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解体始まった中央政治 「090106.mp3」をダウンロード
投稿者 Naoya Fujiwara 時刻 17時00分 政治・経済 | 固定リンク Tweet
明けましておめでとうございます。 今年は世界中の人類にとって大変な年になりそうですね。 わたしの場合、心の覚悟はしていますが、具体的な準備は何もできていないです(爆 小泉・竹中や奥田・御手洗・宮内それに連合の高木剛などは、先生の言うネオコンの連中の手先として使い捨てにされるのでしょうね。 ここまでくれば彼らは用済みのただの東洋人でしょうから。 しかし、他人の戦犯を考える前に、わたしは自己の猛省をしなければなりません。 考えてみれば、わたしも幼少の頃から普通に洗脳されて、この社会システムの中で何も考えずに生きてきました。 今振り返ると、持続不可能な怠惰な生き方だったと思います。 毎日の食べるもの、着るもの、住む家も当たり前のように与えられて、時には足るを知らずに不平不満の数々・・・。 先生の言う「明るく暖かいリーダー」が出てくれるまでは、自浄に努める作業となりそうです。 藤原先生が日本のリーダーになっていただければこの国は大丈夫です。 「相互扶助」の精神を根底に持つ和の国ですから! 大和魂で力を合わせて乗り切るしかありませんね。 藤原先生の政治的なご活躍を心待ちにしております。
横田
投稿: ヨコタ | 2009年1月 6日 (火) 21時29分
ヨコタさん、あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
皆さんそれぞれにこの時代の大転換の中で考え方を変えざるを得なくなります。それをいかに小難で済ませて、いかに明るく温かくなれるかがポイントですね。皆さんそれぞれに自分との戦いという部分がありますね。
政治ですか(大笑)。最近は大学教授というだけで胡散臭く見られるようですが、金のバッチなんかつけたら何て言われるか(大笑)。つけている人には申し訳ないですが、わたしもいろんな人に会いますが、正直言ってバッチつけている人のレベルは低いですよね。もう少し世の中のことよく勉強して、もっと謙虚に生きてほしいと思いますね。選挙が大変だと言うけれど、経営者だって経営は大変ですよ。でも安定した経営をしているのは結局金儲けの上手な人ではなくて価値観のレベルの高い人です。政治だってそういう政治家が出てこれるはずなのです。今のままでは新しい時代のリーダーにはなりえません。せいぜいが永田村のお山のボスです。これからの政治を考えたら、政治家は精神も行動も永田村の村民になったら終わりですね。
でもそうやって一度全部流れるのが宿命であり、日本再建の早道なのかもしれません。竹内文書というのがありますでしょ。超古代からの日本の歴史を書いた本。あの解説本を読むと、神武天皇の前の天皇のときに、神代の日本は天変地異で壊滅したのですね。そして神武天皇から作り直しが始まるのです。同じようなことが今の日本の中央政界に起こりつつあるのではないでしょうか。ちなみに神代の日本では天皇は高山の山頂に住んで、頻繁に遷都していたんですね。山頂は洪水がなくて安全な場所なのです。
ま、それはともかく今の様子では中央政界は「柄のない肥びしゃく」=手をつけられない。祓い戸主の神さまが一度清めてくれませんとね。
どうぞ今年も引続きお元気にお過ごし下さい。 激励真にありがとうございました。
藤原直哉 拝
投稿: 藤原直哉 | 2009年1月 6日 (火) 22時55分
政治が迷走しているのは、結局のところ国民全体が今後目指すべき幸福が何なのかを認識できていないところにあるのだと感じます。
戦後復興時代は、物質的に豊かになると言う単純明快な目標がありました。だからこそ、国全体が一致団結してそれを目指すことができました。 でも、その目標をある程度達成した(と日本人が考えた)1990年頃を境に日本の政治も経済も迷走しているように思います。 だからこそ、失われた・・・などという言葉が出ているのだと感じています。それは、バブルが崩壊したという経済的な損失だけでなく、目指すべきものを失ったという精神的な崩壊もあったのかもしれませんね。
バブルで傷を負った日本が再度目指そうとしたのが、金融立国として再生したアメリカであり、そのことで日本は一時的にとは言え新たな目標を再度立てることができました。 しかし、そのアメリカが崩壊しつつあることで、バブル崩壊後も辛うじて目標としていた目標を今再度失ったのではないかと思います。
政治についても、今までの延長で進めるのではなく、根本的なパラダイムシフトが必要な時期に来たのかもしれないですね。 しかし、そのためには制度自体を変えるような大きな変動が必要ですが、それを既存の勢力ができるわけがない。
でも自分のことを考えてみると、自分自身も既存の枠組みにはまっているからこそ、今の生活が維持できている部分もあります。その枠組みを壊すということを想定するのは本当に難しいですね。 今年は、苦難に対処しながらもいろいろと考えていかなければならないなと思いました。
新年早々、とりとめもないコメントですみません。今後ともよろしくお願いします。
投稿: about | 2009年1月 7日 (水) 11時51分
aboutさん、こんにちは。いつもお世話になります。おっしゃるとおりと思います。巨大な地殻変動が世界中に広がるなかで今年は日本の立て直しに道をつけなければなりませんね。非常に大きなターニングポイントになりそうです。どうぞ引き続きご活躍ください。 ありがとうございます。 藤原直哉 拝
