藤原直哉の「21世紀はみんながリーダー」 2008年10月7日 来年のキーワードは「解」
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コメント
藤原さーん、
2006年は「叛」
2007年は「流」
2008年(今年)は「怒」
ですよ。(笑)
で、来年は「解」ですか。
藤原さんは時代の先頭を行ってるので、(現実界より上の世界のエネルギーを感じる力が強い)ので、藤原さんのおっしゃる「来年のキーワード」はじつは「再来年のキーワード」くらいに思ってると、僕にはしっくりきます。
、今年これまでが「流」、日本人が本当に怒りだすのは今年これからと来年、「解」はそのあとだなー。
ともかくアナログ感覚で人間の底力を出すことは必要ですね。
国境のトンネルの中で行方不明にならないようにがんばります。
投稿: yupon | 2008年10月 7日 (火) 21時33分
yuponさん、こんにちは。いつもありがとうございます。
そうでしたね、流は去年で今年は怒でしたね、失礼しました。政治などは今年は怒一色という感じです。
大きな山場は年末から来年ですね。どうぞ引続きご活躍下さい。
ありがとうございます。
藤原直哉 拝
投稿: 藤原直哉 | 2008年10月 7日 (火) 22時50分
お久し振りでございます。以前お邪魔致しましたものです。
世界的な経済情勢の急激な変化は最早隠し立ても出来ず、疑うべくもないものになり、藤原様の以前よりのお見立てが実に的を得たものであった事を如実に実感するものでございます。一方で小さなところ、私の身の周り・足元の情勢でも変化が見られます。先日私の住む市で市長選がございまして、利権の塊の様な元市長が敢え無く破れ、(こう言っては悪いが)以前ならまるで勝負にならなかったような市民活動家が当選致しました。面白いものだと存じます。
私の所属する組織でも、ここ数年威張った人とは違うタイプの人の発言が注目されているようでございます。また、組織の存亡の事ばかり気にする人間と、一方で「到る所青山あり」というボヘミアン的人間にはっきり分かれたようでございます。
以前の私なら右往左往していたような急激な経済の悪化、社会の劣化でございますが、藤原様のご指針のお陰で、多少なりとも冷静にものを見て、自分の仕事を信じ、先を生きる勇気を持っております。ありがとう存じます。
これから数年は、物質的・表面的には雌伏の時を過ごさざるを得ない人が増える気が致しますが、天狗の鼻が折れたときや崖の上から放り出されたとき、そのときにどう振舞うかでその個人の本当の「値打ち」がわかるのではないかと存じます。
どうか藤原様もお元気で過ごされ、多くの人に活力を注入されますよう、お祈り申し上げております。
投稿: 甘木 某 | 2008年10月 7日 (火) 23時07分
甘木 某さま、おはようございます。いつもありがとうございます。本当に時代の底が抜けるときが来たようです。日本のマスコミは呑気なことばかり言っていますが、今回の金融危機、欧米の新聞を読むとすごい話ばかりです。今まで世界の屋台骨を支えていた連中がまるでワールドトレードセンターの崩壊のように崩れていこうとしている。すごいですね。生きているといろんな面白いことに出会えるものだとつくづく思います。
この津波は当然日本にもやってきます。浜辺でうろうろしているとみんな流されてしまいます。
そしてきれいさっぱり流れるものが流れたところで解散するものは解散になって、そこから立て直しが始まるようです。
どうぞ甘木さまもお元気に引続きご活躍下さい。
いつもありがとうございます。
藤原直哉 拝
投稿: 藤原直哉 | 2008年10月 8日 (水) 07時44分
藤原先生、T.Yと申します。
いつも楽しくラジオを聞かせていただいております。
今週の金融大災害に、歴史的とも言える世界の構造変化を感じずにはいられません。
慌しく流れるニュースに忙しなく目を通していて気が付いたのですが、
突然ノーベル賞で日本人受賞者が前代未聞の連続というみたいで、誇らしいのでありますが、
どうも腑に落ちず、素直に喜べない自分がおります。
そもそもノーベル賞では、アルゴアやロバート・マートンやマイロン・ショールズなど、
今の金融詐欺やら環境詐欺ビジネスの土台構築に意図的に貢献した節もあると感じています。
国際金融資本側にとって都合よく箔を貼り付けるツールに成り下がっている気がしてなりません。
そのノーベル賞がこうも慌しく、日本人受賞者を連続で選ぶなど、アングロサクソン至上主義的な空気からは考えにくいのです。
日本に、「名誉やるから金をくれ」と身も蓋も無いメッセージを送っているような印象を受けます。
松藤さんの講演の中で、米国が日本に200兆円の拠出を要求しており、政府が応じる可能性があるといった内容の事を述べておられたようですが、それはこのノーベル賞の乱発と関係があるのでしょうか?
