から畑作りに挑戦し始めて、来月頭にはジャガイモを植えるところまできました、とても楽しくやっています。それが、何も見えず、畑にも出てこようともしないで、人の収穫物をあてにして、自分は何もしないでやっていこうとしている、百姓をバカにした血がつながっているというだけの人物をみていると、さすがに不愉快になってきます。確かに何の価値もない仕事をしていても金をもらえて食っていけるという情況のもとではつき合いも長いこと続いてきましたが、さすがにここで、どんな人間を仲間とし、どんな人間とはつき合いをはっきり止めるべきか、ということも見えてきました。
家族よりも、他人であろうとも共同体意識を共有できる人かどうかだけですね。既成の価値観はもう存在しなくなったんですね。複雑な心境ではありますが・・・。
事務所のみなさんのラジオ放送、とても楽しみにしています。
特に菅原さんの笑い続けている様子になんとも好感を感じています。

投稿: 下口信和 | 2009年2月25日 (水) 09時43分

下口信和さま、こんにちは。いつもありがとうございます。おっしゃるとおりで、魂のレベルが合わないと、これから先は一緒に暮らすことも仕事をすることもできない時代のようです。すごいことだと思います。遠山郷の越冬管理人の菅原君は元気に暮らしています。よろしければ遊びにいらしてください。ますますのご活躍をお祈りしております。
藤原直哉 拝

投稿: 藤原直哉 | 2009年2月25日 (水) 23時24分

お久し振りでございます。以前からのお見立て通り、世の乱れの中で「権力が抜ける」という事はあるようで、私の周りでもここ数年威張っていた連中の先見性の欠如が露呈され、彼らの言葉が全て虚言に聞えるので滑稽です。逆にどこかぽーっとしているようでも「情のある」「志の高い」人に人望が集中しているのがわかります。こういう事は理屈では割り切れない曖昧な事ですが、どうも曖昧な所に本当のものが潜んでいるようで、まことに興味深い事です。
そもそも日本では、藤原様ご推薦の二宮尊徳をはじめ、北条泰時だの上杉鷹山だの、理想の高い穏健派が名君として尊ばれてきたので、これも自然な事かもしれません。

ここ数年来の世間(特に若い人)を見ておりますと、肩書き・経歴・資格の類にヒステリックなほど気をつかっていたようでございます。尤も、私も含め、物事を判断する直観や、人物がマトモか否かを見抜く力を信じなくなり、不安に陥った現代人が、権威・権力に頼ってものを見るのは当然だったのかもしれません。その結果、未知の世界に踏み込む勇気や薄氷を渡る怖さと面白さを知らぬ人ばかりになってしまったようでございます。
「権力が抜けた」のを良い機会に、権威などの邪知・妄知を捨ててしまって素直に世の中を見るようにすると、直近の悲惨な様相も、不謹慎かもしれませんが、まことに道理に適ったことのように思われます。

聞くところによると、江戸時代には飢饉の時に芋作りが巧みな人が乞われるがまま芋作りを教え、各地の有名無名の「芋神様」が人々を飢えから救ったそうでございます。今回も遠からずそうなるのではなかろうかと存じます(芋かはわかりませんが笑)。私なども、世間に働きかける力の乏しい人間ですが、必要な時に冷静に身軽に動けるよう、己を正さなければならぬと思っております。
世間に働きかける力も見識も十分な藤原様のような方は、今後中長期的に公私を問わず必ずやお力を求められ、お忙しくなろうと存じます。どうぞお身体を壊さぬようご自愛され、また大いにご健闘くださるようお祈り申し上げます。

投稿: 甘木 某 | 2009年3月 2日 (月) 19時05分

甘木 某さま、こんにちは。いつもありがとうございます。終戦直後の混乱期によく似た状況になってきました。無責任、無気力、闇、横流し、リーダー喪失、思想の破綻、大量の失業等々。何でもありの世の中ですね。でもここで正気にならないと日本も底が抜けます。みんなできるだけの努力をするしかないと思っています。どうぞ引続きよろしくお願いいたします。ありがとうございます。
藤原直哉 拝

投稿: 藤原直哉 | 2009年3月 2日 (月) 20時47分

 すいません、私ごとになってしまうのですが……。

 私は自閉症のいわゆる「ボーダーライン」とされている人間で、他人との接触には困難が伴うが、それでも「社会生活する上ではまだ何とか耐えられる」といったレベルらしいです(らしい、というのは、私も最近自分がこの自閉症者であることを知ったからです)。

 確かに、幼いころから、私は周囲から知恵おくれだと思われ、両親もいまだに私を離したがらず、また私自身も離れることができません。もう今年で6月になれば30になるというのに、いまだにテレビゲームの世界から抜けられない毎日です。

 そういった中で、藤原先生のロハス関連の放送は大変勇気づけられますし、私自身も何とかこの狭い世界から抜け出したいと切に願っている次第であります。

 自閉症者の特徴として、まず、人の話が聞けない、いや、聞いてはいるのですが、聞こえてくる音声と相手の社べている言葉の意味が、まるで乖離しているような感覚で、結局は聞いていても理解できない、あるいは聞いて意味を理解しようとしているうちに、初めに聞いたほうを忘れてしまうといったことがしばしばで、周りからも怪訝な表情をされたり、変な眼で見られることが多いです。要するに、人の話を聞いてはいるんだが、理解できない、あるいは聞いていても忘れてしまう。相手の声のトーンを読みr¥とることが難しい。相手の感情を読んだり、場の雰囲気をつかむのが非常に苦手です。