投稿: 藤原直哉 | 2009年1月 7日 (水) 16時05分
もはや、「超越的、神がかり的な」個人が出てきて政治や経済、果ては科学を革命する時代ではないでしょう。
極端な事例を挙げますと、たとえば、20世紀までは「アインシュタイン」やイメージは悪いが「アドルフ・ヒトラー」など、ある種、常人ではとてもたどり着けないような、「神がかり的な」人間の力により、世界も、科学も動いていた時代だったと思います。でも、それは21世紀では通用しそうにありません。
また、その「神がかり的」な人物も、アインシュタインは確かに天才であるといってもいいだろうが、ヒトラーになると、その当時の社会全体の情報不足からカリスマが生じ、いつの間にか民衆の熱狂に支えられて支配者になったという感が否めません。ヒトラーに関する書物を見る限りでは、まあ凡人とは言わないが、少なくとも天才と呼べるような人物ではなかったと思います。今のように、世界中に情報がすみずみまでいきわたった社会においては、個人をカリスマに仕立て上げ、またそれを民衆が熱狂的に支持するという状況はなかなか生まれにくいと思います。要するに、個人を神格化するのであれば、せいぜい金正日のようなやり方しかもはやあり得ないということです。そして世界中の笑いものになり、自分の国だけの親分でしかなくなって自滅していく。そういう風に思います。
たとえば、科学などの分野では、もはや超越的な天才が大理論を打ち立てて、それにより世界にパラダイム変化を促すといったようではなくなりつつあるようです。
ノーベル賞などもそうでしょう。こういえば、いささか語弊がありますが、実は、今回受賞した4人のほかに、数え切れないほどの受賞候補がいるわけです。しかも、研究の内容を見れば、確かに科学の発展には貢献したといえるものの、かつての量子力学や相対性理論といった大変革に匹敵するほどのレベルのものは、もはやそれほどありません。まあ、失礼な言い方ですが、今回の受賞者の研究委にしろ、これらの大理論や発見に比べれば、そこまでのレベルともいえない。結局、どんな理論にしろ研究にしろ、個人の力では、これ以上発展させられないレベルまで来つつあるため、たとえばノーベル財団でも、今後は個人に対してではなく、とある研究機関ごとの受賞もあり得るとしています。これは、もはや個人レベルでは(たとえそれがアインシュタインクラスであろうが)文明を一変させてしまうような進歩を促すことはあり得なくなりつつあるということです。アインシュタインクラスの天才なら、世界にはかなりいるのですが、それですら、もはや革新的な理論や研究を個人で行うことは不可能になりつつあります。それが現実でしょう。
政治もそうです。まあ21世紀になっても、まだ当分は独裁者が存在し続けるでしょうが、それでももはやヒトラーのような世界の歴史に多大な影響を与える者はもう現れないのではないかと思っております。せいぜい金正日のように、世界に「裸の王様」ぶりをアピールして物笑いの種になるのがオチでしょう。
こうなってくると、藤原先生のおっしゃる「明るくあったかい、横型リーダーシップのとれる人」というのは、実は何も個人だけを意味するものではないと私は解釈しております。組織、国家においても、やはり「明るくあったかい、横型リーダーシップがとれるもの」であれば、そういった部分が今後の世界の変化を促していくというか、そういう時代になってきているのではないでしょうか。それであれば、ラビ・バトラが「極東の光は日本から」と主張するのも納得がいきます。たぶん、日本人は「明るくあったかい、横型リーダーシップがとれるもの」でしょうから。
いずれにしても、もはや個人の力だけで世界を一変させるということは、これからはほとんどなくなっていくのではないかと思っております。
投稿: +9 | 2009年1月 7日 (水) 22時01分
+9さん、こんにちは。いつもありがとうございます。 おっしゃるとおり、個人の力でどうなる世の中ではなさそうですね。さて今年は日本も世界もどんなリーダーシップが出てくるのか、やってみるまでわかりませんね。どうぞ引続きご活躍下さい。 藤原直哉 拝
投稿: 藤原直哉 | 2009年1月 7日 (水) 23時46分
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明けましておめでとうございます。
今年は世界中の人類にとって大変な年になりそうですね。
わたしの場合、心の覚悟はしていますが、具体的な準備は何もできていないです(爆
小泉・竹中や奥田・御手洗・宮内それに連合の高木剛などは、先生の言うネオコンの連中の手先として使い捨てにされるのでしょうね。
ここまでくれば彼らは用済みのただの東洋人でしょうから。
しかし、他人の戦犯を考える前に、わたしは自己の猛省をしなければなりません。
考えてみれば、わたしも幼少の頃から普通に洗脳されて、この社会システムの中で何も考えずに生きてきました。
今振り返ると、持続不可能な怠惰な生き方だったと思います。
毎日の食べるもの、着るもの、住む家も当たり前のように与えられて、時には足るを知らずに不平不満の数々・・・。
先生の言う「明るく暖かいリーダー」が出てくれるまでは、自浄に努める作業となりそうです。
藤原先生が日本のリーダーになっていただければこの国は大丈夫です。
「相互扶助」の精神を根底に持つ和の国ですから!