(ただ、焦げ付いた住宅不動産関連の金融商品で1000兆円、クレジットデフォルトスワップで6000兆円なんて、日本の有り金全部投じても焼け石に水にしかならないと思いますが・・・)
投稿: T.Y | 2008年10月 8日 (水) 19時35分
こんばんは。いつもありがとうございます。
まったく、まったくおっしゃる通りですね。この地球上のどこに6京円という金があるというのでしょうか。まさしく、錬金術師が架空に造りだしたもの。こんなのに踊らされて、ぽんぽこりんでいる必要はありませんね。金(ゴールド)もやめて、江戸時代のように、米本位制でいきましょう! 各地で実験的におこなわれている「地域通貨」が、「ラットサークル」から脱出できる方法かもしれません。仮紙幣ではなく、ノート式の通貨を使用するエリアもあるようですが、よく考えれば、あれ、昭和の時代まで使われていた「台帳」ですね。つけ、で品物を買うのですが、農村では米で支払い、現金を見ることがなかったと、明治生まれの方から聞いたことがあります。つけは、信用貸しですが、その信用は人と人が交わすものですね。つまり、地縁血縁の村社会の生き方が、本来の日本人の伝統的な暮らし方。どうも、いったんそこへも戻らなければいけない時期に来たと感じます。
長々と、失礼いたしました。
さて、お米をどこへ備蓄するべか・・・
投稿: ゆうでん | 2008年10月 8日 (水) 20時03分
こんばんは。藤原先生の「解」という言葉について、思うことがありましたので、投稿いたします。
ノーベル賞ですが、今度は化学賞のほうでまた一人受賞しておりますね、日本人。一度に4人もなんて、やっぱり不自然です。ここまで来ると、なんか素直に喜べない気がいたします。
考えてみれば、金正日と握手しただけで平和賞をもらった金大中や、上記のT・Y様が指摘していらっしゃる連中を見ていると、どうも、こういったものも形骸化しているというか、おかしいんじゃないかなと思います。
ノーベル賞というだけで、すごいともてはやしてきた我々ですが、逆にこういったものも、だんだん形骸化というか、それほど名誉とは思われなくなるかも知れません(笑)。
○○賞とかそういうものが名誉とされて誇れる時代も、いずれは過ぎ去っていくような気がいたします。
まあ、賞に限らず、さまざまな権威がこれから衰退していくと考えるべきでしょう。そういう意味では、まさに藤原先生のおっしゃる「解」という言葉は的確であると思います。
投稿: +9 | 2008年10月 8日 (水) 21時57分
みなさん、こんにちは。いろいろなご意見、いつもありがとうございます。
ノーベル賞受賞のいきさつについてはよく知りませんが、あまり大きな枠組みとは関係していないように思います。もう既に欧米もバラバラではないのでしょうか。
預言のことですが、日月神示は大変多くの方がご興味をお持ちのようですが、私、読んでもあまりぴんとこないのです。問題はここではないと思うのです。一人一人の心の在り処の問題であって、形がどうなるではないのだと思います。ラビバトラの預言も基本的には壊れるところまででしょう。そこから先、この崩壊の後にどんな世の中がきて、どんな人がどんな風になるかは、出口王仁三郎の霊界物語に実にたくさんの例を示して描かれています。なるほどなー、という人の生き様がたくさん出ています。もうここまでくるとどう壊れるかはあまり問題ではなくて、その先をどう生きるかではないでしょうか。
世の中はデジタルからアナログへこれから振り子が戻ると思います。中身のある世の中に戻るでしょう。
どうぞ皆さん引き続きご活躍ください。
藤原直哉 拝
投稿: 藤原直哉 | 2008年10月 9日 (木) 00時45分