 これから資本主義がつぶれ、他人との共存共栄の時代に移行しつつある現代で、いまだに自分の世界から抜け出せないのでは、いずれ確実に時代に取り残される可能性があり、私自身もあせりを感じております。

 自閉症を克服する最大の特効薬は、やはり「人と付き合うこと」なのでしょうか。

 今の時代、やたら娯楽にあふれておりますが、その多くが「一人でも遊べるもの」です。テレビゲームなどはその最たるもので、私自身、いまだにこれから抜け出せず、自分自身「麻薬よりも手に負えない」と感じております。

 やはり他人との付き合い、特に協力し合うような遊びが、今求められているのかなぁと、この年になって今更ながらに思います。

 もう遅いでしょうか。もしまだ時間があるのなら、なんでもいいから始めようとは思っているのですが、ボランティアなんやれば、うちの家族から、「そんなのは金に余裕のあるやつがうすることだ」とかいわれるんだろうなぁ。むしろ、金銭の絡まないものこそ、本当にやりがいがあるのだと思うのですが。

 とりあえず、近くの公民館で囲碁の愛こう会をやっているらしいので、それでもやるつもりです。自分にやれることからやるべきですね、やっぱり。

投稿: +9 | 2009年3月 2日 (月) 23時00分

こんにちは+9様、老婆心ながら

私は小学生の時に登校拒否の引き籠もりを1年弱経験しています。今風に言えばイジメが原因だったかと思いますが周囲の話を理解できなかったのかも知れません。

人の悩みに安易に解ったつもりに成る訳ではありませんが、私の場合は「人」を相手にするよりも「物」を相手にしてきました。(今もそのままですが(笑)

人の場合は状況によって言うことが変化したり時には正反対のことを言われたり困惑することが多いのではないかと思います。

物の場合は分野を問わず共通の法則で貫かれているように感じます。何の分野でも良いのですが自然の法則と思えるような事を見つけると、同様の人と言葉では通じないが気持ちが通じる。変な現象が起きます。

農業などは体で覚える部分もあると思いますので体験農場とかが敷居が低いのではないかと思います。農業に限らず「ものつくり」の世界は引き籠もり経験者としては気楽な世界です。

自分の手で何でも良いから作る(アナログ感覚)事でケームの世界がバカらしく見えてくると儲け物かも。

私はゲームセンターでアルバイトをしていましたが、面白いと思った物はアナログで予想外のことが起きる昔のゲームでした。(インベーダーゲーム真っ最中の時代。知らないかな?)

勝手なことを長々と書きまして、気に障ったら無視して下さい。

藤原様、交流掲示板みたいに、してしまって申し訳ありません。

投稿: kazu | 2009年3月 3日 (火) 01時34分

+9さん、kazuさん、こんにちは。いつもありがとうございます。みなさんそれぞれにご苦労されておられるのですね。特に過去30年ぐらいはどんどん世の中がおかしくなっていきましたから、そのなかで多くの困難が生まれたわけです。

しかし時代はその先に進みつつあります。これからでもまったく遅くありませんから、自然や人の力、自然や人との共生のすばらしさを実感していただきたいと思います。他人との差異など気にせず、自分の思ったまま、感じたままを大切にされると良いと思います。そうすると、自分の個の花がどこに咲くようになっているのか、自然にわかってくると思います。

あまりにも時代に真面目であるといろんな苦労を背負い込んでしまいます。ここは肩の力を抜いて、自分の元気のレベルが落ちないように思考し、行動することをお勧めしたいと思います。

ますますのご活躍をお祈りしております。

藤原直哉 拝

投稿: 藤原直哉 | 2009年3月 3日 (火) 08時08分

 藤原先生、kazu様、私ごとにわざわざお返事をしていただき、誠にありがとうございます。本来、このような場所に自分のことを書き込むべきではなかったと、深く反省しております。

 私が自閉症を自覚したのは、大学の4年ですね。その時に不登校になり、なんと3年も4年生を経験しております。学業では、大学で3位だったのですが、研究室という、人と付き合う場において、どうしてもなじめず、ひきこもるはめになってしまいました。

 こうして考えてみると、学業の成績や経歴などは、大いなる自然には到底かなわない。いや、自然どころか、人にすら勝てないものだと痛感いたしました。

 これからは、本当の意味で「本物」が残る時代なのですね。そのために、まずは自分改革です。

投稿: +9 | 2009年3月 3日 (火) 22時04分

+9さん、こんにちは。いえいえ何でも表に出してしまえば消えるべきものは消えてしまいます。ですから明るく楽になると思います。21世紀は本当に自然のすごさと人間のすごさが相乗効果を作る時代だと思います。どうぞますますご活躍されてください。
藤原直哉 拝

投稿: 藤原直哉 | 2009年3月 4日 (水) 08時03分

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