大和魂で力を合わせて乗り切るしかありませんね。
藤原先生の政治的なご活躍を心待ちにしております。
横田
投稿: ヨコタ | 2009年1月 6日 (火) 21時29分
ヨコタさん、あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
皆さんそれぞれにこの時代の大転換の中で考え方を変えざるを得なくなります。それをいかに小難で済ませて、いかに明るく温かくなれるかがポイントですね。皆さんそれぞれに自分との戦いという部分がありますね。
政治ですか(大笑)。最近は大学教授というだけで胡散臭く見られるようですが、金のバッチなんかつけたら何て言われるか(大笑)。つけている人には申し訳ないですが、わたしもいろんな人に会いますが、正直言ってバッチつけている人のレベルは低いですよね。もう少し世の中のことよく勉強して、もっと謙虚に生きてほしいと思いますね。選挙が大変だと言うけれど、経営者だって経営は大変ですよ。でも安定した経営をしているのは結局金儲けの上手な人ではなくて価値観のレベルの高い人です。政治だってそういう政治家が出てこれるはずなのです。今のままでは新しい時代のリーダーにはなりえません。せいぜいが永田村のお山のボスです。これからの政治を考えたら、政治家は精神も行動も永田村の村民になったら終わりですね。
でもそうやって一度全部流れるのが宿命であり、日本再建の早道なのかもしれません。竹内文書というのがありますでしょ。超古代からの日本の歴史を書いた本。あの解説本を読むと、神武天皇の前の天皇のときに、神代の日本は天変地異で壊滅したのですね。そして神武天皇から作り直しが始まるのです。同じようなことが今の日本の中央政界に起こりつつあるのではないでしょうか。ちなみに神代の日本では天皇は高山の山頂に住んで、頻繁に遷都していたんですね。山頂は洪水がなくて安全な場所なのです。
ま、それはともかく今の様子では中央政界は「柄のない肥びしゃく」=手をつけられない。祓い戸主の神さまが一度清めてくれませんとね。
どうぞ今年も引続きお元気にお過ごし下さい。
激励真にありがとうございました。
藤原直哉 拝
投稿: 藤原直哉 | 2009年1月 6日 (火) 22時55分
政治が迷走しているのは、結局のところ国民全体が今後目指すべき幸福が何なのかを認識できていないところにあるのだと感じます。
戦後復興時代は、物質的に豊かになると言う単純明快な目標がありました。だからこそ、国全体が一致団結してそれを目指すことができました。
でも、その目標をある程度達成した(と日本人が考えた)1990年頃を境に日本の政治も経済も迷走しているように思います。
だからこそ、失われた・・・などという言葉が出ているのだと感じています。それは、バブルが崩壊したという経済的な損失だけでなく、目指すべきものを失ったという精神的な崩壊もあったのかもしれませんね。
バブルで傷を負った日本が再度目指そうとしたのが、金融立国として再生したアメリカであり、そのことで日本は一時的にとは言え新たな目標を再度立てることができました。
しかし、そのアメリカが崩壊しつつあることで、バブル崩壊後も辛うじて目標としていた目標を今再度失ったのではないかと思います。
政治についても、今までの延長で進めるのではなく、根本的なパラダイムシフトが必要な時期に来たのかもしれないですね。
しかし、そのためには制度自体を変えるような大きな変動が必要ですが、それを既存の勢力ができるわけがない。
でも自分のことを考えてみると、自分自身も既存の枠組みにはまっているからこそ、今の生活が維持できている部分もあります。その枠組みを壊すということを想定するのは本当に難しいですね。
今年は、苦難に対処しながらもいろいろと考えていかなければならないなと思いました。
新年早々、とりとめもないコメントですみません。今後ともよろしくお願いします。
投稿: about | 2009年1月 7日 (水) 11時51分
aboutさん、こんにちは。いつもお世話になります。おっしゃるとおりと思います。巨大な地殻変動が世界中に広がるなかで今年は日本の立て直しに道をつけなければなりませんね。非常に大きなターニングポイントになりそうです。どうぞ引き続きご活躍ください。
ありがとうございます。
藤原直哉 拝
投稿: 藤原直哉 | 2009年1月 7日 (水) 16時05分
もはや、「超越的、神がかり的な」個人が出てきて政治や経済、果ては科学を革命する時代ではないでしょう。
極端な事例を挙げますと、たとえば、20世紀までは「アインシュタイン」やイメージは悪いが「アドルフ・ヒトラー」など、ある種、常人ではとてもたどり着けないような、「神がかり的な」人間の力により、世界も、科学も動いていた時代だったと思います。でも、それは21世紀では通用しそうにありません。
また、その「神がかり的」な人物も、アインシュタインは確かに天才であるといってもいいだろうが、ヒトラーになると、その当時の社会全体の情報不足からカリスマが生じ、いつの間にか民衆の熱狂に支えられて支配者になったという感が否めません。ヒトラーに関する書物を見る限りでは、まあ凡人とは言わないが、少なくとも天才と呼べるような人物ではなかったと思います。今のように、世界中に情報がすみずみまでいきわたった社会においては、個人をカリスマに仕立て上げ、またそれを民衆が熱狂的に支持するという状況はなかなか生まれにくいと思います。要するに、個人を神格化するのであれば、せいぜい金正日のようなやり方しかもはやあり得ないということです。そして世界中の笑いものになり、自分の国だけの親分でしかなくなって自滅していく。そういう風に思います。
たとえば、科学などの分野では、もはや超越的な天才が大理論を打ち立てて、それにより世界にパラダイム変化を促すといったようではなくなりつつあるようです。
ノーベル賞などもそうでしょう。こういえば、いささか語弊がありますが、実は、今回受賞した4人のほかに、数え切れないほどの受賞候補がいるわけです。しかも、研究の内容を見れば、確かに科学の発展には貢献したといえるものの、かつての量子力学や相対性理論といった大変革に匹敵するほどのレベルのものは、もはやそれほどありません。まあ、失礼な言い方ですが、今回の受賞者の研究委にしろ、これらの大理論や発見に比べれば、そこまでのレベルともいえない。結局、どんな理論にしろ研究にしろ、個人の力では、これ以上発展させられないレベルまで来つつあるため、たとえばノーベル財団でも、今後は個人に対してではなく、とある研究機関ごとの受賞もあり得るとしています。これは、もはや個人レベルでは(たとえそれがアインシュタインクラスであろうが)文明を一変させてしまうような進歩を促すことはあり得なくなりつつあるということです。アインシュタインクラスの天才なら、世界にはかなりいるのですが、それですら、もはや革新的な理論や研究を個人で行うことは不可能になりつつあります。それが現実でしょう。
政治もそうです。まあ21世紀になっても、まだ当分は独裁者が存在し続けるでしょうが、それでももはやヒトラーのような世界の歴史に多大な影響を与える者はもう現れないのではないかと思っております。せいぜい金正日のように、世界に「裸の王様」ぶりをアピールして物笑いの種になるのがオチでしょう。
こうなってくると、藤原先生のおっしゃる「明るくあったかい、横型リーダーシップのとれる人」というのは、実は何も個人だけを意味するものではないと私は解釈しております。組織、国家においても、やはり「明るくあったかい、横型リーダーシップがとれるもの」であれば、そういった部分が今後の世界の変化を促していくというか、そういう時代になってきているのではないでしょうか。それであれば、ラビ・バトラが「極東の光は日本から」と主張するのも納得がいきます。たぶん、日本人は「明るくあったかい、横型リーダーシップがとれるもの」でしょうから。
いずれにしても、もはや個人の力だけで世界を一変させるということは、これからはほとんどなくなっていくのではないかと思っております。
投稿: +9 | 2009年1月 7日 (水) 22時01分
+9さん、こんにちは。いつもありがとうございます。
おっしゃるとおり、個人の力でどうなる世の中ではなさそうですね。さて今年は日本も世界もどんなリーダーシップが出てくるのか、やってみるまでわかりませんね。どうぞ引続きご活躍下さい。
藤原直哉 拝
投稿: 藤原直哉 | 2009年1月 7日 (水) 23時46分